第7話 人の流れ
昼の鐘が鳴り、教室にざわめきが広がる。
椅子を引く音、鞄を閉じる音。
空気が一気にゆるんで、皆が同じ方向――食堂へ向かい始めた。
クラリスもゆっくりと立ち上がる。
「お昼、一緒に行こうってダリアたちに誘われてたのに」
少し呆れた声だった。
「図書委員の子に当番を代わってほしいって言われて、ほいほい引き受けるんだもの。お人よしね」
鞄に教科書をしまいながら、軽く肩をすくめる。
「そんなことないです」
リリアは首を振った。
「三十分だけですし」
「そういう問題じゃないのよ」
教科書を閉じる音が、少しだけ強くなる。
クラリスは小さく息をついた。
「せっかく今日は食堂の焼き菓子が当たりの日かもしれないのに」
廊下へ出る生徒の流れを横目に見ながら言う。
「それは少し惜しいですね」
「少しなの」
「少しですよ?」
リリアはいつもの調子で答える。
クラリスはじとっとした目で見た。
けれど、すぐに肩の力を抜く。
「……ほんと、そういうとこよね」
諦め半分、面白がり半分の声だった。
扉の方へ歩き出す。
「じゃあ、席とっておく。先に行ってるわよ」
振り返らずに言う。
「はい。終わったら合流します」
リリアが答える。
クラリスは片手を軽く上げただけで、廊下の流れに溶けていった。
リリアは図書館へ向かいながら、小さく手を振った。
昼の校舎は、授業の合間とは違うざわめきに満ちている。
食堂へ急ぐ足音、階段を下りる声、笑い声。
その流れから一人だけ外れて歩くのは、少しだけ変な感じがした。
*
「食堂行こうぜ、殿下」
ルーカスは軽い調子でそう言って、椅子から立ち上がった。
「今日はまだ静かなうちに席取れそうだし」
レオンハルトは教科書を閉じる。
返事はない。
だが、否定もない。
「行くってことでいいよな」
ルーカスは勝手に話を進めた。
前の席の誰かが苦笑する。
そのくらい、いつものやり取りだった。
レオンハルトは立ち上がる。
教室を出る生徒たちの流れが、ほんの少しだけ割れた。
誰かが声を落とす。
誰かが視線を伏せる。
気づかないふりをするには、もう慣れている。
ルーカスも何も言わない。
ただ、隣を歩く位置だけは変えなかった。
廊下には昼の光が差し込んでいた。
高い窓から入った光が、磨かれた床に長く伸びている。
食堂へ向かう生徒たちの声が、回廊の天井にやわらかく反響していた。
「昨日の実践、派手すぎたな」
歩きながら、ルーカスがぼやく。
「お前、絶対加減してないだろ」
「必要だったからな」
レオンハルトは短く返した。
「まあ、それはそうなんだけど」
ルーカスは肩をすくめる。
階段の踊り場を過ぎると、窓の外に中庭が見えた。
昼の光を受けた芝生が明るい。
レオンハルトは、何気なくそちらを見る。
「保定の使い方、あいつ上手かったな」
そこで初めて、視線がわずかに動いた。
「あいつ?」
「リリア・エルドナー」
ルーカスは軽く言って、前を見る。
「座標分析早かったし。保定の維持が上手かった」
「そうなのか」
レオンハルトは窓の外を見たまま言った。
中庭に面した回廊の先。
生徒の流れが二つに分かれている。
片方は東の講義棟から食堂へ。
もう片方は、図書室のある北棟から食堂へ。
その合流点で、見つけた。
丸い眼鏡。
薄茶のおさげ。
リリア・エルドナーは、他の生徒とは逆の流れに乗っていた。
ひとり迷いなく図書室へ向かっていく。
「……あれが」
ぼそりと、声が落ちた。
「何?」
「いや」
レオンハルトは視線を戻す。
「何でもない」
ルーカスは一瞬だけ横顔を見たが、何も言わなかった。
二人はそのまま、人の流れに乗って食堂へ向かった。
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この物語とは別に、違う世界を扱った作品もあります。
もしご興味があれば、そちらも覗いてみてください。




