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Tussock moth

 ……路地裏には血の匂いが満ちていた。


 今夜は月は見えない。

 今にも降り出しそうな分厚い雲が夜空を覆っている。


「……ふざけやがってッ!!」


 むせ返るような血臭の中で憎悪と怨嗟を込めて声を絞り出したのはアイザックだ。

 周囲の亡骸の大多数は地元のヤクザ者である。

 ここ数日のアイザックたちの夜の町での狼藉の落とし前を付けに現れた者たち。

 ……それはいい。

 それは予定通りだ。

 彼らにちょっかいを掛けて組員が報復に現れれば、従うふりをして事務所へ行って……そこで組を乗っ取る。

 それが当初の計画だったからだ。


 だが、計画は狂った。

 予定通りにいかなくなった。


 報復に彼らが現れたその時……5001と6070の二人が、生き残ってアイザックと共に逃走中だった二人が。

 突然……反旗を翻した。

 同胞であるはずのアイザックに襲い掛かってきたからだ。


 今その二人は、数百年もの間自分と行動を共にしてきた二人はもの言わぬ骸となってやくざ者たちと一緒に冷たい路上に転がっている。

 造反は今ならやれると思ったからだろう。

 二人がかりで……アイザックが消耗している今なら。


「カスの癖によ……ゴミの分際でよぉッッ!!! 俺が弱ってるから()れると思ったのかッッ!!」


 裏切者たちをなぶり殺しにしてもアイザックの怒りは尚も激しく燃え盛るだけだ。

 怒りに任せて男は5001の屍を蹴り上げる。


「ククク……これはこれは、随分とご機嫌斜めのご様子だ」


「誰だッ!!??」


 いつの間にか……周囲を囲まれていた。

 どこから現れたのか、同じ装束を着た集団だ。十人以上はいる。

 見えていない部分に更に潜んでいるかもしれない。

 黒一色の拳法着のような上着の裾が長い服で、その裾には不気味な蛾の片羽が刺繍されている。


 全員が眷属……吸血鬼(ヴァンパイア)だ。

 だがいずれもそうなって日が浅い者たちばかり。

 その辺りは男たちの纏っている闇の気配の年季……とでもいえばいいのか、そういうものがアイザックは間近に接すればなんとなくわかるのだ。


「何もんだ……テメエら」


 周囲を警戒するアイザック。

 成りたて(ルーキー)吸血鬼(ヴァンパイア)など普段であればいくら束になって掛かってこられようが物の数ではない。

 ……だが今の自分は消耗しきってしまっている。

 万が一があり得ないとは言い切れない状態だ。


「俺たちは『毒蛾(ドクガ)』……今はそう名乗って活動してる。アンタもよーくご存じのある男に仕えてる兵隊さ」


「何ィ……?」


 言われてアイザックの脳裏にある古い知り合いの横顔が過った。

 友人でもなく、仲間とも言えなかった間柄の男だ。

 だがかつては同じ肩書を背負って同じ集団に属して戦った。

 自分と同じ血と暴力の信奉者……。


「一緒に来るかい? アンタにその気があるんなら丁重にご案内しろと言われてるぜ」


「帰る場所もねえし、お仲間もいなくなっちまったんでしょう? うちは賑やかですぜ……勢いもある」


 ククク、と周囲の毒蛾の紋章の男たちが不気味に笑っている。

 寒気しか感じない笑い方だ。

 だがそのお陰でアイザックは幾分か冷静さを取り戻すことができた。


「……連れていけ。会ってやる。お前らの(ボス)にな」


「賢明な判断だ。きっと気に入りますぜ。俺たちの棲み処(すみか)をね」


 アイザックの言葉に毒蛾の構成員は冷たく目を光らせて肯いた。


 ────────────────────


 営業時間中の『のすたるじあ』

 時刻はちょうどお昼時。


 ユカリは……寝ている。豪快に居眠りしている。

 カウンターの内側に置いたパイプ椅子に座った彼女の頭は横斜めに傾いていた。


「あらま~、おねーさんヨダレ垂らしちゃって……」


 口を半開きにして寝ているユカリの口元をハンカチで拭ってやっているエトワール。


「ここのとこ、あんまり寝てないからね……。日中は仕事して夜になるとどっか行っちゃうし」


 商品を布巾で磨きながらふぅ、と軽く嘆息しているルクシエル。


「何してんだか教えてくんねーんですよね~。おね~さ~ん、ここに役に立つスタッフがいますよ~っと」


 ぷにぷにとユカリのほっぺたをエトワールが指先で突っついてみるも、フガフガ言うだけで彼女は起きてこないのだった。


「まあ、寝かせとこう。お客さん来たら起こすけど今はいないし」


「へいへいっと。あらまそう言ってたら……」


 ……客だ。自動ドアが開いて軽快なメロディーと共に誰かが店内に入ってくる。

 ルクシエルがユカリを起こそうと肩に手を伸ばしかけて……そして止まった。


「あら、何よォ寝ちゃってんじゃないのよ。……いいわよ寝かせといてあげなさいな。疲れてんでしょ」


 現れたやたらとでっかいオカマ……パープルに思わず言葉を失ってしまっているルクシエルとエトワール。

 濃い藍色のジャケットにスラックス姿のその長身のオカマは勝手知ったると言った様子でずかずかと踏み込んできてカウンターの前に立った。


「アタシは大した用事じゃないの。ちょっと差し入れを持ってきただけよ。ハイこれ、皆でおあがんなさいな」


 そう言って紫の男が差し出したものはカップアイスの詰め合わせだ。

 コンビニやスーパーで買えるようなものではない洋菓子店のもの。

 ビニールの手提げの中にはきちんとした梱包の紙箱が入っている。


「あ、ありがとうごぜーます……」


 凡そものに動じることのないエトワールだが、流石にこの男には戸惑いを隠せない。


「それじゃね。そこのお寝坊さんにヨロシク」


 ヒラヒラと手を振って去って行ってしまうパープルを無言で見送る二人。


「……あ、名前聞きそびれちゃった。まあいいか」


 パープルが店外に出て行ってしまってから思い出してしまったという顔になるルクシエル。

 しかし彼女はすぐに気を取り直したように軽く息を吐く。


「いやー、知り合いなら一発でわかるんじゃねーですかね……。流石に顔が広いおねーさんでも今の人の説明してどのオカマの事かわかんねーですってくらいのオカマまみれの生き方はしてねーでしょ」


 はは、と若干乾いた笑みを見せつつアイスを冷凍庫にしまいにいくエトワールであった。


 ────────────────────


『のすたるじあ』を出て少し歩いたパープル。

 やがて高架下に差し掛かった時に彼は不意に足を止めた。


「……誰の差し金か知らないけど、付け回す相手はよーく考えなきゃつまんないケガする事になるわよ」


 背後を振り返った紫の男が冷たく光らせた目を細める。


「お待ちを。俺たちはアンタの敵じゃない」


 物陰からぞろぞろと姿を現す黒い服の男たち。

 いずれも蛾の羽を刺繡されている服を着ている。

 物理的に身を隠していたにしては人数が多すぎる。

 恐らくは何らかの能力によって姿を隠していたのだろう。


「それを決めるのはアンタたちじゃないの」


「……うっ」


 凄まれた蛾の男がその場にガクンと膝を屈した。

 なんの攻撃を受けたわけでもないのに。


「アンタたちはアタシに用があるのかもしんないけど、アタシにはないわ。これ以上付きまとうつもりなら容赦なく叩き潰してあげるからそのつもりでいらっしゃい」


 ふん、と鼻を鳴らしてパープルが男たちを置いて歩き出そうとして……。


「少しは丸くなったのかと思ってたが……」


「……!」


 ガード下の反対側に一人の男が立っていた。

 パープルと同じように長身で、パープルと同じようにがっしりとした体格の男。

 細くて吊り上がった冷たい目をした男だった。


「相変わらずのようだ。嬉しくなるぜ……リヒャルト」


「ザイン……」


 人喰い鮫の異名を持つ男が見せる酷薄な笑み。

 かつての闇の眷属たちの王国の二人の公爵の数百年ぶりの再会である。


 高架下の暗がりで二人の真祖の吸血鬼が対峙する。


「今更なんの用なの? アタシはアンタと話す事なんてなぁーんにもないんだけど」


「昔のよしみだ。警告くらいはしておいてやろうと思ってよ……」


 金属をこすり合わせたような独特の響きの声でザインが言う。


「間もなく俺たちは戦争を始める。夜を闇の眷属(おれたち)の手に取り戻すための戦争をな……。手始めにこの煌神町。それから徐々に支配地域を広げていって最後には火倶楽そのものを手に入れる」


「あら、そうなの? よかったじゃない。せいぜい頑張って……」


 ザインが踏み込んだ。

 両者の距離が一気に縮まる。

 吐息がかかりそうなほどの距離まで接近してザインは牙を見せて笑った。


「俺の邪魔をする気がねえっていうならせいぜいどっかで目立たないようにしてるんだな。近くをウロウロされたんじゃうっかり踏み潰しちまうかもしれねえ」


「……………」


 凄絶な笑み。明確な威嚇にもパープルは冷めた視線で応じるだけだ。


「アンタも変わんないわね……」


 視線を逸らし、紫の男はフゥと物憂げな吐息を吐いた。


「話はそれだけ? アタシ、アンタたちみたいにヒマじゃないのよ。失礼させてもらうわね」


 ザインとすれ違ってパープルは歩いて行ってしまう。

 人喰い鮫はその場に立ったまま後姿を黙って見送った。


「いいんですか? ザインさん……あいつは靡きませんよ。今のうちに始末しといた方が」


 顔を寄せて小声で言う毒蛾の男をザインがギラリと睨んだ。

 絶対零度の殺気を至近から叩きつけられて男が怯む。


「一端に俺に意見してんじゃねえ。お前ら雑魚を何匹ぶつけようが()れる相手じゃねえんだよ。俺たちがやろうとしてんのは戦争だぞ。ケチな喧嘩じゃねえ。まだ軽々しく大駒を出せるフェーズじゃねえんだよ。こっちは最小の消耗で最大の戦果を挙げてかなきゃならねえ。お前ら雑魚も沸いて出てくるわけじゃねえぞ。使い道はよく考えなきゃあよ」


 冷や汗を浮かべた男が肯く。


「まずは早えとこお前らを子爵級までは成長させねえとな……。それで兵隊の補充が一気に進む。それまではゲリラ戦で厄介なのを少しでも減らしていくぜ。失敗しましたは通用しねえぞ。手を出したやつは確実に殺せ」


「わかりました、ザインさん」


 肯いてから男は何かを考えるように少しだけ眉を顰めた。


「……()にはご報告はしなくても?」


 恐る恐ると言った様子で毒蛾の男が言う。


「毒蛾の頭は俺だぞ。ヤツに何をご報告申し上げる必要があるって言うんだよ。……いいか? もうこの地上のどこにも闇の眷属の王国(ダークキングダム)は存在しねえ。俺たちは負けて滅んで終わったんだよ。ヤツは昔のよしみで匿ってやってるだけだ。お前らが有り難がって頭下げる必要はねえんだよ。俺の命令だけを聞いておけ」


 ザインの言葉に深々と頭を下げる毒蛾たち。

 そうして……男たちは一人また一人と風景に溶けていくかのように姿を消し、後には誰も残らないのだった。




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