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或る魔人の死に

 ……気が付けば天井を見上げていた。


「………………」


 チカチカと瞬く体育館の照明を見上げながらミレイは茫然としている。


「どないどす?」


 そんな自分をキリヲが見下ろしている。

 それで少し冷静になったミレイは自分の身に何が起こったのかを頭の中で整理した。


 ……キリヲに手合わせを頼んだのだ。

 超人(オーバード)として戦えるようになった自分を彼女に見てほしかった。

 それと同時に超人(オーバード)としての久遠寺(クオンジ)キリヲを見てみたかった。


 言うまでもなくキリヲはミレイにとって高校の同級生であり友人である。

 相手がどう思っているのかは知らないが少なくとも自分は親友だと思っている。

 そんな彼女が超人(オーバード)であるという事は話で聞いているだけで実際に彼女が戦っている場面は見た事がない。

 とても強いという事は知っている。


 では、実際にその強さはどれ程のものなのか……。

 それを直に肌で味わってみたかったのだが、これはそれが叶ったと言っていいのだろうか?


 自分を投げた……はずのキリヲは何でもない事のようにただそこに佇んでいる。

 いつもの全てを見透かしたような薄笑みを口元に浮かべたセーラー服の彼女。

 自分はバッチリトレーニングウェア姿なのに彼女は着替えてもいない。


「それで……どないしはりますのん? まだ続けはるいうんやったらお相手しますえ」


 差し出された手を握って身体を起こしつつミレイは首を横に振った。


「いいえ、ここまでにしておきます。ありがとう。多分何度やっても理解できることはなさそう……今はね」


 苦笑しながら大きく息を吐く。

 基礎学力がないのに難関大の過去問に挑んでも得られるものは何もない。

 これもそういう事だ。自分はまだキリヲと戦う事で何かが得られるようなレベルにはいないのだ。


「それにしても……驚いたわ。強いという事は知っていたけど、師匠と同じくらいなのかなって思っていたのに」


 ミレイの師匠、魔女アムリタ。

 彼女に神秘武闘(エーテリアルアーツ)を教え込んだ女性だ。


「あの人は魔女……術士どす。並ばれたらあては武術家の看板下ろさなあきまへんえ」


 はっ、と呆れたような息を吐くキリヲ。


 そうは言ってもアムリタは神秘武闘(エーテリアルアーツ)の開祖である武術家でもあり、数多の超人(オーバード)の猛者たちを格闘戦で圧倒する事の出来る実力者なのだ。

 そしてキリヲが純粋な武術家かというと、それもだいぶ怪しい。

 彼女は彼女で東洋の妖術や呪術を多種使いこなす術士の一面もある。


「聞き捨てならないわねッ!」


 突然体育館の入り口から響き渡った女性の声。

 見れば翡翠の髪の体操服の少女がそこで腰に手を当てて仁王立ちしている。


 キリヲが露骨に「うわ面倒くさいのが来た」というふうに顔を歪めた。


「……師匠」


 驚くミレイ。

 どこから嗅ぎ付けて来たのだろう。

 この手合わせは小一時間前に事務所で決まってそのまま自分たちはここへやってきたというのに。


「私の神秘武闘(エーテリアルアーツ)は日々進化しているわよ! もうキリヲ(あなた)の知る私は過去の私! 今日は一つその貴女の持つ私のイメージを更新してもらう事にしま……あぁッ!!? ちょっと!! 待ちなさいってば!!!」


 出入り口をアムリタが固めているのでキリヲは窓へ向かうとそれを開け放ち、お行儀悪く窓枠に足を掛けた。


「やってられまへんわ。あては失礼させてもらいまひょ」


 それだけ言い残すとキリヲはひらりと窓を乗り越えてどこかへ消えてしまう。


「……あーぁ、行っちゃった。折角着替えて来たのに……」


 窓へ駆け寄って外にはもう誰もいない事を確認するとアムリタは大きなため息を付く。

 何故彼女は毎回ブルマなのか。その答えは彼女の持つ動きやすい服のイメージだ。

 アムリタの装束は特殊な魔術繊維で編まれていて着ている者の魔力とイメージに反応して自在に見た目を変えるのである。


「大体何なのよ、もう。何年も姿を消していて戻ってきたのに顔も出さないで……」


 アムリタの姿がノイズが掛かったように揺らぐとそこに立っていたのは簡素な神父の装束に身を包んだ物静かな翡翠の髪の美青年……ジェイド。

 彼女が彼に姿を変える時、同時に着ている物もそれに合わせてイメージ通りに形を変えるのだ。


「用が済んだのなら出なさい。施錠する」


「は、はい……」


 アムリタともジェイドとも、もう四年の付き合いになる。

 だがこうして実際に目の前で姿を変える所を見ても未だにミレイは二人が同一人物であるという事がピンときていないのだ。


 ……別人すぎる。


 見た目や性別の問題ではない。

 それぞれの姿の時で考え方や性格まで異なっているように見える。

 それはもう演技という次元の話ではない。

 ほぼ二重人格だ。


 ─────────────────────────────────────


 体育館を出た後、ミレイはジェイドに招かれて久しぶりに母校の校舎の中へ足を踏み入れた。

 ほとんど彼が私室として利用している生徒指導室でコーヒーを出される。


「その後、例のブラッドレインの動きは?」


「今の所は何も……」


 ジェイドに問われて答えたミレイが首を横に振る。


「もう誰かの依頼があるわけではないですし……。向こうからちょっかいを掛けてこない限りはしばらく静観しようと思っています」


 連中は気にはなるが自分はボランティアの正義の味方ではない。

 事務所を任されていて運営していかなければならない身だ。

 どこからも報酬の出ない話にいつまでもかかり切りになっているわけにはいかない。


「彼らの目的がわかればいいんだがな……。こちらも気を付けておく」


 静かに肯いてマグカップを口へ運ぶジェイド。

 アムリタとの数少ない共通点……どちらもコーヒー党だ。


「先生、赤い雨に当たった人が超人(オーバード)になるってどういう事なんですか?」


「わからない。聞いた事がない事例だ」


 数百年の時を生きる超人(オーバード)であるジェイドも知らないという。


「だが、あの夜は大きな事件があった。樹海に関したテロの事だけじゃない。恐るべき力を持った一人の魔人が死んだ」


 肯くミレイ。その話は聞かされている。


 魔人ゼクウ……驚くべき事にその正体は自分の祖先。

 皇国の幕府の開祖たる嘉神(カガミ)征崇(マサタカ)であったという。

 飽くなき戦いを、強敵を求めた魔人はユカリに敗れて滅び去ったはずであったが……。


「僕は奴と戦った事があるが……あれはまさしく超人(オーバード)すらも超えた何かだった。並の超人(オーバード)であれば何十人分もの魔力を持っていた。もしも、あの怪物が死に際して己の力を周囲に撒き散らしたとすれば……」


 それが……紅い雨で。

 ゼクウの力の継承者たちがブラッドレインなのかもしれない、とそこまでは言葉にはしないジェイドだったがミレイにはそう読み取れた。


「我が家のご先祖様がはた迷惑で申し訳ありません……」


 やるせない気分で頭を下げるミレイであった。


 ────────────────────────────────────────


 同時刻。

 黒羽探偵事務所の入っている雑居ビル前。


『…………………』


 一組の男女が無言で対峙していた。


 一人はモノブロックサングラスの傷顔のスーツの男……リゼルグ・アーウィン。

 そしてもう一人はラフな格好をして紙袋を提げた青髪の無表情な美女、ルクシエル・ヴェルデライヒ。


 奇しくも二人は同じ人物を尋ねてきてこの場所で鉢合わせになった。

 過去に一方的に危害を加えた側と加えられた側。

 ルクシエルがリゼルグに昏倒させられ拉致されてから実に四年ぶりとなる再会である。


「色々と……」


 たっぷり一分近くも無言で見つめ合ってからようやくリゼルグが掠れた声を出した。

 傷が多くわかりにくいが彼は若干頬を引き攣らせている。


「私に言いたい事があるだろうが、一先ず場所を変えないか。この場での悶着は君も望むところではあるまい」


 リゼルグにしてみれば現在の主人といってもいい娘の職場前だ。

 個人的ないざこざで騒ぎを起こしたくはない。

 とはいえ意趣返しをされたとてそれを拒む権利はない身であることも承知している。

 ある程度のことは甘んじて受けねばなるまいと彼は覚悟する。


「ん、別に……私はあんたと話したい事は何もない」


 だが意外なことにルクシエルはそう言って首を横に振った。


「私はユカリに言われて差し入れ(これ)を届けにきただけ。あんたに用はない」


 手にした紙袋を示すルクシエル。

 そんな彼女にサングラスの内の目を細めるリゼルグ。


「私とのことは水に流すと?」


「別にそうは言ってないけど……」


 ルクシエルがリゼルグの顔と喉の無残な傷跡を見た後で視線を彼の右手に移す。

 片方だけ黒い皮手袋をしている彼。その内側が生身のものではない事をルクシエルは知っている。


「あの日、あんたは私の分までユカリに酷い目に遭わされてるからあの件はそれでいい。それに……」


 目の前の男から視線を外し小さく嘆息するルクシエル。


「ユカリと一緒にいればあの程度のことはいくらでもある。あれは弱い私も悪かった」


「……………」


 なるほど、とリゼルグは得心がいった。

 彼女の今の気持ちの余裕は強さからくるものかと。

 随分と成長している。以前はまったく感じることのなかった圧を彼女から感じるのだ。

 あの時より自分はかなり強くなっているというにも関わらず……差を詰められている。

 当時はどう手加減しようが負けることはあり得なかったのに、今の彼女には本気でやってももう確実に勝てるとは言い切れない。


 ……現在のルクシエル・ヴェルデライヒは黒騎士(オルドザイン)上位陣の世界にもう指先を掛けているのだ。

 飛躍的な成長である。

 独力でそこまでいくのは相当難しいだろう。

 余程いい師に付いたのか……だがユカリが彼女をそこまで厳しく指導するだろうか?


「聞いてる感じじゃ真面目に勤めてるんでしょ? なら私はもうそれでいい。あんたが変な事をすれば雇い主が悲しむし、そうなったらユカリも悲しむと思う。私が嫌なのはそれだけ」


 ルクシエルはグイッと持っていた手提げ紙袋をリゼルグの胸板に押し当てる。


「ユカリからだって言ってミレイさんに渡して。私は帰るから」


 紙袋をリゼルグに渡すとルクシエルは歩いて行ってしまう。

 一度も振り返ることなく涼やかに颯爽と……。


 その後ろ姿に無言で頭を下げるリゼルグであった。



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