第41話 演成会⑤ 終演
レオンハルトは、気絶したリリアを抱えたまま立ち上がった。
横抱き。
いわゆる、お姫様抱っこだった。
リリアは完全に意識を失っている。
なのに、無意識にレオンハルトの制服を掴んでいた。
「医務室まで運ばないとね」
エリオットが手を伸ばしかける。
「触るな」
低い声だった。
エリオットが目を瞬く。
レオンハルトは、リリアを抱え直す。
「過負荷だ」
短い説明だった。
エリオットは小さく笑う。
「そういうことにしておくよ」
レオンハルトは返事をしない。
そのまま、壊れた舞台の横を通り過ぎていく。
スタジアムには、まだ焦げた匂いが残っていた。
砕けた石床。
焼けた防壁。
一直線に抉れた黒い傷跡。
誰がどう見ても、ただの演目ではない。
事件だった。
けれど、教員たちの動きは異様に速かった。
「第三防壁、停止!」
「記録魔道具を回収しろ!」
「医療班、負傷者確認!」
封鎖。
誘導。
回収。
学生たちの視線は次々に切り離され、舞台周囲はもう立ち入り制限が始まっている。
迷いがない。
慣れている。
まるで、最初からこういう事態を想定していたみたいだった。
その時。
スタジアム全体へ、拡声魔道具の声が響いた。
『皆様、落ち着いて行動してください』
若い女性の声。
よく通る、制御された声だった。
『ただいま、演出用魔道具の一部に予期せぬ干渉が確認されましたが、問題は解決しております』
演出。
その言葉に、クラリスは呆然と顔を上げた。
『演成会は十分後に再開予定です』
周囲の学生たちがざわつく。
『演成会参加者は待機場所へ戻ってください』
『見学中の学生は、速やかに元の席へ着席をお願いします』
静かなアナウンスだった。
落ち着いている。
落ち着きすぎている。
周囲では、戻り始めた学生たちが普通に話していた。
「今年の演出すごかったな」
「最後の光、どうやったんだろ」
「上級生ってやっぱレベル違うわ」
笑い声まで混じっている。
クラリスは言葉を失った。
違う。
違うでしょう。
さっきのは、演出なんかじゃない。
そう思うのに、周囲の空気はもう別の方向へ流れ始めていた。
そこへ、通りかかった教員が声をかける。
「グレイン嬢」
クラリスが振り返る。
「君も早く席へ戻りなさい」
穏やかな口調だった。
まるで、本当に何事もなかったみたいに。
「……え」
「演成会は継続されます」
教員は淡々と告げる。
「心配はいりません。安全は確認済みです」
そのまま別の生徒の誘導へ向かっていく。
クラリスは、しばらく動けなかった。
北側貴賓席。
魔力干渉と衝撃を遮断する透明な結界の向こうで、第四王子オズワルドは頬杖をついたまま舞台を見下ろしていた。
砕けた床。
焼けた防壁。
そして、スタジアム舞台上を横切っていくレオンハルト。
「あれが第五ね」
口元が、わずかに笑う。
「なかなか面白いじゃないか。……ねえ?」
隣に控えていた側近が、静かに頭を下げた。
「左様でございますね」
オズワルドは、それ以上何も言わない。
ただ、細めた目でスタジアムを眺め続けていた。
南側貴賓席。
ヴェルドラン王国文部大臣は、眼鏡を押し上げながら長く息を吐いた。
「あれが、“黒の演算王子”ですか」
低い声だった。
隣の随員が小さく頷く。
「戦場での異名にございます」
「なるほど」
文部大臣は、壊れた舞台を見る。
「凄まじい計算能力だ。加えて、あの演算補助」
脳裏に浮かぶ。
ピーコックグリーンの瞳。
手を繋いだ瞬間、変化した空気。
「これは、目が離せませんね」
そのさらに後方。
副学院長アルフレッドだけが、静かに微笑んでいた。
「――ますます観測が必要、ですね」
誰に向けた言葉でもない。
けれど、その目だけは冷静だった。
まるで、実験結果を確認する研究者みたいに。
ルーカスを乗せた担架が動き出そうとした、その時だった。
黒い制服の男たちが、静かに近づいてきた。
学院の教員ではない。
医療班とも違う。
装飾の少ない黒衣。
揃いすぎた足音。
周囲の教員たちが、自然と道を開けていく。
空気が変わった。
クラリスは思わず息を呑む。
その一団の後ろから、ひとりの男が歩いてきた。
ベルナール侯爵。
レオンハルトが入院した時に、一度だけ見ている。
ルーカスの父。
そして、王族側の人間。
先頭の黒服が担架の前で止まった。
「こちらで引き継ぎます」
短い声。
ルーカスが軽く手を上げた。
「はーい」
いつもの調子だった。
だが、ベルナール侯爵を見て、小さく目を逸らす。
「あ」
声が小さくなる。
「……父上」
ベルナール侯爵は担架の横で止まった。
視線だけで状況を確認したあと、静かに口を開く。
「使うなと言ったはずだ」
低い声だった。
「禁止規定でもある、ルーカス」
担架の上で、ルーカスが顔をしかめる。
「いや、あれはですね」
「後で聞く」
「ですよねぇ」
ルーカスが乾いた笑いを漏らした。
「叔父上」
少し離れた場所から、レオンハルトが短く呼ぶ。
ベルナール侯爵は、そちらへ視線を向けた。
「殿下。護持契約は、こちらの世界では使わない約束でした」
「必要だった」
「存じております」
ベルナール侯爵は、わずかに目を伏せる。
「それでも、止めるのが私の役目です」
クラリスは完全についていけなかった。
「……なんなの」
思わず漏れる。
ルーカスが担架の上で苦笑した。
「そうだよなぁ」
その時、レオンハルトがクラリスを見る。
「お前は早く戻れ」
短い声。
命令に近い口調だった。
「え」
「演成会は続く」
クラリスは言葉を失う。
この状況で。
本当に続ける気らしい。
ルーカスは担架の上で、小さく手を振った。
「じゃあな、クラリス」
軽い声だった。
まるで、少し保健室へ行くだけみたいに。
黒服たちが、そのまま担架を持ち上げる。
ベルナール侯爵も振り返らない。
その一団は、周囲の視線を切り裂くように去っていった。
クラリスは、その背中を呆然と見送る。
何も分からない。
なのに、聞いてはいけないものだけは、確実に増えていた。
その横を、レオンハルトが通り過ぎる。
腕の中には、まだ気絶したままのリリア。
「医務室へ連れていく」
短く言った。
クラリスは反射的に頷く。
「あ……うん」
レオンハルトは、それ以上何も言わない。
そのまま歩き去っていく。
残されたクラリスは、ようやく大きく息を吐いた。
「……なによ、これ」
誰に向けた言葉でもない。
「だいぶ濃かったねぇ」
後ろから、エリオットの声がした。
いつの間にか隣へ来ていたらしい。
クラリスは振り返る。
「先輩……何なんですか、この状況」
「推測だけど」
エリオットはいつものように、穏やかに笑った。
「少なくとも、学院が本気で隠すつもりだってことは分かった」
クラリスの背筋が、少し冷えた。
視線の先では、教員たちが動いている。
倒れた生徒。
壊れた魔道具。
黒服。
担架。
あれほど異常なものが、目の前にあった。
なのに、もう場内には別の声が流れている。
『演成会は、予定通り再開いたします』
『見学中の学生は、速やかに席へお戻りください』
何もなかったことにする声だった。
「どういうことですか」
クラリスの声は、思ったより低くなった。
「さっきの、誰がどう見ても事件でしょう」
「そうだね」
エリオットはあっさり認めた。
「でも、みんなが事件だと思わなければ、事件にはならない」
クラリスは言葉を失った。
耳に入ってくるのは、教員たちの誘導の声。
席へ戻されていく生徒たちの足音。
そして、少しずつ戻っていくざわめき。
さっきまで悲鳴を上げていた生徒たちが、周囲の様子をうかがいながら席へ戻っていく。
誰かが言った。
「さっきの演出、すごかったな」
別の誰かが答える。
「上級生って、やっぱりすごいんだな」
クラリスはぞっとした。
「……演出?」
「そういうことにするんだろうね」
エリオットは舞台を見たまま言う。
「事件を隠すより、演出だったことにする方が早い。ここには何千人もいる。全員の記憶を消すより、全員の解釈を同じ方向へ流した方が簡単だ」
「そんな……」
「群衆の認識は、案外もろいよ」
エリオットの声は静かだった。
「公式の声が流れる。周りが席へ戻る。誰かが“すごい演出だった”と言う。そうすると、自分が見たものも、だんだんその形に寄っていく」
クラリスの手が、無意識に制服の袖を握った。
確かに。
自分だって、少し前まで呆然としていた。
何が起きたのか、全部を説明できるわけではない。
その隙間に、別の答えを流し込まれる。
これは事故ではない。
事件でもない。
演成会の演出だった。
そう言われ続ければ、そうだった気がしてくる者もいる。
「……プロパガンダみたい」
クラリスが小さく呟いた。
「うん」
エリオットは否定しなかった。
「かなり上手いやり方だと思う」
「褒めないでください」
「褒めてはいないよ。評価しているだけ」
その言い方が、余計に怖かった。
クラリスは舞台を見る。
医療班が去り、壊れた魔道具が片づけられ、教員が何事もなかったように次の準備を始めている。
現実が、塗り替えられていく。
「……でも」
クラリスは、不意に喉が詰まった。
さっきまで自分たちは何をしていた。
リリアがアーティファクトを見つけた。
ルーカスがそれを壊した。
エリオットも見ていた。
クラリスも、そこにいた。
レオンハルトとリリアが電磁加速砲を止めた。
学院が本気でこの場を管理しているなら。
「私たちが、気づいていたことも」
声が小さくなる。
「学院側は、知ってるかもしれないってことですか」
エリオットは、すぐには答えなかった。
それが、答えのようなものだった。
「知っている可能性はあるね」
クラリスの背筋が冷えた。
「じゃあ、私たち……」
「今は大人しくしていた方がいい」
エリオットの声は、穏やかなままだった。
けれど、軽くはない。
「本気でどうにかするつもりなら、僕らはもうここにいない」
「……どういう意味ですか」
「別室に連れて行かれているか、記憶を確認されているか、もっと別の方法で黙らされている」
クラリスは息を呑んだ。
王立学院なら、できる。
それをするだけの人も、権限も、魔法もある。
「でも、そうなっていない。少なくとも今はね」
「それって、安心していいってことですか」
「違うよ」
即答だった。
「見逃されているだけかもしれない」
クラリスは、何も言えなくなった。
見逃されている。
その言葉が、妙に重かった。
助かったわけではない。
許されたわけでもない。
ただ、今この場では、処理する必要がないと判断されている。
そういう意味だ。
「だから、今日は従う」
エリオットは静かに言った。
「席へ戻る。余計なことは言わない。周りと同じ顔をする」
「……できる気がしません」
「できなくても、するんだよ」
エリオットは少しだけ笑った。
「君は賢いから、できる」
褒められた気はしなかった。
むしろ、逃げ道を塞がれた気がした。
クラリスはゆっくり息を吐く。
周囲では、生徒たちが席へ戻り始めている。
誰かが笑っている。
誰かが「すごい演出だった」と言っている。
教員は当たり前のように次の準備を進めている。
現実が、塗り替えられていく。
その中で、自分だけが立ち止まっていれば、目立つ。
「……分かりました」
クラリスは小さく言った。
「今日は、黙っています」
「うん」
エリオットは満足そうに頷いた。
「それがいい」
「先輩は、戻るんですか」
「戻るよ」
エリオットは待機場所の方を見る。
「まだ演目が残っているし」
「あ……」
「君も席へ戻った方がいい」
エリオットは、少しだけ声を落とした。
「なるべく静かにね」
その意味だけは、クラリスにも分かった。
今ここで見たことを、大声で話すな。
そういうことだ。
クラリスは小さく息を吐いた。
「……ほんと、おかしい」
エリオットは笑った。
「今さらだよ」
それから、舞台を見た。
「ここは王立アストレア学院なんだから」
ここまでお読みいただきありがとうございます。
第42話 最終回は明日20時予定です。
【この物語とは別に、違う世界を扱った作品もあります】
もしご興味があれば、そちらも覗いてみてください。
光を背負った王〜神力を宿す王太子エルドウルフの戦記〜
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