第5話 ちょっと飛びました
「本日の課題は単純です」
アルフレッドは教室前方の舞台の上の松明に火を灯した。
「この炎を消してください」
教室にざわめきが広がる。
「方法は問いません。水でも、風でも、遮断でも、分解でも構いません。ただし、選択の理由は説明していただきます」
穏やかな声だった。
けれど、条件は少しもやさしくない。
さらにアルフレッドは、名簿に目を落としたまま続けた。
「今回は二人一組で行います。必ず二人とも魔術をつかうように」
二人一組。
その意味を、リリアはすぐに考え始めた。
松明の炎は、見た目よりしぶとい。
表面の火だけなら、水球ひとつでも消せるかもしれない。
けれど、芯に残る火種まで完全に落とすには足りない可能性が高い。
二人分の水量で一気に押し切るか。
あるいは、片方が水球を留まらせる保定を使い、もう片方が追加の水を重ねるか。
別の方法もある。
空気を遮断するなら、燃焼範囲を正確に囲う必要がある。
結界で限定的な空間指定。
その上で内部の酸素を消費させるか、二酸化炭素を満たすか。
単純に見えて、単純ではない。
一人でできることには限界がある。
だから二人。
そう考えると、かなり意地の悪い課題だった。
「では、始めてください」
アルフレッドが微笑む。
教室のあちこちで、すぐに詠唱が始まった。
最初に動いた組は、水球だった。
勢いよく放たれた水が松明の炎を叩く。
火は一瞬だけ小さくなった。
けれど、次の瞬間には内部の火種が息を吹き返し、赤い舌がまた揺れる。
「あっ」
小さな悲鳴が上がる。
別の組は、水だけでは押し切れないと判断したらしい。
水球に、風を重ねる。
水圧を補い、一気に炎を叩き落とす狙いだ。
発想自体は間違っていない。
「風量が強すぎますよ」
補助教員の声が飛ぶ。
次の組は結界を張ろうとして、空間指定を誤った。
松明の上半分だけが妙に歪み、その外で炎が平然と燃え続けている。
失敗が続く。
リリアは松明を見たまま、小さく息を吐いた。
やはり、そう簡単にはいかない。
横ではレオンハルトがまだ動いていなかった。
急ぐ様子はない。
焦りもない。
ただ、静かに前を見ている。
その横顔を見て、リリアはわずかに迷った。
自分から何か言うべきだろうか。
それとも、相手の出方を待つべきだろうか。
だが、授業は待ってくれない。
「……あの」
できるだけ小さく、しかし聞こえるように声を出す。
「水球を重ねるか、保定で留めるのが早いと思います」
レオンハルトがわずかにこちらを見る。
それだけで、背筋が少しだけ伸びた。
「空気遮断は範囲指定が難しいですし、分解は授業で使うには危ないので」
言いながら、リリアは自分の中で整理する。
――これは観測じゃないです。ただの提案。たぶん。
レオンハルトは数秒黙っていた。
やがて短く言う。
「保定を使え」
「はい」
それだけで、役割は決まった。
リリアは手のひらを前へ向ける。
術式の枠を頭の中で組み立て、松明の周囲を限定する。
「固定」
「持続」
「干渉最小」
「保定!」
魔法陣が展開し、淡い光が松明の周囲に薄くまとわりつく。
すぐ隣で、レオンハルトが手を上げた。
詠唱はなかった。魔法陣も顕れない。
空気が、わずかに張る。
次の瞬間。
大きめの水球がまっすぐ飛び、保定された範囲の中で砕けた。
炎が落ちる。
水球だけではない。
強化か、浸透か、それとも水圧そのものを上げたのか。
――すごい。演算が早い。
そこまで考えて、リリアは気づく。
自分がレオンハルトの魔法に見入っていたことに。
リリアがレオンハルトの放った魔法に気を取られていた時、近くの組の術式が乱れた。
押し付けるはずの水が散り、炎を巻き込む形で横へ流れる。
制御を失った風が、教室の中央を横切った。
一瞬で風量が増す。
誰かが避けるために、別方向から風を放った。
「待ちなさい!」
補助教員の鋭い声が飛ぶ。
止める声は間に合わなかった。
二つの風が巻き込まれ、発生した旋風が松明を直撃する。
炎が大きく煽られる。
固定していたはずの松明が、軸ごと傾いた。
「きゃっ――」
前列のどこかで悲鳴が上がる。
次の瞬間。
松明が、そのままリリアの方へ吹き飛ぶ。
熱と光が一気に迫る。
「危ない!」
クラリスの声がした。
避ける、より先に。
レオンハルトが動いた。
手を上げる。
詠唱はない。
空気が張り詰める。
――分解だ。
触れた瞬間、松明が崩れる。
木も、炎も、形を保てないまま、ほどけるように黒い霧へと変わった。
破片すら残らない。
教室が静まり返る。
誰もすぐには声を出せなかった。
その沈黙を破ったのは、遅れて響いたざわめきだった。
「今の、見た?」
「松明ごと……?」
「分解って、上級じゃ――」
補助教員が慌てて前へ出る。
「その場を動かないでください!」
生徒たちは動揺して、その場で立ち尽くす。
少し離れた場所で、別の補助教員の声が上がった。
「怪我はないか! 落ち着いて確認しろ!」
「……大丈夫です!」
「こっちも問題ありません!」
返事が重なる。
大きな事故にはなっていない。
その中で。
「――エルドナーさん」
柔らかな声が、近くで落ちた。
アルフレッドだった。
いつの間にか、すぐ傍まで来ている。
「怪我はありませんか?」
穏やかな口調だった。
けれど、その視線だけが、ほんのわずかに鋭い。
リリアは床に座り込んだまま、顔を上げる。
「あ……はい、大丈夫です」
すぐに答えた。
「ありがとうございます。殿下のおかげで、事なきを得ました」
ぺこりと頭を下げる。
アルフレッドは一度だけうなずいた。
「それは何よりです」
微笑む。
いつも通りの顔に戻っている。
だが、その視線は一瞬だけ、レオンハルトへ向いた。
すぐに外れる。
何も言わない。
レオンハルトは答えなかった。
ただ、わずかに眉を寄せていた。
次の瞬間、額に手を当てる。
「……っ」
その小さな息に、ルーカスがすぐ反応した。
「大丈夫か、殿下」
「問題ない」
――軽かった。
隣に、気配がある。
「お前……」
レオンハルトが低く言う。
「なんともないのか」
リリアがきょとんとする。
「え?」
「なんとも、って」
少し遅れて、意味を理解する。
「あ……はい。怪我はありません」
それから、まっすぐレオンハルトを見る。
「本当に危ないところでした」
声は少しだけ小さくなる。
「殿下が守ってくださったからです」
リリアは床に座り込んだまま、背筋を伸ばす。
ぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございました」
レオンハルトは、わずかに目を細めた。
(……違う)
礼は普通だ。
反応も、おかしくはない。
だが。
(歪みが出ていない)
視線が外れない。
(あの距離で)
さらにもう一つ。
(頭痛も……軽い)
さっきまでの違和感を思い出す。
完全に消えてはいない。
だが、確実に弱い。
(……何をした)
リリアは首をかしげているだけだ。
自覚があるようには見えない。
(……こいつ)
【用語メモ】
■歪み(ディストーション)
魔力を行使した際、術者側へ跳ね返る反動のようなものです。
完全詠唱では魔法陣の展開により反動が周囲へ拡散されるため、多くの術者には強く現れません。
一方、短縮詠唱や無詠唱では反動が術者本人や周囲に残りやすくなります。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
明日以降も【毎日20時更新】予定です。
この物語とは別に、違う世界を扱った作品もあります。
もしご興味があれば、そちらも覗いてみてください。




