川べりに戻る静けさ
一匹……また一匹と川から上がってくる怪生物たち。
膝を曲げてかなりの猫背だというのに、それでもミレイよりも頭の位置は上だ。
かなりの大きさである。
「……これが河童?」
身構えながら目を細めるミレイ。
東の国にはそういった生き物がいるらしいとは聞いているが実際に見た事はない。
「河童なこないな恰好してまへんえ」
……即座にキリヲによって否定されたが。
生肉に釣られて川中から姿を現した不気味な生き物たち。
罠であると認識できるほどの知能があるのかは定かではないが彼らは待ち構えていたミレイたちを認識し動きを止める。
黒い眼球が動く。……こちらを見ている。
時折首を傾げるようにしながら凝視してくる怪生物たち。
鳴き声はなく……無言。周囲にはただ川の流れる音だけが聞こえている。
川から上がってミレイを確認するまでは直進してきた怪生物が左右に展開を始めた。
取り囲む気だ。
夜の河原に満ちていく冷たく湿った殺意。
どうやら連中は自分たちを障害であると察知し排除するつもりのようだ。
まずは二匹。
ミレイの左右からそれぞれ一匹ずつが鋭いかぎ爪の並んだ剛腕を振り上げて襲い掛かってきた。
その動きはかなり素早く目で追うのは困難。
……普通の人間であれば、だが。
「……ッッッ!!!」
襲われたミレイ本人ではなく見守るアキラが声にならない悲鳴を上げる。
鋭く呼気を吐いたミレイは跳躍して上に逃れていた。
同時に彼女の靴底に輝く刃、エーテリアルエッジが生成される。
併せて怪生物の頭上を取り囲むかのように、輪になったオーロラのような七色に輝く道が生まれた。
そこへヒラリと飛び乗って滑走を始めるミレイ。
腕を振り上げても届く位置ではない……そう判断した川からきたものたちの数匹は跳躍して宙に舞う。
かなりのジャンプ力もあるようだ。
だがそれは判断ミスである。
何故なら空中は彼女のリンク。比良坂ミレイの領域なのだから。
「わざわざ来てくれて助かるわ」
ふふっ、と不敵に笑ったミレイが繰り出す左足。
普段は麻痺が残り魔力の補佐によって動かしている片足がこの時は分厚い魔力の層に覆われて凶器と化す。
空中のプリマドンナが踊る。
それは美しくも恐ろしい死の舞いだ。
一番近い位置に跳び上がってきた一匹が一瞬で無数の蹴りを浴びて地上へ落下する。
水気を含んだ落下音を立てて背中から落ちた怪生物がもがいている。
全身の骨が砕けていて既に虫の息だ。
「……ねえ、何匹か処理してよ!」
更に二匹を蹴り飛ばして戦闘不能に追い込みながら上空のミレイが叫んだ。
眼下の黒いセーラー服の娘に向かってだ。
「言うてはりますえ。あんたはんは動かんでええのん? 女の子だけ戦わして」
しかし涼やかに笑ってキリヲは動こうとはしない。
代わりに傍らで腰を抜かしている男に向かって彼女はそう言葉を投げる。
「……ひッ。ひあッッ!!? 俺ぇ? 俺……おれは……」
座り込んで震えているアキラ。
怯え切った彼の放つ言葉は半ば意味を成していない。涙ぐんでただ眼前の光景に圧倒されるのみだ。
今までの自分の日常が……常識が破壊されるようなシーンが目の前で展開されている。
「もう……!」
ミレイが膨れた。
キリヲは当然ミレイの言葉が自分に向けられたものである事を理解している。
その上でサボりつつ、ついでにアキラに意地悪をしている。
仕方がない。
全部自分一人でやるしかなさそうだ。
こうしている間にも川からは新手が上がってきている。
……というか、こいつらを蹴りまくっているとブーツが濡れてきて気持ちが悪いのだ。
生臭い匂いも移ってしまっているようだしもう処分しなければなるまいか……。
「お気に入りだったのに。覚悟しなさいよ……!」
鋭く目を細めて廃棄(予定)のブーツの弔い合戦に挑むミレイであった。
……………。
戦闘そのものは十分足らずの出来事であった。
河原に累々と転がっている謎の生き物たち。
結局見た目の違う生き物は一匹もいなかった。全てが同じ種のものだ。
最終的に数は二十八匹。
何匹かは逃走を試みたもののミレイからは逃げられなかった。
「こんなにいるなんて……」
ハァ、と重たい息を吐くミレイ。
疲労を感じるような力量の相手ではなかったがびしょびしょになってしまった左のブーツからくる不快感で精神的な消耗を感じる。
「キリヲ。……あれ? キリヲは?」
周囲を見回すミレイ。
いつの間にか……キリヲが姿を消している。
その場にいるのは未だに立ち上がれずに震えているアキラだけだ。
「あてはこっちどすえ」
……すると脇の草むらをガサガサとかき分けて黒いセーラー服の少女が現れた。
飄々としている彼女をミレイがジロッと睨む。
「どこに行っていたのよ」
両手を腰に当ててわざとらしくお怒りのポーズをするミレイにキリヲは軽く首を傾ける。
「あてはあてでお仕事しとおしたんえ。あっち……見てきておくれやし」
「……?」
訝し気に眉をひそめつつキリヲに言われるままに草むらの向こう側を見に行くミレイ。
「あっ……」
そして彼女は驚いて動きを止めた。
そこには無数の重武装の男たちが地面に倒れて呻いたり痙攣したりしていたからだ。
この格好には見覚えがある。
例の対岸の会社の警備員たちだ。
どうやら彼らはこちらを……戦うミレイと怪生物たちを密かに見張っていたようだ。
「殺して……ないでしょうね?」
ミレイの問いに対してキリヲは言葉ではなく軽く口の端を上げて応える。
そんなへまをするわけがない、とでもいうかのように。
ともかく……これでブルーコーラル社が関与していることはほぼ確定か。
ミレイはそうであろうと思ってはいたが。
──────────────────────────────────────
結局、意識を取り戻した警備兵に連絡を取らせて深夜の内に怪生物は全て会社から来た大型車両で回収されていった。
予め準備がされていたらしく、車両の到着は早く作業もスムーズであった。
本来は警備兵が怪生物を駆逐し回収するという手筈だったのだろう。
ミレイたちは一旦宿に戻ってしっかり休息をとって日が昇ってから改めて会社に出向く。
真相を問い詰める彼女たちに対し、社長を始めとして何人かは白を切るつもりであったが複数名が正直に真実を暴露する。
何しろ彼らは超人が乗り込んできたという事で怯え切っていた。
件の生き物は秘匿名『DEEP-1』……軍事目的で遺伝子操作によって生み出された水陸両用の生体兵器である。
そのDEEP-1の幼体が数年前に手違いから逃げ出してしまったというのが今回の事件の始まりであった。
自然界では長くは生きられないと考えられていたDEEP-1だが強靭な個体が存在し秘かに繁殖していた。
そこからはミレイの予想した通り。
周辺の魚を食い尽くして激減させてしまったDEEP-1は新たな餌を求めて陸上にも姿を現すようになったという事だ。
こうして……事件の真相は明らかになった。
これを漁業組合に報告すればミレイの仕事は完了する。
その後の事は関知するところではない……が。
流石にここまで関わってしまってこれで手を引くというのも気が引ける。
なのでミレイはもう少しおせっかいを焼くことにした。
自分たちが漁業組合……町の人々との間に入ってブルーコーラル社と交渉する。
その結果、真相について口を噤むという条件で会社は町と組合に対して賠償金を払い、更には環境の復元にも人とお金を出すということで手打ちとする事になった。
その他の和解の条件は、まだ見つかっていないDEEP-1の発見と駆除には町の人々も協力すること。
数日後にこの事件は新聞の端に小さく載る事になる。
そこには火倶楽郊外の川沿いのエリアで「危険な外来生物」が発見されたので駆除されたと記されていた。
─────────────────────────────────────
煌神町への帰路。
「あれでよかったんですのん?」
アキラの車の助手席に座るキリヲが後部座席のミレイに声をかける。
「そうね……あの辺が落としどころじゃない? あれ以上ゴネたらガイアード社も本腰を入れて揉み消しに掛かってくるかもしれないし。そうなれば更に面倒なことになるだけで誰も幸せにならないわ」
ブルーコーラルはガイアード系列の会社だ。
上部組織であるガイアードカグラがその業務内容を把握していなかったはずはない。
ミレイたちが騒いで事件を露見させればガイアードはブルーコーラルをトカゲの尻尾にして切り離しにかかるだろう。
ブルーコーラルは独断で非合法の研究をしていたとされて会社はなくなる。
そうなれば補償も不十分になる可能性が大きい。
『澄み切った水には魚は住めない』
皇国で暮らしていた頃に父が言っていたことがある。
ミレイも権力の世界の中心部で暮らしていた時期もある娘。
その辺りのバランス感覚は身に付いている。
世の中は何もかもを暴き立てれば上手く回るというものではないという事だ。
「ホントに……ごめんよ。俺、なんの役にも立たないで……ビビってばっかで」
そんな中、一人車内に陰鬱なオーラを放っているのは運転手である。
ハンドルを握るアキラは未だに落ち込んでいる。
はぁ、と湿った大きなため息をつく彼。
後ろからキリヲを睨むミレイ。オマエが余計なことを言うから……という目で。
そんな視線に気付いているのかいないのか、キリヲは涼しい顔をしているが。
「ぶっちゃけちゃうけどさ、俺今までケンカとか一切したことがなくってさ……恥ずかしいんだけど」
「人に暴力を振るったことがないという事の何が恥ずかしいのよ。むしろ誇るべき事でしょう、それは」
それは別に慰めではなく本心からの言葉だった。
ミレイは人を傷つけない生き方を尊いとしながらも戦う生き方を選んだのだ。
自分の為に戦ってくれたユカリと同じ生き方をしたいと思って手を汚す覚悟を決めた。
ミレイにしてみればアキラは車を出してもらったというだけで十分以上にあれこれと助かっているのだが……。
ミレイが思うにアキラは根が生真面目過ぎるではないかと思う。
その事と思慮深さで自縛してしまっている。
生真面目と不真面目、コメディアンとしてはどっちがいいのかはわからないので何とも言えない。
「俺はダメなやつだ……! あそこで戦えないやつが……人を楽しませる事なんてできるわけないよなッ!」
「どういう発想? 剣闘士になるの?」
真剣に言い放つアキラに半眼になるミレイであった。




