意に介さず
行方不明だった男は既に命を落としていた……。
学習塾経営者、布場ケント……彼は無残な遺体となって発見された。
亡骸の劣化具合から行方不明になってすぐに彼は命を落としていたらしい。
つまり黒羽探偵事務所に夫人が捜索依頼を出した時には既に彼は故人だったという事だ。
結果として悲劇は避けられなかったが……こうしてミレイは所長代理としての初仕事を完了した。
……………。
閑静な住宅街の夜。
路地に二つの靴音が響いている。
並んで歩いているのはトウガとミレイ。二人とも喪服だ。
布場ケントの葬儀から帰る途中である。
ここの所ずっと連絡つかずの状態であったというのにミレイがケントの葬儀に顔を出そうと思っていたら何故か当日に喪服で姿を現したトウガ。
彼は今回の件には一切ノータッチだったというのにだ。
そのトウガは葬儀場が見えない位置まで歩いてくると早速鬱陶しそうに黒ネクタイを外してポケットに突っ込んでいる。
「お前な、言っとくがあんま余計なモンまで背負い込むんじゃねえぞ」
「え?」
唐突に言われたミレイが驚く。
身長が30cm近く違うので間近でトウガの顔を見ようとすると見上げることになる。
「死んじまったおっさんの事だ。奥さんが仕事をうちへ持ってきた時にはとっくに仏さんになってたっていうじゃねえか。お前は十分できる事をやってちゃんと依頼を達成した。この話はそれで終わりだ。それ以上の事は考えんな」
「そう……ですね」
肯きつつもどこか釈然としない様子のミレイである。
トウガの言うことはもっともなのだがこの事件についてこれ以上考えないというのも中々難しそうだ。
色々な意味でショックの大きい出来事だった。
「つっても……俺も子供がああやって泣いてる場面ってのはどうにもしんどいぜ。シラフじゃ帰る気ならんしちっと飲んでくわ。お前はどうする?」
トウガが言っているのは先ほどの葬儀の事だろう。
布場ケントの小学生の娘二人が泣いていた。号泣ではなく声を殺して静かに泣いていた。
その光景はミレイの胸にも暗い影を落としている。
「私は……事務所に寄ってから帰ります」
「そうか。ま、ゆっくり休みな」
そう言ってトウガは繁華街の方角へと消えていく。
大きな後姿を見送ってからミレイも事務所の方へ歩き始める。
(……少し疲れちゃったな。今日は事務所に泊まってしまおうかしら)
歩きながら下を向いてミレイが大きめのため息をついたその時……。
「……!!」
顔を上げて彼女は驚愕する。
周囲の光景が一変してしまっていたのだ。
夜の住宅街だったはずが……朽ち掛けた屋内になってしまっている。
明かりもなく暗く静まり返った大きな建物の廊下に立ち尽くす自分。
(廃墟!!? ここは……学校!!?? どうなっているの!!!?)
長く伸びた廊下。
ガラスが割れてしまった窓。
扉が外れてしまっている入り口から除く室内の光景は……並んだ机と椅子、前方には黒板。
教室だ……。
身構えるミレイ。
その頬を冷たい汗が伝う。
理解不能の状況である。
住宅街の路地を歩いていたはずなのにいつの間にか見知らぬ廃校舎の中にいる。
一つだけなんとなくわかるのは……自分は今何者かの攻撃を受けているということ。
確かな自分に向けられた悪意を感じる。
不意にガタガタと音が聞こえて前方の教室の出入り口から何者かが廊下にヌッと姿を現した。
それを初めはミレイは人ならざる異形が姿を見せたのだと勘違いする。
何故そう思ったのかというと、相手の巨体ゆえだ。
ついさっきまで一緒にいたトウガは190cm強の体躯をしているが、その彼よりも明らかに大きい。
確実に2mは超えているだろう。
そして縦にだけではなく横にもデカい。
肥満気味の体型で腹が出っ張っている。
ぼさぼさの黒髪に細い目。年齢は見た目からはよくわからないが二十代か三十代くらいだろうか。
恰好はTシャツにデニムパンツ姿だ。
太った巨漢は億劫そうに首を動かしてミレイを見た。
朽ちかけた薄暗い廊下に一気に緊張感が満ちる。
無造作にこちらに向かって歩を進める肥満の男……彼の履いているスニーカーの靴底でパキッとガラス片が踏み割られる音がした。
「紅い雨に打たれたことはあるか?」
「……?」
唐突に口を開いた男。
言っている意味がわからずに眉をひそめたミレイ。
場が数秒間沈黙した。
「違うな。……だが超人だ。別口か?」
返答はしなかったが、肥満の男はミレイの反応から凡そのことを察したらしい。
ボソボソと言いながら更にミレイに迫ってくる。
そして、ミレイは緊張し警戒しつつも男の言葉を脳内で反芻していた。
目の前の巨大な男は超人だ。纏った魔力でわかる。
「じゃあ、貴方は紅い雨を受けて超人になったという事かしら?」
ミレイの言葉に男がニヤリと笑った。
それが返事だ。
「俺の名前は堂丸リキヤ。よろしくなぁ」
名乗りながらリキヤが太い腕を伸ばしてくる。
「まぁ、すぐにお別れになるかもしれないけどなあ」
こちらを鷲掴みにしてこようと向かってくる大きな手に向けてミレイはフッと鋭く呼気を吐いた。
「ハッ!!!」
跳躍する。
後方へ宙返りしながらリキヤの腕を蹴り上げる。
虚空に綺麗な円を描くサマーソルトキックだ。
リキヤの動作は緩慢だ。確実に命中する。
そのはずが……。
「!!?」
ミレイは空中で驚愕して顔を強張らせた。
空振りした……?
いや、完全に当たっていたはずだ。
それなのにまるで実体のない幻影を打ったかのようにミレイの蹴りはリキヤの腕を透過してしまった。
「おぉ~っ、カッコイー。綺麗な宙返りだな」
呑気に感想を口にしつつ、着地するミレイの……その首を掴んだリキヤ。
ミシッと軋んで首に一気に圧迫感を感じたミレイが苦しそうに表情を歪める。
「グハハハッ、捕まえたぜ」
「……ッッ!!!!!」
必死に振り解こうともがくミレイだが……。
彼女の両手はリキヤの右腕に触れることができずにスカスカと通り過ぎてしまうのだ。
触れない。触れることができない。
相手は自分を掴んでいるのに、こちらからは相手に接触することができない……!
「俺からは触れるんだよ。だけどお前は俺には触れねえ……厄介だろ? これが俺の異能『意に介さず』だ」
嘲笑って手に更に力を入れてくるリキヤ。
堂丸リキヤ……透過の超人。
「色々と話を聞かせて貰うぜ。お前は何でフバ先生の事を探ってた? どういう関係だ? その辺りをじっくりとなぁ」
リキヤの口から布場ケントの名が出た……。
この男が彼の死に何か関わっている可能性がある。
それがわかってミレイの瞳には静かな闘志の炎が宿る。
冷静になれ、そう自分に言い聞かせる。
師であるアムリタの言葉を思い出す。
『超人の能力っていうのはどれも例外なく魔力を介したものだから対抗策も魔力よ。それが全部の基本、忘れないでね。意味わかんない攻撃を食らってもパニックにならずに冷静に魔力で対処するようにね』
(超人の能力は……全て魔力!)
魔力とは、意思を現実にする力。
掴まれている首に魔力を集中する。
相手の透過を許さない……引き剝がす!!!
「ぬおッッ!!!??」
今度は……リキヤが驚愕する番だ。
バチッ! と電気ショックを受けたように彼が右手を離して引っ込める。
「はぁ……ッ!!」
拘束が解かれてミレイが大きく息を吐いた。
「やるもんだなぁ。相当場慣れしてんのか……?」
軽い痺れが走っている右手を左手で擦るリキヤの顔から薄笑いが消える。
通常、自分は触れないのに相手は触ってくるとなれば混乱しパニックに陥るものだ。
そうなれば集中は乱れて魔力を上手く扱えなくなる……そうなれば自分の思う壺である。
だがミレイはその落とし穴には嵌らずに冷静に対処して自分の拘束から逃れた。
「フフッ、だがよぉ。全部の攻撃に俺の透過を警戒しながら魔力を集めておくってのは中々大変でツラいんじゃねえのか?」
「……………」
再び余裕の笑みを顔に戻したリキヤ。
反対に警戒するように目を細めたミレイ。
この男の言う通りだ。
攻撃に一々透過を妨害するための魔力を使っていたのでは消耗が激しい。集中が必要な分精神面でもだ。
少ない手数で確実にダメージを与える必要がある。
しかし、この男は見るからにしぶとそうだ。
……場合によっては逃げることも考えなくては。
しかしここはどことも知れぬ廃校舎。
直観だが、窓から飛び出し外へ逃げたとしても……逃走は叶わないような気がする。
「逃げようったってそうはいかねえぞ。ここは現実の空間じゃねえからなぁ」
ミレイの考えを見透かしたようにリキヤがそう言ってきた。
自分が感じていた通りここは特殊な空間なのだ。
これを作ったのは目の前の男ではないだろう。
だとすれば……もう一人いる?
その時、階下からガシャン! と派手にガラスが割れる音が聞こえてきた。
ミレイも……そしてリキヤも同時に怪訝そうな表情になる。
「おい、何だ今の音は?」
リキヤが聞いている……誰もいない虚空に向かって。
やはり仲間がいるらしい。
ただ、その何者かの姿は見えない。
「あァ? 侵入者? どういう事だ……何でお前の『学校の怪談』に外から入ってこれる奴がいるんだよ!!」
苛立たし気に声を上げる肥満の男。
ミレイの耳には返答らしき声は聞こえなかったのだが、相手にだけ聞き取ることのできるやり取りがあったようだ。
……コツン、カツン。
靴音が……聞こえてきた。
階下から誰かが階段を上ってきている。
「七段、八段」
女性の声が聞こえる。
階段を数えながら上ってきている。
「九段、十段、十一段」
「…………っ」
ミレイの目尻に涙の玉が浮いた。
泣いている時ではないとわかってはいるのだけど。
だけど……自分はこの声の主を知っている。
「十二段……十三段。おやまぁ、一段多おすなぁ」
姿を見せたのは……長いストレートの黒髪に黒いセーラー服の美少女だ。
手には黒い番傘を持ち彼女は革靴を鳴らして廊下にやってくる。
「……キリヲっ」
「おばんどすえ。ええお月さんどすなぁ」
久遠寺キリヲ、それが彼女の名だ。
紅の引かれた艶やかな唇に笑みを浮かべて廊下の奥の二人を見る黒髪の美少女であった。




