第四話 内憂外患、リーダーの資質
通勤ラッシュの電車が揺れた。
どうという事は無い、はずだった。
でも、その朝から―― 心の歪んだ音が、かすかに鳴り始めていた。
通勤中の電車内で、スマホでスケジュールを確認する。
今日も予定と予定の間に空白が無い。
メールは朝の段階で、未読メールが200を超えている。
営業と佐伯に約束した資料は今週中に仕上げないといけない。
自分自身だけがこなさないといけない報告書、外部業者との打ち合わせの資料作成、リサーチ結果の分析。
――タスクリストは2週間前から更新できていない。
ワークショップも、時間を見つけて中山に進捗や、彼の落としどころを聞いておかないと。
その時、電車が大きく揺れた。
バランスを崩して足が浮いたのが敗因だった。
浮いた足を元に戻す場所が無くなる。
このままだと転びそう。
もがいていたら、後ろの男性から突き飛ばされる。
混んだ電車に入った時から足を踏ん張って、一度確保した場所を死守していたやつ。
突き飛ばされた先に、女性が立っていた。
自分の身体は、その女性を支えにしてかろうじて立っていた。
女性にとっては迷惑。
奇異な目で見られる。
警戒して当然。
理解できる。
その男性もイライラする事があって当然。
女性が自分に怒るのも当然。
腹が立っている自分自身を落ち着かせようと努力してみる。
――してみただけ。
でも――
自分が悪いわけじゃない。
どう整理しても、いったん心に生まれた炎を消すのは難しい。
むかつく。
今の自分の心の中には、燃えやすい乾燥した切れ端がたくさん散らばっていた。
たかが知らない連中との小競り合い。
ちゃんと仕事があって、家族が暮らしていける。
大手の会社にも勤められる。
戦争があって生きていくことが大変なわけじゃない。
なのに、怒りと悲しみが勝手に膨らんでいく。
自分だけが、世の中の不幸を背負い込んでいるみたいに。
ーーー
会議が少し早く終わって、自分の席に一瞬戻る。
また未読メールが増えている。
でも開ける時間が無い。
滞っても、自分のせいじゃない……。
でも、大事な案件だけは急いで確認しておかないと。
メールの受信トレイを開いた瞬間。
「内田さん、今少しだけよろしいですか?」
営業上がりの若手・山口だった。
「自分なりに整理してみました。
見ていただけますか?」
パワーポイントに四つ大きな箱を作って、その中に箇条書きの文字が並べられていた。
SWOT分析(Strength-Weakness-Opportunity-Threat/ 強み弱みー機会脅威分析)だった。
多くのマーケティングチームが好きな分析。
SWOT分析をして、どや顔でプレゼンをする他部署のプレゼンターを見ては、嫌悪を抱いていた……。
山口が前向きなやる気を表しているように、目を輝かせている。
「山口、ありがとう。
でもワークショップの前に、わざわざやってくれたの?」
「はい。少しでも整理をしたくて」
素直に貢献したいだけなのだろう。
でも、せっかくだから少しだけさわりを見てみた。
やっぱり……。
このまま流すのも、本人の頑張りに応えられない。
かといって、これは使い物にならないとも言えない。
そもそも、自分の整理だ、と言っているし……。
「山口。SWOTってみんなやってるよね。
これって何のために必要だと山口は考えてる?」
「私は、大事な戦略かと思ってますが」
「そうだね……。それは確かにそうなんだけどね」
もう一度、羅列された内容を眺めてみる。
知識的には、自分も勉強になる内容はあった。
「今度のワークショップまでに、自分の考えを整理しておくのはいいね。
ただ、常にビジネスの基本――どうしてそのように考えたか(why)、だから何(so what)、を考えてね」
「はあ……」
分かり切ったことを言われて、気持ちがいい社員はいない。
でも、記載された内容は、思い付きが羅列されていただけだった。
「どうしてそう思ったか、”why”は、自分が出したアウトプットに対しての答え合わせになる。
それに、他部門に説得力を持たせるときに、自分で深堀していると良かったりする」
少しずつ、目の輝きが消えてきているように感じた。
でも、ここで話をやめるわけにもいかない。
「だからどうした、”so what”は、その後の打ち手に大事。
意味がある分析かどうかは、有効な打ち手につながるかどうかだからね」
「なるほどですね。
そんな見方はしていなかったです」
少しは腹落ちしてくれたのかもしれない。
「今作ってくれたものは、ワークショップまでに自分なりに仕上げてくれる?
俺も勉強になったから、できたら見せてね。
”why”で自分にチャレンジしてみて、”so what”で意味ある項目かどうか、自己確認よろしく」
「はい。やってみます」
若くて前向きだから、こちらの話も悪意にはとらない。
でも、強み弱みを考える前に、ワークショップでやろうとしている製品のポジショニングやプロファイル、スペックの目線合わせをしないと、意味が無い……。
コンサル上がりの中山は、どんなワークショップの枠組みを考えているのだろう。
一生懸命準備してくれてるのであれば、催促されてると思わせるのも悪い。
でも進捗は確認しないと。
自分もこのあとぎっしり予定が詰まっている。
いつ声をかけよう……。
ーーー
市場調査の結果について、業者からの報告を受ける会議に顔を出した。
広い会議室で、他部門からの参加者も多い。
比較的若いメンバーで構成された市場調査の会社は、この業界では良く使われる大手の一つ。
男性も女性もこぎれいな身なり。
目の前にノートパソコンを開いている。
直ぐにデータを参照できるように、万全の態勢で我々を見ている。
インターネットでの調査と、数人の顧客層をピックアップしたインタビュー調査の報告。
その結果をもとに、最適な価格、ターゲットとなる顧客、友好なメッセージ、プロモーションのチャネルや価値訴求点を提案してくれている。
これを仕切ったのは山下だった。
業者のプレゼンが終わって、山下が得意そうな笑みを浮かべて自分を見る。
「内田さん、どうですか。
これで行けると私は思っているのですが」
いや、これは困った……。
いろいろと困った。
調査の設定で、"製品X"という名前で品目の仮のプロファイルや特徴が仮定されている。
でも、これこそが今頭を悩ませていて、今度のワークショップで目線を合わせたいと思っていた事。
そういった段取りを、山下はどう思っているのだろう。
そもそもワークショップをやろうと提案した時――
"私もそれを考えていたので、大賛成です"と真っ先に賛同したのは山下だった。
とはいえ、多くの参加者がいる前で、部門内で目線が合ってないことをさらけ出せない。
いい人だから。
そう思って山下を見直そうと思っていた気持ち。
何なんだこれは。
山下の立ち位置を理解できずに、困惑する気持ち。
下火にはなっていたものの、鎮火しきれていない、朝からの"怒り"の火があった。
それは、困惑という感情のすぐ近くでくすぶっていた。
つい、言葉が出てしまう。
「山下さん。この後ワークショップで固める、そう言う話になってませんでしたっけ」
展開次第では、この会議自体が大混乱になる危険がある発言。
でも、どうしても確認したかった。
「ああ、そうでしたね内田さん」
山下は、自分の方を見ずに、業者の資料に視線を落としたまま答えた。
それ以上は語らず、飄々としていた。
日本語が通じないのか……?
ロードシャインの頃に、山下のプレゼンを却下した時の記憶が蘇る。
でも、今は自分を支える大事なチームメンバー。
業者に向けて口を開く。
「実は、製品の特性をもう少し固めようと、チームでワークショップをしようと考えております。
発売も間近ですし、大きな変更は無いとは考えております。
でも、部分的に再確認していただくような調査、お願いできますか」
「そうなんですね。
プロファイルの変更がありましたら、是非おっしゃってください。
調査はいくらでもやり様がありますので」
業者は、当然そのように返答する。
「お手数をおかけします。その際は、また相談に乗ってください」
その時、自分が開いているPCのメッセンジャーにメッセージが届いた。
同じ会議に参加していた佐伯だった。
〈私も、山下に事前に言ったんですよ。
何も決まっていない時にやっても無駄になるって〉
〈なのに聞く耳持たずに進めるんですよ。
なんとかしてくださいよ、あの山下〉
佐伯は痛いところを突いてくる。
言うとおりだけど、手が回らない……。
〈佐伯さん、本当に申し訳ない……〉
一言だけ返した。
「それでは皆様。
今プレゼンいただいた内容について、何か質問はありますか」
と、山下が飄々と会議を仕切っている。
あきらめて、未読メールを処理する事にした。
お読みいただきありがとうございました。
瞬間瞬間に、最善の判断と決断を積み重ねる。
リーダーとして、誰もがそう心がけているはずです。
しかし――"忙しいから手が回らない"。
ビジネスの場で、この言葉は危険な枕詞かもしれません。
ビジネスパーソンとして"正しい"とは何か。
その日々の選択を、どのように積み重ねていったらいいのか。
この後も、一緒に考えていけたら嬉しいです。




