第六十四話 ここはどこ
何かが動く音が少し遠くから聞こえる。
全身が重く、まだ寝ていたいが椅子に座っているような感触だ。
騒がしい声にゆっくりと目蓋を空けた。
舞台奥の通路である橋掛かりの前にある幕から、電機駆動の車椅子がゆっくり現れる。
まだはっきりと意識が戻らないままその姿を凝視すると、車椅子に乗っているのは可憐な女性の能面をつけて白装束を纏った人物のようである。
体つきは女性のようだが、筋肉質でしなやかさを感じる。
ゆっくりと車椅子は本舞台の後ろである後座に向けて進む。
右のほうを見ると対局している二人の姿が見える。一人は若い二十代の女性、もう一人は少女。
突然、二十代に見える対局者の一人が立ち上がって廊下を指さした。
「血よ、血が落ちている」
橋掛かりの通路には血の跡が点々と滴り落ちていた。
電動車椅子が対局場の本舞台まで迫ってきた。
ドーン、ドカーン。
突然舞台奥の通路である橋掛かりの前にある幕の奥から、爆発音が聞こえた。
フラッシュが一斉の幕の奥に集中する。白い煙が立ち込めている。
先ほど叫び声を上げた対局者が車椅子に座っている人物の胸元を広げ、再び叫んだ。
「ナイフが胸に刺さっている」
あれは、小那姫じゃないか。確か洗礼名がラミア。浜松城で井戸に飛び込んだのではなかったのか。
そして私は何をしている。
運河に真っ逆さまではなかったのか。
今は記憶のある風景だが。
少女にみえる対局者大橋二級が目を輝かして早口で後ろから覗き込み、
「これは殺人事件よ。ためらい傷も無いし、ぐさりと心臓一突きね」
「宗古、宗古なのか。無事だったのか」
反射神経で男は立ち上がり、対局者の少女に声をかけた。
「確かに私は大橋想子。貴方は誰?
何で呼び捨てに。
どこかで会った?刑事さん」
大きな瞳の美少女が男の前に来た。
「京都府警の刑事でしょ。対局前に挨拶したよね。救急車と捜査員を呼んでちょうだい。
皆さん。現場は触らないでください。しばらくこの場にいてください。
警察を呼びます」
刑事さんと呼ばれて立ち上がった男は急にすべてを思い出した。
そうか。江戸城から俺は再転生できた。ここは令和なのか。
「宗古、いや大橋想子さん、今は戦国時代ではなく令和ですよね」
瞳の大きな美少女は不審者を見る目つきで、
「刑事さん、今は令和四年十二月だけど。早く警察と救急車を。
顔色悪いわよ。もう私が呼ぶわ」
美少女がスマホで警察、救急車と怒鳴っている。
宗古も再転生に成功したのか。ただ戦国時代の記憶が俺だけしか残っていないのか。
吉川は改めて自分の着ている服を見ると戦国時代の着物ではなく現代の服装だった。
確か前の令和では非番の日に将棋のイベントを観に行ったはずだ。
しばらくして救急車と捜査員が到着した。
車椅子で死亡している人物は三十代の女性で、すでに息を引き取っていた。
吉川が能面を外した顔を見ると、忍びの月だった。
令和で転生してすぐ息絶えたのか。
吉川が周りを見渡すと、来賓席に大野修理と来電と算砂がいる。
対局場で動揺している二十代の女性は小那姫。
関係者全員、令和に転生してしまったのか。そして俺だけが戦国時代の記憶を持ったままなのか。




