所長代理ミレイさん
『黒羽探偵事務所』の女帝、絶対的権力者である遊佐アヤメ。
常日頃から彼女は若者をからかい時として無茶振りもする女怪である。それは十分ミレイも理解している。
しかし本日の突然のアヤメ所長による後継者指名にはそのミレイでも咄嗟に言葉に詰まらざるをえなかった。
「あの……えっと」
頭の中で考えをまとめつつ、とりあえず眉根に皺を刻んだミレイが声を出す。
「所長、私はアルバイトですよ? 学生の」
「わかってるさ。時給は乗せてやるよ」
ギョロリと大きなガラス玉のような眼球を動かして老婆はミレイを視線で射抜いた。
場数を踏んだやくざ者でもたじろぐその眼光にもミレイは動じない。
代わりに彼女は短く嘆息する。
「そういう事ではなくてですね……」
念押しするかのようにもう一度、先程よりもさらに大きく相手にわかりやすく嘆息するミレイ。
しかし老婆はニヤニヤと意地悪く笑うだけだ。
この老獪な女傑には自分の言いたい事など当然わかっているはずだ。
「心配しなくても私はこの先もずっとアンタにうちの看板背負ってけなんて言う気はないよ。アンタはこの先、人を使う立場になろうってんだろ? それならこれはその練習だと思いな」
「だけど正式なスタッフの緒仁原先輩もいるのに」
「この男に事務所の切り盛りなんてできると思ってんのかい」
アヤメ所長はハッ、と鼻で笑った。
老婆に見上げられたトウガが「えぇ…」みたいに顔を歪めている。
「本業の道場の弟子が全員逃げちまったからここで働いてるような男だよこれは」
「バアさんそれ今どうでもいい話だろ!!!」
若干裏返った声で非難を叫ぶトウガ。
「先輩も何とか言って下さい」
横目でトウガを見て話を振るミレイ。
これでもこの無頼漢は超人であり、しかもほんの一部の上澄みである猛者なのだ。
自らが創設した武術の流派『天凱流』の師範であり道場も開いているのだが門下生は誰もいない。皆逃げてしまった。
そしてその事はこの豪快な大男の小さくはない心のキズであったりする。
「いいかぁ? よぉく聞きな……ミレイ」
すると筋肉質な巨漢は重々しく腕組みをして諭すような口調で語り始める。
もうその挙動だけで「あ、これはロクな事は言わないな」とミレイには理解できてしまった。
何だかんだ自分もここでアルバイトを始めて一年以上。スタッフのキャラというものは大体把握できているのだ。
彼が真面目な顔をするときは真面目な話をしない時だ。
「バアさんはお前にこの機会に社会ってモンを勉強しろつってんだ。俺も可愛い妹分の為に今回は大人しく退いとくとするぜ」
「面倒が回ってこなくてよかったって思っていませんか?」
フイッとトウガがミレイから目を逸らした。
トウガが向いたほうにミレイが移動するとまた顔を背けた。
「ホラホラ遊んでんじゃないよアンタたち。いいかい? 私は隠居するが肩書きはそのままにしとく。何かあったら相談してきな。ただし私に話を持ってくんのはアンタたちだけじゃもうどうにもできないってドン詰まりになった時だけだよ。どんな仕事を請けるのも断るのもアンタの判断でやるんだ」
「わかりました。やります」
歯切れ良く返事をしたミレイに満足げに笑ったアヤメ所長。
こうして……学生バイト比良坂ミレイの肩書きは黒羽探偵事務所所長代理になったのであった。
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……そうして一週間後。
「誰も来ない!!」
一人ぼっちの事務所。
所長の机で不機嫌なミレイが叫んだ。
「仕事が来ないのはしょうがないとしてスタッフも来ないじゃない!! あの筋肉ダルマっ!!」
……そうなのだ。
あの日、ミレイが所長代理となった次の日からトウガが出勤してこないのだ。
自分を差し置いて代理にミレイが選ばれた事に拗ねている……ワケではない。
純粋なサボりだ。
普段からサボりがちな男ではあるが自分が上司になった途端にまったく来なくなるのは露骨過ぎる。
ナメられている。
仕事は無いので結果としては休んでいるのは正解と言えなくも無い。
しかし確認の連絡があるわけでもないので仕事があったとしても来ていないという事だ。
「はぁ~~~~っ……」
べちゃっと机の上に潰れたようにミレイが伏した。
超人に覚醒して数年……。
何とかこの世界の役に立てないかと模索はしつつ、師であるアムリタの教えに従い日々の修練は欠かしていない。
とはいっても、超人の能力が必要とされる事態など来なければ来ないに越した事はないのである。
実際に四年前のテロの夜以来、ミレイが本格的に戦闘を行った日は一日もない。
それでも彼女が自分の能力を活かせる場を追い求めているのにはワケがある。
(……ユカリ、何してるかな)
スマホに手を伸ばしかけてそれを途中で止めるミレイ。
……仕事がヒマだから話し相手になってもらおうなどと、そんな面倒くさい女にはなりたくないと思い直したのだ。
『お宅、おねーさんの傍にいるのに相応しくねーですよ。わかってます?』
自分の心の中には四年前にエトワール・ロードリアスから受けたその指摘が今も棘のように刺さったままなのだ。
実際ユカリはすごい人だ。
美人で優しくて頭もいい。そして超人としても強い。
実際には欠点も多々あったりするのだが、それはミレイには見えていない。或いはわかっていても気に留めるには値しない。
素晴らしいところばかりが目に入る。
詳細は聞かされていないが、四年前の大規模なテロ事件でもユカリは首謀者であった超人を倒してしまったそうだ。
「私も……ユカリの婚約者として相応しい功績を立てなきゃ」
詰まるところ自分を追い立てているのはそこから来る焦りなのであった。
壬弥社ユカリの(自称)婚約者に相応しい人物にならなくては……というちょっと暴走気味の前向きさ。
しかし意気込むミレイとは裏腹に事務所に新たな依頼が舞い込む事は無く……。
更に数日が過ぎた。
……………。
「結局ね……私如きが何か社会の役に立ちたいだとか……そんなのはとんだ思い上がりだったのよ。これからは……身の程ってものを弁えて慎ましく目立たないように……生きていくわ……」
虚ろな目で何やらぶつぶつと呟いているミレイ。
「おぉ……ミレイちゃんが何やらヤバい方に行ってる!」
そんな彼女を見てアカネが驚いている。
アカネは最近あまり大学に顔を出さなくなってしまったミレイが心配で、あとヒマなので様子を見に来たのであった。
「根詰めすぎだよ~。たまにはどっか遊び行こうよ。キリヲちゃん……は連絡取れないからエイコちゃんとかも呼んでさ~」
所長の椅子に座ったミレイを揺さぶるアカネ。
為すがままのミレイががっくんがっくん揺れている。
すると、その時事務所のドアが静かに開いた。
入ってきたのは落ち着いた余所行きの格好をした中年女性だ。
顔立ちも装いにも体格にもこれといって目立つ特徴の無い物静かな印象を受ける女性である。
「失礼致します。……相談があって参りました」
そう言って女性はミレイたちに向けて頭を下げる。
疲れているのか、やややつれているように見える。
……仕事だ。
萎れていたミレイの目に瞬時に生気が蘇る。
「ようこそおいでくださいました。当事務所の所長代理、比良坂ミレイと申します。そちらへお掛けください」
応接用のソファを来訪者を薦めつつ先程までの生ける屍っぷりなど微塵も感じさせないデキるお嬢さんな感じになるミレイであった。
……………。
二時間半後、依頼人は帰った後の黒羽探偵事務所。
「……………」
依頼人がいる間はキリッとした表情を保っていたミレイ。
だが今の彼女は張り詰めていて深刻な表情をしている。
そんな彼女の様子は婦人が置いていった相談事というのが相当な重量を持って内心に圧し掛かっている事を想像させるには十分すぎた。
「ど、どうするの……? ミレイちゃん……」
「どうって、やるわよ。引き受けたのだから」
あのアカネですら若干不安げである。
結局居合わせてしまったので事務所スタッフのような顔をして話を聞いてしまったアカネ。
「あ~、そういえばミレイちゃんは人探しは実績あるもんね。プロだよね」
かと思えば一転パッと顔を輝かせたアカネ。
人探し……忘れもしない高校時代の矢間部エイコ失踪事件の事である。
まあね、と若干引き攣る表情で応えたミレイ。
正直あの一件を自分の功績とするのは大いに抵抗があるが……今はそんな話をしていてもしょうがない。
……そう、またもや、またしても自分に舞い込んだ依頼は失踪者の捜索だったのである。
スマホに画像を映し出す。
依頼者から受け取った画像だ。
そこにはグレーのスーツ姿の中肉中背の眼鏡の男性が表示されていた。
布場ケント……失踪してしまった男性の名だ。
年齢は四十二歳。職業は学習塾を経営している。
依頼者は彼の細君。
今から半月ほど前、彼は職場である塾を退出した後に自宅へは戻らずそのまま姿を消してしまったとの事だ。
仕事場から帰らない……そんな事は結婚して十六年間、今まで一度も無かったという。
翌日警察に行方不明者で届けを出したものの、現在に至るまで手掛かりはないとの事。
思い余った夫人が人伝に黒羽探偵事務所の話を聞いて藁をも掴む思いでやってきたというわけだ。
「カケオチだよ!!」
またもアカネのおピンクブレインが炸裂してしまった。
懐かしい気分になるミレイである。
……とはいえ、前回はこれが正解とまではいかないまでもまったくの的外れかといえばそうでもなかったのだ。
「コラ、もう……。無責任な事は言わないの。奥様だって心配しているんだから」
ぽこん、と軽くアカネの頭を叩くミレイ。
しかし警察が既に捜しているのだとしたら自分にできる事があるのだろうか?
「地元じゃ負け知らずだったミレイちゃんアカネちゃんのダブル坂コンビ復活だね!」
なにやらアカネがやる気を出して目を輝かせている。
地元では負け知らずらしいがそもそも誰と何の勝負をしていたのだろうか?
というよりもそもそもこの二人で何かした事があったっけ? と首を傾げるミレイであった。




