第二章 神隠し
親友が、神隠しに遭った。
いや、神隠しと言っていいものなのかもわからない。何故ならば親友はその存在ごと消えてしまったからだ。何処を探せばいいのか、何をしたら親友を取り戻せるのかもわからない。
一つ、手がかりがあった。同じ学校の女の子が面白おかしく話していたのだ。揺らめく影を伴った、長身の男。奇譚師、というらしい。曰く、不可思議な出来事を机上でたちどころに解決してしまう、怪異の専門家。
これしかない、と思った。その噂を聞いて宇佐美は奇譚師を探した。そうして、出会ったのだ。
親友を取り戻す希望の光、あるいは──真実を告げる、絶望の影と。
「あなたが、奇譚師様、でしょうか……?」
思いもよらず、学校の付近でその姿を見つけた。彼がそうなのだと思うには、証拠が十分すぎた。背格好もだが、隣に影がある。異形の者が、そこにいた。煙に似て、陽炎に似て、しかし漆黒の色をした影が朧げに人の形をして浮かんでいた。
確信してからとはいえ、ただの女子高校生である宇佐美が大人の男に声をかけるのはやや躊躇われた。歳は恐らく二十歳そこそこだろう。体格も良く、聞いた通り背も高い。悪い相手であれば、勝ち目などない。だが宇佐美は必死だった。それしか方法がなかったのだ。いざとなれば逃げられるよう脚に力を込めつつ、返事を待った。振り返った男はぱちりと瞬きをして宇佐美を見下ろす。人の良さそうな顔立ちをしていることに少し安堵した。それも束の間、同時にこちらを向いた黒い影に怯える。ゆらゆらと揺れる輪郭はそれが人でないことを意味しており、しかし確かにそこにいる。
男、より先に影が口を開いた。上から下から宇佐美をじろじろと不躾に観察し、すうっと離れる。
「いかにも、我々は奇譚師だが。何用かね? お嬢さん」
「あの、し、親友が、神隠しに遭ったんです。話を、聞いていただけませんか」
びくびくと腰が引けていることを自覚する。そんな姿を見てか、男は宇佐美の背に合わせて屈みながら、目線を合わせた。榛色の瞳がこちらを向く。それはガラス玉のように澄んでいた。
「俺でよければ、力になります。お話、聞かせていただけますか」
「また君は安請け合いをして……」
快諾した男に影がぶつくさと文句を言っている。だが相談すること自体には反対していないようだった。宇佐美が頷いたのを確認して、男は周囲を見渡した。そして、「そこの店に入りましょう」と少し先の喫茶店を指差す。落ち着いた店構えの喫茶店は、話をするのに見合った場所に思えた。宇佐美はそのような店に入ることが初めてだったので、初対面の男と二人、否、二人ともう一つで入店することは尚のこと緊張する。しかし男の柔和な振る舞いに肩の力が抜け、果たして影は来客として数えられるのだろうかなどとくだらないことを考える余裕もあった。
馴染みの店だったのか、男は店員に軽く会釈をして空いた席に座った。倣って、向かいに座る。ここは出すのでお好きなものを、と勧められ、メニューを開いた。趣のある喫茶店らしくコーヒーの種類がたくさんあり、軽食やケーキなども写真付きで載っていた。悩んだ末に背伸びをしてカフェオレを選ぶ。慣れた様子で男が店員を呼び、オーダーを済ませた。影は、飲食をしないらしい。店員は影の方を見ることもなく注文を聞いていた。その姿が見えているのはこの場では宇佐美と男のみなのだろうか。
「改めて、小泉と申します。こちらはシャドウ。奇譚師、と呼ばれる者です」
「宇佐美、です。あの、それで、神隠しの件についてですが……」
宇佐美がそう切り出すと、小泉は背筋を正し聞く姿勢に入った。少女の戯言と一蹴せず真面目に対応してくれるようだ。消えた親友を思い不安に駆られていた心がようやく僅かばかりの安寧を灯す。
息を吸って、吐いて、宇佐美は語った。神隠しの一部始終を。
宇佐美には親友と言える女の子がいた。その子の名前は友希。いつだって人の輪の中心にいる、明るい女の子だ。そんな友希と違って宇佐美は彼女しか友人がいなかった。そうだとしても、毎日のように友希と話して、彼女を親友だと思っている。
友希はよく友人たちのグループから抜け出して校舎裏に一人でいた。社交的な性格をしていたが、少し無理をしているらしい。静かな場所に逃げ出した友希は、宇佐美によく話しかけた。教室で見る姿とは違い、独り言のように、囁くように小さな声で宇佐美の名前を呼んだ。ちょっと疲れちゃった、という呟きにうんうんと頷いて、勉強も頑張らなきゃ、と鼓舞する声に応援を返した。
そんな友希が、突然に校舎裏に来なくなった。宇佐美は心配した。当然だ。学校中を探し回ったが見つからず、引っ込み思案な宇佐美だったが意を決して友希のクラスメイトに声をかけた。友希を知らないか、と。
返ってきた言葉は「誰?」とその一言。宇佐美は呆然とした。友希を知らないはずがない。友希はクラスの中心人物だった。誰とでも仲良くお喋りをしていた。話しかけたクラスメイトだって友希と話しているのを見たことがある。それなのに。
消えてしまったのだと思った。友希の存在ごと、この世界から。探して、探して、一週間が経った。もしかしたら不意に校舎裏に現れるのではないかと淡い希望を抱いて待ってみたが誰も来なかった。そんなときに、噂を聞いたのだ。
奇譚師。不可思議な出来事を解決する者。親友に再会したい一心で、宇佐美は彼らを見つけた。そうして、今に至る。
一息に話し終えて、小泉の反応を窺う。小泉は思案しているようで、顎に指を添えて俯いていた。その間にコーヒーとカフェオレが運ばれてくる。二つ、同じ場所に置かれたカップの片方を小泉がこちらに寄せてくれた。
一応話を聞いていたらしいシャドウが、それで、と宇佐美に顔を近づけた。その至近距離でも、目や鼻といった形は見えない。それらしき位置に穴が空いた、影で作ったお面のような頭が迫る。びくり、と肩を跳ねさせた。それも意に介せず、シャドウは続ける。
「君は自分が何者かわかっているのかね? お嬢さん」
「……? ええと、私は、宇佐美、で……近くの高校に通っていて」
何を聞かれているのか、さっぱりわからなかった。自己紹介が足りていなかったか、とプロフィールを羅列する。違う、と言いたげにシャドウは首を振った。
「うさみ、というのは苗字かい? 下の名前は? 通っている学校のクラスは? 学年は?」
矢継ぎ早に質問するシャドウを小泉がたしなめた。それでも止まらず、宇佐美は困惑する。答えられない。それは、浴びせられた問いに対応できないから、ではない。
答えられなかった。何一つ。
苗字、それは知っている。だけれど宇佐美はただの宇佐美で。近くの学校に通っている女子高校生で。クラスも学年もはっきりと答えられる、はずなのに。
「あれ、あれ? 私は……」
「ふむ、どうやら自覚していないようだね」
おい、と小泉が割って入る。シャドウを止めるためではない。宇佐美を気にしている。子供に隠し事をする大人のように、言えないでいることがある。それは、宇佐美が自覚していない、宇佐美のこと。
シャドウは慈悲もなく、あっさりと告げた。忘れ去っていたこと。見ないふりをしていたこと。本当の宇佐美の姿。
「君は人間ではない。怪異にも満たない、ちっぽけな虚像だ」
──あ。
突きつけられて、思い出す。思い出してしまう。宇佐美は、うさみ、は、己の名前ではない。友希が校舎裏で、一人話しかけていた、うさぎのぬいぐるみ。友希の母親が作ったという、小学校から大事にしているという、それ。友希が話したことは全て宇佐美に向けられたものではない。聞こえない相槌を打ち、見えない手を伸ばしていただけ。
あ、あ、と声が震えた。動揺して、落ち着こうとして、まだ湯気の立つカフェオレを飲もうとする。カップの持ち手を指が擦り抜ける。自分の輪郭が溶けてぶれていくのを感じた。
「君は宇佐美という少女と思い込んでいた。語り手の親友がいた。だから姿を持ち人の目に触れられたのだろう。しかし語り手のいない今、君は消えかけている。消滅を回避するために語り手の親友を探すということなら腑に落ちたのだが、まさか自覚がないとはね」
「でも、だって、それじゃあ、友希は。友希はどこに行ったんですか。誰? って、聞かれたのに」
「それは君のことだろう。知らない子に話しかけられたら、そりゃあ誰だと返す他ない」
友希という子も、神隠しに遭ってなどいないのだ、とシャドウは語った。それで興味は尽きたようだ。するりと小泉の背後に回り口を噤む。一方的に暴かれ、宇佐美はパニック状態に陥った。自分が何者であったのか、わからなくなる。何がしたかったのか、わからなくなる。友希を見つけたとして、その目に宇佐美は映らない。友希の語る「うさみ」は宇佐美ではない。そのことを知って尚宇佐美は宇佐美以外の名を名乗れない。
人間を模したこの体は、無意識に構造を真似して、涙を流す。悲しい。怖い。そんな思いを可視化させる。
閉口していた小泉が、口を開いた。
「あなたは、どうしたい?」
「私は……」
「力になると言ったことは嘘ではありません。俺は、奇譚師だ。あなたの望む物語を紡いでみせましょう」
その瞳は誠実で真摯だった。救い、なのだと感じた。愚かにも人に焦がれ、人の真似事をし、人を騙った宇佐美を語り直す神の如き存在である、と。祈るように、両手を組んだ。
消えたくない。その気持ちもある。友希に語られ生まれた命は、生存本能を宿している。けれどもそれ以上の願いがあった。聞こえなかった声だとしても、伝わらなかった思いだとしても、友希を大切に感じるこの気持ちだけは宇佐美自身のものであると信じたかった。
「友希に、会いたい。それだけ……それだけです」
ささやかな願いだろうか。大それた願いだろうか。宇佐美の心はただ、消えた親友を求めていた。小泉は宇佐美の言葉を聞き、しかと頷いた。また、一粒涙が溢れる。これは歓喜だ。
友希が大人になれば、心を許せる人が現れれば、「うさみ」は必要なくなる。その時、宇佐美は友希の側にはいられない。いつかの日を怯えながら待つより、綺麗な別れを望んだ。
いずれ消えゆく身の行く道を、虚構で舗装する。作られた物語で構わなかった。宇佐美は友希によって作られたのだから。ラストシーンは、友希を胸に刻みたかった。そう筆を執る者がいるのならば、その通りに演じよう。それが、怪異に満たない虚像の精一杯だった。
これは推測ですが、と小泉は前置きをした。一拍置いて、コーヒーを飲む。先ほどよりぶれなくなった指でカップを取り、宇佐美もカフェオレを一口飲んだ。
「神隠しに遭っていないのならば、友希さんは何らかの事情で学校に行っていないはずです。それで、お聞きしたいのですが……友希さんの、学年は?」
「三年生です。もうすぐ卒業なのだと言っていました」
「そうですか。やはり……では、彼女が学校に来なくなったのは、その必要がないからでしょう」
どういうことだ、と疑問を抱く。学生は、学校に行くもの。そのように覚えている。もちろん、休日や長期休暇は登校しないことも知っている。その間にも登校日と呼ばれる日に普段より短い時間学校にいることもあった。だがそれは周りと同じで、友希だけが学校に来ないなんていうことは今までになかった。宇佐美は、人の文化をそのように学んでいる。
「友希さんは他の方より早く大学が決まった。指定校推薦というものですね。それにより、卒業まで学校に行く必要がなくなった。よくある話です」
「そ、そんな……そんなこと、だったんですか」
神隠しだと思っていた。人が一人忽然と消えてしまったのだから。故に宇佐美は奇譚師を探したのだ。そんな真相だと知っていれば、そうしなかった。自身が人ではないと知って、改めて人の子ではなかったのだと思い知る。学生のように振る舞っていただけで、何も知らなかった。しかし、もし宇佐美が一人で真相に辿り着いていれば、友希が卒業した後も自分は人間だと思い込みながら学校に取り憑いていただろう。そのことを思えば、シャドウが自覚させてくれたことはよかったのかもしれない。本人にその気があったかどうかはわからないが。シャドウは依然として話に入らずぷかぷかと浮かんでいる。
「そうであるとすると、友希さんが必ず学校に行く日があります。卒業式です。その日を再会の日にしましょう」
小泉は懐からノートとペンを取り出した。何の変哲もないただのノートだ。空白のページを開いて、ペン先を置く。
「まず、あなたが何者であるかを定義します。名を持ちながら、その名は己のものではないとあなたは知っている。だから、存在が不安定になる。であれば──誰かの友人。あなたは、そういった怪異である。そのように定義します。それはあなた自身も知っている事実のはずだ」
瞬間、体が熱を持った、気がした。血が通う感覚というのだろうか。自分が、確立された。それを感じ取った。宇佐美は、誰か、そう、友希の友人であると自認している。友希が宇佐美を知らなくとも、そう思っている。それは唯一疑わない事実だった。それを他者が語ることによって、輪郭を持った。
宇佐美は、誰かの友人である。その性質を持った怪異である。小泉がそう語るのを、シャドウが静かに聞いていた。
少々悪筆な文字でノートに綴られていくのを見守る。その文字の一つ一つが宇佐美を構成する。細胞が集まって、人間になるように。言葉が、怪異を再定義する。
指が、透けなくなった。椅子に座る重みを感じる。スカートのプリーツもしっかりと折れて、そこにあった。喫茶店の店員が、今し方気がついたという風にこちらの席を見る。はて、と首を傾げていた。宇佐美は、今、確実に姿を持ったのだ。
小泉は、ノートに書き込みながら痛みを堪えるように眉を顰めた。口を開いては、閉じ、言葉を決めあぐねている。やがて重々しく、憐憫を滲ませながら、話し出した。
「あなたの存在は学校に根付いている。種がそこにあり、友希さんがそこで芽吹かせたからだ。おおよその怪異は生まれた場所から遠くに行けない。……あなたは、卒業する友希さんと共にいることができない」
思っていたほど、ショックを受けなかった。消えゆくことを覚悟していたからだろうか。
けれど、ほんの少しだけ夢を見たことも嘘ではない。友希と連れ添い、仮初の姿ではなく本物の肉体を持って、本当の親友になる夢を。その夢は、弾けて消えた。高望みはするものではない。覚悟を上塗りし、小さく頷く。
「……いいんです。私は、友希に別れを告げ、そして幕を下ろします」
それを受け入れる、と語る。小泉は、は、と目を見開いて、何かを言おうとして、やめた。
「誰かの友人、と……小泉さんはそのように語ってくれました。けれど、私は誰かではなく、ただ一人、友希の友人でいたいんです」
誰かの友人。その名前であれば、怪異として生き残ることも可能だろう。代わる代わる人の中から誰かを見つけ、その友人になる。それで延命を図れるだろう。だが、そうしたくなかった。宇佐美の親友は友希だけだ。それが、宇佐美が持っていたい矜持だった。
小泉は、宇佐美の決意を切なそうに聞いていた。優しい人なのだろう。会ったばかりの宇佐美に、消えゆくことに心を砕いてくれている。彼が語るのであれば、宇佐美は優しい物語のままであれる気がした。
美しいフィナーレを。そう願う宇佐美を、シャドウは醒めたように見下ろしていた。
*
不思議な声が聞こえることがあった。風が吹くより細く通り抜ける声。それは決まってうさみに話しかけていた時だった。
友希は子供の頃から大人しい性格をしていた。人見知りで、引っ込み思案で、誰にも話しかけられない。当然、友人はいなかった。外に出て走るより、家で一人遊びをするのが好きだった。ぬいぐるみを使って、お喋りをさせて、子供らしい荒唐無稽な物語を描く。母はそんな友希に交友を強制することもなく好きなようにさせていた。
いくつだっただろうか。誕生日に母が手作りのぬいぐるみをくれたのだ。白くて、ふわふわの布で作られた、赤いビーズの目のうさぎ。友希はそのぬいぐるみにうさみと名付けた。それから、毎日うさみと遊んでは話しかけていた。朝に、昼に、夜に。返事をくれることはなかったが、うさみは友希の大切な友人だった。
人見知りな性格を直そうと思ったのは中学生時代も終わってからだ。まともに人間関係を深めることもなく、部活にも入らず、休日も家で過ごすばかり。母は友希に何も言わなかったが、心配しているのはわかっていた。高校生になったら、友人をたくさん作り母を安心させようと思った。
所謂高校デビューというものは、成功した。今風の髪型をし、制服を適度に着崩し、誰にもフレンドリーに話しかける。ともすれば難しいであろうことを友希は務めてこなした。うさみと話していた成果でもあろう。
上手くいく一方で、心は疲弊した。気を遣って、場を盛り上げて、空気を読んで。そんな時はこっそりと人の輪から抜け出して校舎裏に行った。誰もいない場所で、昔のようにうさみに話しかけた。何でも黙って聞いてくれる友人は、黙ったまま。それが変化した。
頑張って、友希ならできるよ、無理しないで。そんな声が聞こえるようになったのである。幻聴か、己の心が生み出したものか。どちらでも構わなかった。友希は一人ではないのだと知れたから。友人たちに囲まれながらも孤独を感じていた友希にとっては、それは救いであり癒しだった。
いつまでも空想の友人に頼ってばかりではいけないとは自覚していた。人生は、明るいキャラクターを作り上げ、演じ、つつがなく学生生活を送るだけではない。住んだ街から出て一人で暮らすことにもなろう。社会に揉まれる日も来るだろう。一人きりの世界に閉じこもることは楽であるが決して良いことばかりではなかった。
そうとは思いつつも日々は過ぎ、大学進学が決まった。県外の大学だ。親の元を離れ、慣れ親しんだ地元を離れ、一人暮らしをする。そう思うと気が重く、出席日数は足りていたために学校に行かなくなった。友人には受験組に気を遣わせるから、などと適当な言い訳をして部屋に籠る。もうすぐ主のいなくなる部屋の中で、うさぎのぬいぐるみを抱えて、話しかける。うさみは返事をしなかった。
何かが良くなることも、反対に悪くなることもないままに怠惰でいた。壁掛けのカレンダーを見ると卒業式の日が近づいていた。友希の心はまだ大人になりきれない。それなのに子供でいられる時は無くなっていく。きっと卒業式では友人たちと肩を組んで涙を流すだろう。そのことに不満はなかったが、鬱屈としてやりきれない気持ちがあった。
卒業式の日だ。久々に制服を着た。寝坊しないように早起きをして、家を出る。受験も終わったクラスメイトたちは晴々とした顔をして友希を迎えた。騒々しい中に、笑顔で交わっていく。
これは通過儀礼だ。名前を呼ばれ、立ち上がり、卒業証書を受け取る。在校生たちに見送られながら校舎の外に向かい歩く。世話になった教師陣に激励をもらいながら、造花のコサージュを胸につけて。これを終えることで、大人になれるのだろうか。子供の自分と別れることができるのだろうか。そんな気持ちは表に出さないで、きらきらと輝く青春の終わりを迎える。
友人たちと写真を撮っている最中だった。
友希、と聞き慣れたような、それでいて知らないような声がした。名前を呼ばれている。振り向いても、人混みの中では相手を上手く見つけられない。誰に呼ばれたかもわからない。だが、友希は何故だか必死になって声の主を探した。あちらこちらを振り返る。ふと、ある人影が目に留まった。
同じ制服を着た、うさぎのようなおさげ髪の、女の子。見たこともない、知らない少女のはずだった。だけれど、彼女が呼んでいる、とわかった。
怪訝そうな友人たちを振り切って、彼女の元へ駆け出す。見えない何かに背中を押されているようだった。しかしどれだけ足を進めても辿り着けない。手を伸ばしても、届かない。遠くにいるその少女が、まるで近くにいるかのように、耳元で囁いた。
「さようなら、友希。……私を、忘れないで」
それっきり、少女の姿は桜吹雪に塗れて消えた。何が起こったのか、把握できていない。幻か、夢か、現実味のない一幕を終え、立ち尽くす。胸に空洞が空いた心地だった。友希の中の何かを連れ去って、あの子は消えた。訳もなく涙が溢れ、わあっと声を上げる。
それは、産声にも似ていた。
*
「身勝手だとは思わんかね」
シャドウは珍しく不機嫌そうに声を低くぼやいた。独り言か話しかけているのか判別つかず、一応、何が、と問いかけると返事が来た。
「誰かの友人は、誰かの卒業と共に消え去る。それは、美しいストーリーだとも。しかし、だ。一方的に別れを告げ消えるなど、自己満足に過ぎん」
「お前は、そう思うのか」
「人の子でも怪異でも、己が身が一等可愛いのだろう。輝かしい幕引きなど去り行く者のエゴイズムの塊だ」
そう憤ることには実感が込もっている。小泉は、それに何も言い返さなかった。この話は小泉の祖父──小泉創一に関わってくるからだ。彼の話になると、シャドウはよく憤る。つらつらと思い出話を語っては、故人にけちをつけて文句を言って終わりがない。そのことは小泉にとって他人事でもないので、聞き流すことも憚られた。
「でも、あの子たちは望む結末を得られただろう」
「その割に収穫が少なかったがな」
舌どころか口もあるものか不明なくせに、シャドウは器用に舌打ちをした。
収穫、と言った。以前より勘づいていたが、何かしら企んでいることは確実だ。それを隠そうともしない辺り、後ろめたいものではないのだろうが、それはシャドウにとっての話だ。小泉だけならばまだいい。他の者に不利益が被るものならば、その企みは阻止しなければならない。
じっとシャドウを見る。その視線に気づいたシャドウが隠し立てなどないと腕を大きく振ってアピールした。いちいち芝居ぶった奴である。
「何を企んでやがる」
「私はただ、奇譚師の名を世に広めたいだけだよ。そうすれば、怪異に困らされた人を救いやすくなるじゃないか。だから、消えゆく怪異に名を広めても意味がない。そうだろう?」
前半は本当のことだと思えた。後半は心にもない嘘っぱちだ。末尾は漏れ出た本音だろう。シャドウは人の世を憂う健気な性格をしていない。面白いか、面白くないか、それが判断基準だ。怪異にそれらしい倫理を望むことは馬鹿らしいことだと理解しながら、シャドウには宇佐美を弔う気持ちすらないのだと思い知らされた。今更、失望も幻滅もないが。
奇譚師の名を広めたい。それは表向きの理由だ。では、何をしようとしているのか?
それは生まれた時からシャドウと共にある小泉でも答えの出ない問いだった。長年の付き合いだが、行動や思考のパターンは掴めても行動基準が理解できない。何故小泉と共にいようとするのか。それさえも謎のまま好きにやらせている。今のところ特に害はなかった。楽観的思考であるが、シャドウが小泉に危害を加えることは想像がつかなかったのだ。
目などないはずなのに、こちらに向ける眼差しの色が、そう物語っている。懐かしく、慈しむように。あるいは、どろりと湿った情に似たものが、小泉に向けられている。それは「小泉が何者であるか」に由来するのだろう。
自己定義は、できている。どうして生まれ、どうして生き、何をすべきか。小泉は理解している。それが揺らぐことはない。
シャドウは、怪異を識る者として定義されている。だがそれ以外はシャドウ自身で確立している。そのように育てさせたのは小泉になるだろう。
何故ならば、小泉は創一の生まれ変わりであるから。
創一がシャドウを怪異として定義した。そして、自我を育てた。その記憶は、朧げにしかない。だがしかし魂が覚えている。祝福か、罪科か、それが荊のように巻き付いている。
宇佐美が友希と共にありたかったのは、友愛からだ。別れることを決意したのは、友愛を超えた、執着からだ。
ではシャドウは、何を発端として小泉と共にあるのだろう。シャドウはおおよその怪異のうちに収まる器ではない。何処へ行くも自由だ。怪異としての格がある。創一は、何を思ってシャドウを生み出したのだろう。シャドウは、創一に何を思っていたのだろう。
親愛であろうか。友愛であろうか。それならいい。そのような、あたたかなものであるのなら。しかし小泉には、シャドウはそれ以外のものを持っているように見えてならないのだ。
それが何であるのか、浮かべた疑問をしまい込み、思考を片付ける。己の身に関することならば後回しでいい、というのは、小泉の欠点でもあった。




