第42話 夏休みの予定
王立アストレア学院演成会が行われていた
その頃。
王都から遠く離れた東部地方では、穏やかな風が吹いていた。
畑の向こうで、小麦が揺れている。
夏前の陽射しは強い。
けれど、山から吹いてくる風はまだ涼しかった。
「……良い天気だ」
老人は空を見上げながら、ゆっくり息を吐いた。
手には木剣。
向かいには、双子の少年たちが立っている。
「リリアは元気にしてるかな」
「してるだろ」
片方が木剣を肩へ担ぐ。
「でも、ちょっと危なっかしいからなぁ」
「分かる」
もう片方が真顔でうなずいた。
「放っとくと変なことに巻き込まれそう」
老人は苦笑する。
「お前たちの姉だからな」
「心配すんな、ジジイ」
少年がにっと笑った。
「来年、俺たちが王都行って守ってやるよ」
「その腕でか?」
老人が木剣を肩へ乗せる。
「まだ一回もワシに当てられとらんのに」
「うるさい」
少年が顔をしかめた。
「まだ本気じゃないからだ」
「ワシも本気ではないぞ」
「はあ?」
老人は、空を見上げたまま言う。
「本気を出したら、山が割れる」
一瞬、沈黙。
「また始まった」
「ジジイの英雄語り」
「事実だ」
老人は平然としていた。
だが。
木剣を握る腕だけは、年齢に似合わず異様に太い。
積み上がった薪よりも。
畑仕事をしている農夫たちよりも。
その身体だけ、明らかに場違いだった。
「ほら、来い」
老人が木剣を軽く振る。
双子が顔を見合わせる。
「今日は当てるぞ」
「俺も」
「そうか」
老人は笑った。
穏やかな顔だった。
けれど。
次の瞬間。
空気が変わる。
踏み込み。
地面が鳴る。
「うおっ!?」
「速っ――!」
双子の木剣が弾き飛ばされた。
二人まとめて、畑の脇へ転がる。
老人は木剣を肩へ戻した。
「遅い」
「いや今の反則だろ!」
「見えねぇって!」
「見えてからでは死ぬ」
老人は平然と言った。
「戦場ではな」
双子が顔をしかめる。
けれど。
その目だけは少し楽しそうだった。
東部の空は青い。
遠く離れた王都で起きていることなど、ここには届かない。
それでも。
風の匂いだけが、どこか少し変わり始めていた。
◇◇
リリアは副学院長室に呼び出されていた。
一学期総括の日。
試験結果の掲示も終わり、中央館はいつもより静かだった。
リリアは重厚な扉の前で制服を整え、小さくノックする。
「失礼します」
「どうぞ」
柔らかな声だった。
部屋へ入ると、副学院長アルフレッドは机越しに微笑んだ。
「座ってください、エルドナーさん」
「はい」
机の上には、成績表が置かれていた。
「期末考査は総合二位でしたね」
「……はい」
一位ではない。
けれど、奨学金維持条件は満たしているはずだ。
リリアが少しだけ息を詰めた時だった。
「安心してください」
アルフレッドが書類をめくる。
「推薦者は、もう一人見つかりました」
「えっ?」
「五年生の学費と生活費については、心配しなくて結構ですよ」
一瞬、言葉が出なかった。
胸の奥が、ふっと軽くなる。
「……本当ですか」
「ええ。あなたは勉強に集中してください」
アルフレッドは穏やかに笑った。
リリアは観察記録をおずおずだした。
差し出すことに躊躇う。
「記録ですか?提出は結構ですよ」
「え?」
「プライバシーもありますし」
「はあ……」
予想外だった。
アルフレッドは、そのまま続ける。
「ですが、二学期も観察を続けてみませんか?」
「えっ?」
「もちろん、追加報酬は出します」
アルフレッドは少し間を置いて続けた。
「夏季休暇用に、移動ポータル往復券を差し上げましょう」
リリアの目が見開かれる。
馬車なら片道二週間。
けれど、移動ポータルが使えれば、近隣都市まで一瞬だ。
「いかがですか?」
断れないと分かっている笑顔だった。
リリアは数秒だけ悩み――
「……欲しいです」
小さく答えた。
アルフレッドの笑みが、わずかに深くなる。
「良かった」
◇◇
副学院長室を出ると、廊下の窓際に三人の姿があった。
「おっ、来た来た」
最初に気づいたのはルーカスだった。
壁にもたれたまま、軽く手を上げる。
クラリスがその横で腕を組んでいる。
そして少し離れた窓際には、レオンハルトが立っていた。
「待っててくださったんですか?」
リリアが目を丸くする。
「ルーカスが暇だったから」
クラリスが即答した。
「おい」
「だって本当でしょ」
ルーカスが笑う。
「まあな。久々に外出許可出たし」
リリアはそこで、ふとルーカスを見る。
「……もう大丈夫なんですか?」
戻ってきて、まだ数日だ。
骨折していたはずなのに、今は普通に立っている。
「大丈夫だよ」
ルーカスは肩を回した。
「もう何ともない」
「いや治るの早すぎでしょ」
クラリスが呆れる。
「テストに間に合って良かったですね」
リリアが言う。
ルーカスは苦笑した。
「赤点ギリギリだったけどな」
「威張ることじゃないでしょ」
クラリスが吹き出す。
その横で、レオンハルトが短く言った。
「お前は、何でも避けるのが上手いな」
「褒めてるのか?」
「事実だ」
「褒めてねぇな、これ」
ルーカスが肩をすくめる。
クラリスは少し笑って、それから呆れたように息を吐いた。
「そういえば」
クラリスがふと思い出したように言う。
「ルーカス、結局なんで骨折したの?」
「演出事故の巻き添え」
ルーカスが即答した。
「そんな軽い感じで言う?」
「実際そう説明されたし」
クラリスは少し考える。
確かに。
最後、磁力が暴走して、防壁が壊れて――
「……あれ?」
途中の記憶が曖昧だった。
「なんか、最後よく覚えてないのよね」
「私もです……」
リリアが小さく呟く。
「途中から頭が真っ白で……」
ルーカスとレオンハルトが、一瞬だけ視線を交わした。
「過負荷だったんだろ」
レオンハルトが淡々と言う。
「演成会の魔力干渉、結構強かったしな」
ルーカスも自然に続けた。
「あー……それか」
クラリスが納得したように頷く。
それ以上、誰も深く触れなかった。
「まあいいや」
クラリスが肩をすくめる。
「終わったんだし」
「雑だなぁ」
ルーカスが笑う。
「細かいこと気にしてたら、この学院やってけないわよ」
「それはちょっと分かります」
リリアが真顔でうなずいた。
クラリスが吹き出す。
「リリアまで染まってきてるじゃない」
「そうか?」
ルーカスが言う。
「最初からちょっとズレてるだろ」
「否定できません……」
リリアは小さく視線を逸らした。
その横で、レオンハルトが窓の外を見る。
夏前の陽射しが、中庭へ落ちていた。
「……もうすぐ夏休みか」
ぽつり、と。
珍しく自分から話題を出した。
「殿下、王宮帰るのか?」
ルーカスが聞く。
「面倒だから寮に残る」
「うわ、出た」
クラリスが笑う。
「王族のくせに帰省めんどくさがる人」
「移動が多い」
「それだけ?」
「それだけだ」
ルーカスが肩を揺らした。
「この人、意外と出不精なんだよな」
「どっか行こうか、四人で」
クラリスが何気なく言った。
リリアが目を瞬く。
「四人で?」
「いいですね」
返事は思ったより早かった。
クラリスが少し笑う。
「リリア絶対そう言うと思った」
「俺、海行きたい」
ルーカスが手を上げる。
「泳ぎたい。あと冷たいもん食いたい」
「山も良いわよ」
クラリスが窓の外を見る。
「涼しいし」
「……どっちも人が多そうだな」
レオンハルトがぼそりと言った。
「殿下、人混み嫌いだもんね」
「うるさい」
でも、否定はしなかった。
リリアはそのやり取りを見ながら、小さく笑う。
「私は、あんみつ食べたいです」
「急に小さい!」
クラリスが吹き出した。
「いやでも分かるわ」
「分かるのかよ」
ルーカスも笑う。
廊下には、夏前の風が吹き抜けていた。
窓の外では、他の生徒たちの声も聞こえる。
どこにでもある、放課後みたいだった。
その様子を、中央館の窓から静かに見下ろしている人物がいた。
副学院長アルフレッドだった。
わたり廊下を歩いていく四人。
笑い声。
他愛のない会話。
夏休みの予定。
どこにでもいる学生たちの姿だった。
「いいですね」
アルフレッドは小さく呟く。
「青春ですか」
穏やかな声音。
けれど、その目だけは静かだった。
観察するように。
確かめるように。
窓ガラスへ夏の光が差し込む。
その向こうで、四人の背中はゆっくりと人混みへ消えていった。
観測者リリア~王子の歪みは彼女だけが見える~ 完
あとがき
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございました。
『観測者リリア』は、WEB小説二作目にして、私が初めて完結まで書き切ったお話です。
物語を始めることも大変ですが、終わらせることはまた別の力が必要なのだと、今回あらためて感じました。
最後まで書き切れたことは、私にとってとても大きく、得難い経験です。
リリアの物語も、この世界も、登場人物たちも、私はとても愛しています。
またいつか、この世界の続きを紡ぐことができたら嬉しいです。
ここまで読んでくださったすべての方へ、心から感謝を込めて。
RE:ANNE




