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第6話 観測開始 観測対象:レオンハルト・アルヴェイン


 その日の夜。


 王立アストレア学院、高等科男子寮。


 夜になっても、寮は完全には静まらない。


 二人部屋や四人部屋の並ぶ階からは、低い談笑や椅子を引く音が漏れている。

 廊下には魔道具の灯りが等間隔に置かれ、白い光が床を淡く照らしていた。


 だが、最上階の奥だけは少し空気が違った。


 貴賓用に設えられた居室。


 今は、第五王子レオンハルト・アルヴェインに与えられている部屋だ。


 そこだけは、他の寮室よりも静かだった。


  王族が滞在しても不都合のない部屋だった。


 居間には応接用の長椅子と低い卓。

 寝室には、天蓋のついた大きな寝台。

 奥には衣裳部屋と、簡単な厨房まで備えられている。


 内扉の向こうには、本来なら従者が控えるための小部屋もあった。


 だが、そこは使われていない。


 調度も装飾も、品がよく整えられていた。

 壁には古い織物が掛けられ、棚には小さな置物もある。


 けれど、個人の気配は薄かった。


 本は少ない。

 衣装も必要最低限。

 机の上には、使うものだけが置かれている。


 広い部屋のあちこちに、空きがある。


 王族が使うに相応しい部屋なのに、部屋の主人とはどこか合っていなかった。

 


 壁際の魔道具は出力を落とされ、窓際には薄い光しか届いていない。

 レオンハルトが、必要以上に明るい灯りを好まないからだ。



 レオンハルトは窓際に立ったまま、外を見ていた。


 ノックの音がした。


 返事はない。


 だが、最初からそうだと分かっていたように、扉は開いた。


「入るぞ」


 ルーカスだった。


 部屋に入るなり、扉の内側に指を滑らせる。


 淡い光が一瞬だけ走り、鍵の魔法が作動した。


「……鍵、かけてなかったぞ」


 ルーカスは眉を寄せる。


「不用心だろ」


「必要ない」


「必要ある」


 即答だった。


「学院の警備がどれだけ整ってても、ここは王宮じゃない。近衛が控えてるわけでもない」


 ルーカスは扉から離れ、レオンハルトを見る。


「俺だって、全部拾えるわけじゃないんだぞ」


「自分のことは自分で守れる」


「あのなあ……そういう問題じゃないんだよ」


 ルーカスは大きなため息をついて、壁に軽く背を預けた。


「今日の、あれ」


 少しだけ間を置く。


「やばかったな」


「問題ない」


 短い返答だった。


 ルーカスは前髪を無造作にかき上げる。


「あのとき、頭痛、来ただろ」


 レオンハルトは否定しなかった。


「……ああ」


「いつものやつだ」


「当たり前だ。あれだけ重ねりゃな」


 ルーカスは小さく息を吐く。


「防御、範囲拡張、結界、失速、分解……」


 指で順に数えるように言う。


「全部、無詠唱で同時処理だろ」


 レオンハルトは何も言わない。


「松明だけじゃない。火の粉まで拾ってた」


 ルーカスの声が少し低くなる。


「単発ならまだしも、あれだけ重ねれば、そりゃ歪む」


 少しだけ視線を逸らす。


「……普通はな」


 レオンハルトは黙ったままだった。


 否定もしない。


 それが答えだった。


 だが今日は違った。


 レオンハルトは窓の外を見たまま、低く言う。


「すぐに晴れた」


「は?」


「いつもの頭痛なら、視界が濁る。思考も遅れる。今日は、それが続かなかった」


 ようやく振り返る。


「なくなったんだ。すぐに」


 ルーカスの表情が変わる。


 軽さが消える。


「……歪み(ディストーション)が?」


「ああ」


 レオンハルトは目を伏せる。


 昼間の教室。


 飛んできた松明。


 分解の直後、確かに来た鈍い痛み。


 いつもなら、そこから濁る。


 視界が揺れて、思考が鈍る。


 深く入る前兆は、はっきりあった。


 だが、今日は違った。


 すぐ隣に、あれがいた。


 丸い眼鏡。

 薄茶のおさげ。

 状況を理解していない顔。


 ――ありがとうございました。


 あの能天気な礼を思い出して、レオンハルトはわずかに眉を寄せる。


「……減衰(アテニュエーション)か」


 小さく言って、首を振る。


「いや」


 訂正する。


中和(ニュートラライズ)、かもしれない」


 ルーカスはしばらく黙っていた。


 それから、慎重に言葉を選ぶ。


「その、リリア・エルドナーが原因だって?」


「他にない」


「あの子、何もなかったみたいな顔してたけど」


「だからだ」


 レオンハルトの声は低い。


「何も起きていない顔だった」


 ルーカスは息を吐いた。


「そんなことってあるのか?」


「分からない」


 レオンハルトは短く答える。


「だから、見る」


「見る?」


「ああ」


 ルーカスは少しだけ目を細めた。


「お前にとっても、見過ごせる問題じゃないな」


 レオンハルトは返事をしない。


 だが、その沈黙だけで十分だった。


 ルーカスは壁から背を離す。


「俺も見る」


「勝手にしろ」


「勝手に見るさ。護衛だからな」


そう言ってから、少しだけ笑う。


「それと」


 扉へ向かいながら、振り返る。


「珍しい顔してたぞ、お前」


 レオンハルトの目が細くなる。


「どんな顔だ」


「拾いもの見つけたみたいな顔」


 ルーカスはひらりと手を振った。


「じゃあな、殿下」


 扉が閉まる。


 静けさが戻る。


 レオンハルトはしばらくその場に立ち尽くし、それからゆっくりと額に手を当てた。


 痛みは、もうない。


 そのことが、かえって落ち着かなかった。


 **


 夜、部屋に戻ってから、リリアは机に向かった。


 新しいノートを一冊、取り出す。


 観測記録用に用意したものだ。


 ペンを持つ。


 迷いはなかった。


 今日の記録は一つでいい。


 あの場面を思い返す。


 松明が飛んできたことではない。


 分解(ディコンストラクト)

 


 詠唱なし。

 発動までの遅延なし。

 対象指定は正確。


 松明と炎と火の粉を同時に処理している。


 燃焼の停止ではなく、存在そのものの分解。


「……どういう 術式過程(プロセス)……?」


 小さく呟く。


 理屈が追えない。


 見た現象は分かる。


 だが、 術式過程(プロセス)が分からない。


 そこが、一番問題だった。


「まだ寝ないの?」


 ベッドからクラリスの声がする。


「少しだけ」


「今日、大変だったのに」


「はい」


 リリアは素直にうなずいた。


「でも」


 言葉を選ばず、そのまま言う。


「面白かったです」


 クラリスが布団の中で動く気配がする。


「面白かった、って……」


 半分呆れた声だった。


「先に寝るわね」


「はい。おやすみなさい」


「おやすみ」


 静かになる。


 リリアはノートに視線を落とす。


 もう一度、思い出す。


 あの瞬間。


 迷いがなかった。


 ためらいもなかった。


「……観測対象」


 小さく書き込んだ。


「レオンハルト・アルヴェイン」




 

 【用語メモ】


減衰アテニュエーション

発生した歪みの力が弱まること。

完全に消えるわけではなく、影響が小さくなる状態です。


中和ニュートラライズ

歪みそのものを打ち消す、または正常な状態へ戻すこと。

単なる減衰よりも強い作用です。




ここまでお読みいただきありがとうございます。


明日以降も【毎日20時更新】予定です。


この物語とは別に、違う世界を扱った作品もあります。

もしご興味があれば、そちらも覗いてみてください。

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