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第8話 歪み ディストーション


 食堂は昼のざわめきで満ちていた。


 クラリスは、入口から少し奥の窓際に席を取っていた。

 リリアがあとから合流しやすいように、通路に近い四人掛けの席だ。


 レオンハルトとルーカスは、そこから十五メートルほど離れた中央寄りの席に座っていた。


 互いの姿は見える距離だった。


 皿の触れ合う音。

 椅子の脚が床を擦る音。

 談笑。

 笑い声。


 高い天井から吊られた七機ある五連のシャンデリアは、昼でも装飾として十分すぎる存在感を放っている。


 金属の曲線に、幾重もの細い鎖。透明なクリスタルが何層にも連なり、窓から入る光を砕いていた。


 入り口から奧、窓際のそれに、最初に鳴ったのは、ごく小さな金属音だった。


 きん、と。


 誰か一人か二人が上を見る。

 つられて、クラリスも顔を上げた。


 何が起きたのかを理解するより先に、細い鎖が跳ねるのが見えた。


 次の瞬間、嫌な軋みが、はっきり聞こえた。


 シャンデリアが傾く。


 五本の支柱のうち一本が外れ、中心の鎖が支柱を打った。


 カン、カン、カン。


 重心を失った本体が、斜めに落ちる。

 落下点は、クラリスの席に近い。


  ――逃げる。


 そう思った。


 けれど、隣の席の生徒が立ち上がりかけて椅子に引っかかる。


「きゃーっ!」

 その子の悲鳴が耳元で弾けた。

 クラリスは反射的に、その腕を掴んで引いた。

 自分も一緒に、卓の下へ身を沈める。


 レオンハルトの席からは、普通なら、間に合わない。


 クリスタルが、最初に散った。

 一粒ではない。


 何十、何百という細かな飾りが、連鎖するように弾け飛ぶ。光を巻き込みながら、刃物みたいな角度で降ってくる。


 魔道具化された蝋燭も外れた。


 火が消えない。赤いまま、熱を持ったまま、回転しながら飛ぶ。


 誰かが立ち上がった拍子に椅子を倒し、その椅子が別の机へぶつかる。


 食器が滑る。

 スープ皿がひっくり返り、熱い液体が床へ散る。


 悲鳴が重なった。


「全員、伏せて!」


 教員の声が食堂に通った。


 逃げようとして動く者。

 逆に硬直する者。

 友人の腕を掴んだまま立ち尽くす者。


 落下点の予測が、崩れる。


 人が動くせいで、最初の危険範囲がもう役に立たない。


 その中で、レオンハルトだけが動いた。


 椅子が倒れる音より静かに立ち上がる。


 一歩。


 たった一歩、前へ出る。


 手を上げる。


 詠唱はない。


 空気が変わった。


 正確には、空間の密度が一瞬だけ狂った。


 最初に止まったのは、最大の破片だった。

 本体から外れた真鍮の腕が、落下の途中でぴたりと速度を失う。

 

 完全停止ではない。

 

 見えない何かに掴まれたように、震えながら、その場に留め置かれる。


 次に、散っていたクリスタル片の軌道が変わる

 真下に落ちるはずのものが、急に角度を失う。

 鋭さを持ったまま飛んでいた欠片が、まるで水中に入ったように減速し、空中でほどけるように崩れた。


 砕けるのではない。


 細かく分かれ、さらに細かくなり、粉になる前に消える。


 音が、ついてこない。

 ただ、きらめきだけが一瞬遅れて残る。

 熱を持った蝋燭は別処理だった。

 火は消えないまま空中で裂かれた。

 芯と蝋と炎が、同時に分解される。

 赤かった熱だけが短く残り、その残滓すら床へ届く前に霧みたいにほどける。


 床に散ったスープが跳ねる。

 割れた皿の破片が、その反動で別方向へ滑る。

 それも、止まる。


 違う。

 滑る力だけが消える。

 白い皿の欠片が、その場で不自然に力を失って伏せた。


 落下。

 

 飛散。

 

 熱。

 

 反射。

 

 二次被害。


 全部が別々の顔をしていた。


 レオンハルトは、その全部に別々の答えを返していた。


 大きいものは留める。

 

 危険なものは砕く。

 

 熱は消す。

 

 飛ぶものは落とす前に失速させる。


 一つの派手な魔法ではない。

 細かすぎる処理の束だった。

 だから、見ている側には何が起きたのか分からない。


 ただ、数秒前まで頭上から死が降ってきていたはずなのに、気づけば何も残っていなかった。


 最後に残ったのは、天井からぶら下がる切れた鎖だけだった。

 それが、からん、と遅れて揺れる。


 食堂が静まり返る。

 悲鳴すら、止んだ。


 誰もすぐには動けなかった。


 助かった、という理解より先に、何を見たのか分からないという混乱が来る。


「……今の」

 

「全部、止めたの?」

 

「いや、止めたっていうか……消えた?」

 

「何あれ」

 

「分解……?」

 

「でも、あんな」


 言葉が続かない。


 補助教員が駆け出す。

 被害確認。

 周囲の安全確認。

 結界の状態確認。


 けれど、その声もどこか上ずっていた。


 ルーカスは最初にレオンハルトを見た。


 次に周囲。


 巻き込まれた者がいないか。

 余波が残っていないか。

 熱傷、裂傷、衝突。


 視線を一巡させてから、もう一度レオンハルトへ戻した。


――そのとき。


 一人が、口元を押さえた。


「……うっ」


 椅子を引く音。


 別の席でも、同じような音が重なる。


 「気持ち悪……」

 

 「ちょっと、外……」


 レオンハルトの近くにいた数人が、顔色を変えて立ち上がる。


 一人はそのまま床に膝をついた。


 吐く音が、やけに生々しく響く。


 血は出ていない。


 怪我もしていない。


 それなのに、明らかに異常だった。


 ざわめきが一段低くなる。


「……なんで」

 

「さっきの、関係ある?」


 言葉が小さくなる。


 誰もはっきり言わない。


 だが、視線だけが揃う。


 レオンハルトへ。


 中心にいた本人も、無事ではなかった。


 わずかに眉を寄せ額に手を当てた。


「……っ」


 呼吸が乱れる。

 もう片方の手が、テーブルに触れる。

 支えるように。

 ほんの一瞬だけ、体重が乗る。


 ルーカスの顔色が変わった。


「殿下!」


 レオンハルトの体重が、わずかに前へ傾く。


 ルーカスは迷わなかった。

 腕を取り、肩を支える。


「行くぞ」


 拒否は無かった。


 レオンハルトは片手で額を押さえたまま、もう一方をルーカスに預ける。


 完全に崩れてはいない。


 だが、普段なら見せない重さだった。


 二人はそのまま歩き出し、食堂の中央を、静かに横切った。


 誰も道を塞がず自然に空いた。


 その中で、小さな声が混じる。


「……やっぱり、あれ」

 

「近くにいると、ちょっと……」

 

「さっきの人たちも……」

 

「助かったけど……」


 言い切らない声。


 感謝と距離が混ざった、曖昧な空気だ。


 ルーカスの足が一瞬だけ止まりかける。


 視線だけで周囲を払う。


 「……」


 何も言わない。


 だが、その沈黙に苛立ちが滲む。


 ――助けられておいて、それか。


 言葉にしないまま、肩を支える力だけが少し強くなった。


「気にするな」


 低く言う。


 レオンハルトは答えない。


 ただ、歩みは止めなかった。


 そのまま、食堂を出る。


 ざわめきだけが、後ろに残った。



ここまでお読みいただきありがとうございます。


明日以降も【毎日20時更新】予定です。


この物語とは別に、違う世界を扱った作品もあります。

もしご興味があれば、そちらも覗いてみてください。

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