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消えたお魚さん事件

 依頼主は日焼けして皺だらけの厳つい四角い顔に灰色の髪を短く刈り上げた小柄な老人であった。

 灰色の作業服に長靴という出で立ちだ。


「公害ですわ。でもなきゃ、こんな事はあり得ん事です。私ぁ五十年以上この仕事してますがね……今までは一度もなかった」


 軽く興奮気味の老人が早口で言う。

 黒羽(クロバ)探偵事務所の午後。

 この客を迎えて話を聞いているのは所長代理の比良坂(ヒラサカ)ミレイだ。


 老人は火倶楽を横断する叉牟那川(サムナガワ)の下流域の漁業組合の組合長である。


 老人の依頼の内容とはこうだ。

 数年前から彼らの組合の管轄の河川域での漁獲量が極端に落ちてきた。

 特に今年に入ってからは深刻であるらしい。

 組合長はその原因が上流にある化学薬品の工場にあると考えているようだ。

 工場から有毒な廃液が漏れ出しており、そのせいで魚が減ってしまったのだと。


「水質の検査は行ったんですか?」


 ミレイが問うと老人が肯く。


「ええ、やってもらいましたよ。統治局から人に来てもらって」


 不機嫌に鼻を鳴らした組合長。

 彼は喋り続けて疲れたのか自分を落ち着かせるためか湯飲みのお茶を一息にぐいっと呷った。


「ですがね……問題はないっちゅうんですわ。そんなわけないのにですよ。じゃあ他になんだって話です。聞けばガイアードと統治局はずぶずぶだっていうじゃないですか。肩入れしとるんでしょ。揉み消しですわ」


 どうやら水質調査の結果問題は見つからなかったらしい。

 その事に組合長は納得していないようだ。


 ミレイは考えている……。


 確かに統治局とガイアードカグラ社は繋がりがある。

 ……しかし統治局が公害の事実を秘匿してまでガイアード社の肩を持つだろうか?

 それには疑問を覚えるミレイだ。


「ほとほと困り果てておった時に、この辺に住んでる弟がこちらを紹介してくれましてな。頼りになる先生がいるから相談してみろって。何とかお願いしますわ」


 両足に手を置いてソファーに座った老人が深々と頭を下げる。


「わかりました。調査してみますね」


 どの程度力になれるのかはわからないが、と内心で付け加えつつも依頼を引き受けるミレイであった。


 ────────────────────────────────────────


 組合長が引き上げていってから作戦会議に入る。

 ……とはいっても自分の他には黒いセーラー服の少女が一人。

 すっかり事務所の住人になってしまったキリヲ。

 ミレイが自宅に帰ってからも彼女はここで寝泊まりしている。

 以前の住まいだった廃寺は手放してしまったのか? と思ったがそういうわけでもないらしい。


 ……まあ、なんであれいるのなら手伝わせるだけだ。


「水温が変わってもうて魚の生息域が変わってしもたいう話やおへんの?」


 開いた窓の枠に腰を下ろしているキリヲ。

 依頼に関してはさして興味はなさそうではあるものの、協力を要請すると別に嫌そうな顔もせずに承諾してくれた。


「それは私も考えたけど、仮にもプロ? のあの人たちがそんな事もわからないで公害だとか騒ぐかしら」


 釈然としない様子でミレイは首を傾げている。

 ノート型のPCで火倶楽の地図を映し出し、更に一部を拡大する。

 問題の川沿いの地域だ。


「やっぱり距離があるわね。ここからだと車でスムーズにいっても3時間か……」


「あんたはんのスケートでカッ飛んで行けばすぐでっしゃろ」


 くすり、と笑って言うキリヲ。


 ミレイは靴底に魔力の刃……エーテリアルエッジを生成してそれで自在に滑走することができる。

 その最高速度は常人が目で追えるようなものではない。

 併せて空中に帯のように魔力の道エーテリアルウェイを生成することでそこを滑り空中を移動することも可能だ。

 便利な能力ではあるが万能というわけでもない。


「……都市伝説になってしまうわ、私が」


 フッと乾いた引き攣り笑いを浮かべるミレイである。

 昼間に空を滑っていれば嫌でも人目を惹くし夜では淡く光っているエッジとウェイが目立ちすぎる。

 これを用いての隠密行動は不可能だ。


「私は免許持ってないし足代わりの人を連れまわすわけにもいかないから電車で行きましょう。時間は余分に掛かるけど向こうで何泊かすれば問題はないわ」


 言いながらミレイは早くも路線図を表示して頭の中でタイムテーブルを組み立てている。


「気張ってはりますなぁ。……その辺りの名物はなんどす?」


「観光に行くわけじゃないんだから」


 画面から顔を上げて苦笑するミレイであった。


 ────────────────────────────────────────


 翌日。

 早朝から電車に揺られること3時間半。

 そこから更にバスに乗り換えて40分。


「何や、えらい辺鄙なとこどすなぁ」


 バスの窓から流れる景色を眺めつつ、結構大きな声で言うキリヲ。

 慌てつつそんな彼女をジロッと睨むミレイ。

 幸いにして周囲の少数の乗客は彼女の言葉に反応は示さなかったようだが……。


 火倶楽は広大な都市だ。

 中心部の大都会から離れて郊外へ出れば風景は一変する。

 表立って同意はできないもののキリヲの言葉はそのままミレイの心中を表してもいた。

 窓の外に広がっているのは鄙びた田舎の風景である。

 山を背負って田畑が広がり……時折数件纏まった家屋がぽつりぽつりと。

 見かけるのはお年寄りばかり。

 そういえばこのバスの乗客も運転手も自分たち以外は皆高齢者だ。


 それにしても……。


 相変わらずキリヲは黒のセーラー服姿。

 自分は見慣れてしまっているので深く考えなかったがどういう体で彼女を連れまわせばいいのだ。


「着いたら別行動にしはったらええんどすえ」


 自分の視線から言わんとしているところを察したか、そう言ってキリヲはふふ、と妖しく笑った。


 そうして……。


 バスから降り立つと有言実行とばかりにさっさと姿を消してしまったキリヲ。

 見知らぬ土地にミレイは一人ぽつんと立つ。

 ひとまず漁業組合に向かって到着を報告しようと思い彼女は道行く農家らしき老婆に道を尋ねた。

 腰が曲がった小柄な老婆は迷惑そうな様子を隠そうともしなかったが道は教えてくれた。

 フレンドリーとは真逆の対応ではあるが無視されなかった事だけは救いか……。


 中心部ではまず見られない赤茶けた土が剝き出しの道路を歩きながらミレイが小さく嘆息する。


(なんというか……暗い。集落全体に元気がないのよね。まだ限界集落というわけではないと思うのだけど)


 過疎まではいっていないが何とも寂しい土地だ。

 エリアの中心部分まで行けばちょっとした市街になっていて学校も大きな病院もあるので若い世代もいるにはいるのだろうが……。


(火倶楽の中にもこんな土地があるなんてね。煌神町から普段出ない身としては新鮮だわ)


 天気のせいもあるのだろう。

 灰色の雲が垂れ込める空を見て思うミレイであった。


 ────────────────────────────────────────


 組合に顔を出して挨拶をした自分を、組合長は早速川沿いへと連れ出した。


 ……まず驚いたのは河の広さである。

 向こう岸がギリギリ見えているというレベルで遠い。

 ゆったりと流れる大河だ。


「そんで……あれが例の会社ですわ」


 組合長が指さした先には……遠い対岸に建っていてもよくわかる威容。

 白い箱を繋ぎ合わせたような単純なデザインながらも巨大な建物は件のガイアード系のバイオテクノロジーの大手企業ブルーコーラル・バイオテック社の本社兼工場だ。


 ブルーコーラル社の主な業務についてはここへ来る途中に調べてある。

 主に医薬品の研究開発と製造を行っている会社だ。

 少し風変わりなのは主力製品は人用のものではなく、家畜等の動物用の医薬品であるという事だ。


「先生には是非あいつらのやってる事を暴き出してもらって、とっちめてやってほしいんですわ。一つよろしくお願いしますよ」


 組合長に頭を下げられてミレイは恐縮してしまう。

 所長代理といえバイトの身分で先生とは烏滸がましいにもほどがある。


 ……………。


 組合を後にすると今度はミレイは役所へ向かう。

 統治局にも顔を出して例の水質検査の話を聞こうというのである。

 一方の話だけを鵜吞みにして調査を進めるわけにはいかない。


 役所までは組合長が軽トラで連れて行ってくれた。


「ええ、ええ、やりましたよ検査。あれはえーっと、どこだったかな……」


 応対してくれたのはスーツ姿の痩せた中年男性の職員だった。

 どことなく疲れた感じのする彼はファイルを調べてあるページを開いて見せてくれる。


「これです。これっぽっちも問題はありませんでした。そもそも水質検査は定期的にやってますからね。おかしな数値が出てくればもっと前に問題になってるはずなんですよ」


 はは、と職員は力なく笑っている。

 見てみたが……知識のないミレイには正直どの数値がどうなのかがわからないのでどうしようもない。


「組合の人達はねぇ……。もう最初っからブルーコーラル社が悪いと決めつけて話を進めてますからね。我々としてもどうにもならんのです。以前に会社がここへ本社と工場を建てるってなった時も住民がものすごい反発しましてね。河が汚れるとか土地が汚れるとか……。会社側と我々がいくら大丈夫だって説明してもろくに信じてもらえんで。それで今回の話でしょ? ほらみたことか! っていきり立っちゃっててねえ」


 聞いていると何とも気が滅入ってくる。

 そこまで住人たちが頑迷固陋の状態に陥ってしまっているのだとしたら自分が会社に問題はないという調査結果を出した所で聞き入れてはもらえないのではないかと思う。


(とするのなら……会社の公害問題の潔白を証明するのではなく、魚が減ってしまった原因を解明するべきね)


 それが会社が無関係の原因なら自動的にそちらの潔白を証明することにもなるだろう。


 思い立って歩き始めるミレイ。

 軽トラはもう戻ってもらっている。ここからなら宿までは歩きでも十分だ。


「………………」


 鞄を手に町中を歩く。

 さすがにこの辺りの道路はきちんと舗装されており土は見えていない。


 ふと、違和感を覚え周囲を見回す。

 何人かと目が合った気がする。

 そういう者たちはそのままスッと視線を外してくるのだが。

 老若男女……共通点はない。

 ただ、見られている気がする。


(こういう土地だし、見ない顔が珍しいのかしらね)


 何となく首筋の後ろ辺りに薄寒いものを感じながら足を速めるミレイであった。




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