第39話 演成会③ 逆相
「悪ぃ……」
ルーカスは苦く笑った。
「時間切れだわ」
膝が崩れる。
倒れ込む身体を、レオンハルトが受け止めた。
「よくやった」
短い言葉だった。
刹那、ルーカスの手から、黒い剣が離れる。
床へ落ちる前に、刃がほどけた。
闇のような黒が、一瞬で形を失う。
砕けたのではない。
消えたのでもない。
まるで、最初からレオンハルトの影だったものが戻るように、その黒は彼の手元へ吸い込まれていった。
同時に、ルーカスの身体から力が抜ける。
「……あとは」
ルーカスは荒い息のまま、舞台中央を見た。
ふらつきながら笑うユリウス。
その周囲の空気だけが、まだおかしい。
「……任せた、殿下」
レオンハルトは答えなかった。
ただ、ルーカスを静かに床へ預けると、前を見た。
「クラリス!」
短く呼ぶ。
クラリスは目を見開いた。
だが、すぐに動く。
「わかったわ!」
足元に、淡い魔法陣が走る。
強化。
次の瞬間、クラリスはスタンド前列から迷いなく飛び降りた。
長い髪が翻る。
エリオットも続く。
二人はルーカスの腕を肩へ回し、スタンド側へ運ぼうとした。
「うわ、重っ……!」
「聞こえてるぞ……」
ルーカスが薄く笑う。
「黙ってよ。このバカっ」
クラリスは即答した。
それでも、手は離さない。
引きずるようにして、ルーカスを舞台の端へ退かせる。
その横で、エリオットは舞台中央を振り返った。
ユリウスが、まだ立っている。
ふらついている。
笑っている。
だが――倒れない。
「……おかしい」
エリオットが小さく呟いた。
「外部干渉魔道具は全部壊したはずだ」
視線が細くなる。
「なのに、なんで動ける……?」
リリアの背筋が冷えた。
違う。
まだある。
外じゃない。
もっと近くに。
リリアの目が、強く光った。
ピーコックグリーンの瞳が、ユリウスを捉える。
波が、乱れている。
壊れている。
そして、その奥で何かが動いている。
「――殿下!」
リリアはスタンドから叫んだ。
「受け止めてください!」
「な――」
レオンハルトが顔を上げる。
その時にはもう、リリアは飛んでいた。
スタンド前列の手すりを蹴る。
小さな身体が、迷いなく落ちてくる。
「リリア――!?」
クラリスが悲鳴を上げた。
レオンハルトが反射的に前へ出る。
腕を伸ばす。
その瞬間、足元が軋んだ。
無意識の身体強化。
落ちてきたリリアを抱き留める。
軽い衝撃。
だが、強化なしでは支えきれない重さだった。
「……っ」
抱き留めたあとで、初めて理解が追いついた。
「お前、何してる!」
怒鳴る声。
だが、リリアはまったく怯まなかった。
「私、役に立ちます!」
言い切った。
一切、迷いがない。
レオンハルトが息を詰める。
「何を――」
「読めますっ」
リリアはユリウスを見たまま続けた。
「波形を読めます!」
空気が、また震えた。
舞台中央。
砂鉄が細く集まり始めている。
先ほどのように面で暴れる動きではない。
もっと細い。
もっと鋭い。
空間を削るように、一直線へ収束していく。
レオンハルトの表情が変わった。
リリアを静かに地面へ下ろす。
その瞬間、リリアが彼の手を掴んだ。
強い力だった。
「それに、これで殿下は歪みません!」
「……は?」
「同期しますよ!」
ピーコックグリーンの瞳が、真っ直ぐレオンハルトを見る。
「私は、波形が読めるんです!」
レオンハルトは一瞬だけリリアを見た。
それから、舞台中央へ視線を戻す。
ユリウスは、ふらつきながら立っていた。
呼吸が浅い。
視界が揺れているのか、焦点が合っていない。
それでも、笑っている。
『……できる』
掠れた声が漏れた。
『理論は……合ってる』
砂鉄が収束していく。
細く。鋭く。
ユリウスの焦点の合わない目が、ルーカスたちの方へ向いた。
『あいつの……せいで……』
唇が震える。
『じゃま、しやがって……』
リリアの目が見開かれた。
見えた。
波ではない。
軌道だ。
収束した砂鉄が向かう先。
その先にいるのは――ルーカスと、彼を支えるクラリスとエリオット。
「殿下、ルーカスたちが危ない!」
レオンハルトの赤い瞳が、同じ方向を向く。
リリアの手を握る力が強くなる。
知覚が重なった。
磁場。
収束。
加速。
発射線。
理解が、同時に走る。
「「電磁加速砲!」」
空気が裂けた。
細い光が、一直線に走る。
撃たれた。
その瞬間、レオンハルトの足元に黒い魔法陣が幾重にも展開された。
「失速!」
短い詠唱。
空間が軋む。
「範囲指定!」
さらに術式が重なる。
速い。
だが、無秩序ではない。
計算されている。
「防壁!」
魔法陣が増える。
複雑に噛み合う。
リリアの目が見開かれた。
理解が、断片ではなく構造として届く。
術式の組み方。
魔法陣の意味。
詠唱で固定される座標。
展開される防壁の角度。
無詠唱が、常に上なのではない。
短縮詠唱と魔法陣を組み合わせることで、術式の精度そのものを引き上げている。
威力。
範囲。
制御。
全部が違う。
(これが……本気)
細い光が、防壁へ衝突した。
轟音。
床が震える。
一直線だった軌道が、わずかにズレた。
止まりきらない。
押し切れない。
「……上へ逸らすっ!」
リリアが叫ぶ。
レオンハルトの赤い瞳が細まった。
魔法陣が回転する。
その瞬間、ルーカスが反射的にクラリスを引き寄せた。
「えっ――?」
覆いかぶさる。
もう力なんて残っていないはずなのに。
庇うことだけは、迷わなかった。
衝突。
光が、上空へ弾けた。
遅れて、轟音がスタジアム全体を揺らす。
クラリスは息を呑んだ。
すぐ近くで、ルーカスの荒い呼吸が聞こえる。
舞台中央で、ユリウスが笑った。
『できた……』
震える声。
だが、確かに笑っている。
『できた』
砂鉄が、また集まり始める。
細く。
鋭く。
恍惚だった。
『やっぱり……できるんだ』
パチパチ、と音が鳴る。
ユリウスの周囲で、砂鉄同士が擦れ合い、赤い火花を散らしている。
収束している。
『もう一度。
今度は、もっと強く。』
レオンハルトの表情が消えた。
「……だめだ」
低い声だった。
「あいつを止める」
ようやく教員たちが集まり始めていた。
防御魔法。
拘束術式。
警備担当の魔法師たちが、スタジアム下層から駆け上がってくる。
だが、遅い。
間に合わない。
「止めるって、なんですか?!」
リリアがレオンハルトを見る。
赤い瞳が、わずかに揺れた。
「……無力化だ」
その言葉で、リリアには分かった。
それが何を意味するのか。
「だめです!」
即座に叫ぶ。
「精神系外部干渉魔道具です!」
リリアの目が、さらに強く光る。
「ユリウス先輩じゃない!」
波が、断片的に届く。
努力。
才能。
挫折。
焦燥。
積み上げても、届かない感覚。
その重さを、リリアは知っていた。
奨学金。
成績。
順位。
選ばれなければ先がないという不安。
それは、ユリウスだけのものではなかった。
「……だめ」
リリアは小さく呟いた。
「あの人、壊れちゃいます」
レオンハルトは前を見たまま言う。
「止めないと間に合わない」
「違いますっ」
リリアは強く首を振った。
「磁力をコピーして、反転して、無効化するんです」
レオンハルトの赤い瞳が細まる。
「……できるのか」
「できます!」
即答だった。
「殿下なら!!」
リリアは一歩近づき、両手でレオンハルトの手を掴んだ。
ピーコックグリーンの瞳が、強く光る。
「私を使ってください」
知覚が、重なる。
観測。
解析。
理解。
リリアが今、一番欲しい能力。
完全把握!
それを、レオンハルトへ繋ぐ。
世界が変わった。
空間そのものが、情報へ変わっていく。
磁力の濃淡。
向き。
電気の流れ。
渦。
反発。
引力。
砂鉄の粒、一つ一つの軌道まで。
全部だ。
レオンハルトの赤い瞳が細くなる。
同時に、リリアのピーコックグリーンの瞳も強く煌めいた。
ユリウスを囲むように、無数の黒い魔法陣が展開される。
一枚ではない。
幾重にも重なり、回転し、空間そのものを囲い込む。
演算。
解析。
複写。
そして――
「位相反転!!」
レオンハルトが低く呟いた。
空間内に存在する磁場を、そのまま写し取る。
向きを逆転させる。
位相をずらす。
次の瞬間、ユリウスの周囲で暴れていた磁力が、真正面から衝突した。
空間が、悲鳴を上げる。
黒い魔法陣が一斉に震えた。
砂鉄が跳ねる。
赤い火花が弾ける。
だが、外へは広がらない。
内側でぶつかり、打ち消され、崩れていく。
スタジアムが、静まった。
終わったのか。
その場にいた誰もが、そう思った。
ユリウスは舞台の中央で膝をつき、うつむいたまま動かない。
砂鉄は落ちている。
火花もない。
空気の歪みも、消えたように見えた。
だが。
「まだ」
リリアが呟いた。
ピーコックグリーンの瞳が、まだ光を失っていない。
「まだです、終わってない!」
レオンハルトが視線だけを向ける。
「外部干渉魔道具を壊して!」
リリアは震える指で、座標を示した。
ユリウスの首の付け根。
後ろ側。
「そこです!」
レオンハルトは一瞬で理解した。
黒い魔法陣が、細く展開される。
「雷撃!」
短い詠唱。
光の矢が一本、放たれた。
それはユリウスを傷つける軌道ではない。
首筋に沿うように走り、皮膚の表面すれすれを掠める。
ぱしっ。
乾いた音がした。
黒い何かが、砕ける。
ユリウスの身体から、ふっと力が抜けた。
今度こそ、彼は前のめりに崩れ落ちた。
誰も、すぐには動けなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
明日以降も【毎日20時更新】予定です。
【この物語とは別に、違う世界を扱った作品もあります】
もしご興味があれば、そちらも覗いてみてください。
光を背負った王〜神力を宿す王太子エルドウルフの戦記〜
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