第38話 演成会② 暴走
多面体が、崩れた。
黒い粒子がほどける。
ばらばらに散ったように見えた砂鉄は、次の瞬間、空中でまとまった。
うねる。
伸びる。
形を失ったはずの粒子が、一本の流れになる。
いや――違う。
一本ではない。
いくつも。
まるでタコの足のように、黒い束が何本も空中でうねり、スタジアムへ向かって広がっていく。
「……っ」
リリアは息を詰めた。
速い。
そして、重い。
粒子同士が擦れ合い、甲高い音が連なる。
赤い火花が散った。
黒い流れの先端が、赤く染まる。
熱を持っている。
それが、そのままスタンドへ伸びた。
「防御を!」
教員の声が飛ぶ。
透明な結界が、瞬時に展開された。
黒い束が、ぶつかる。
鈍い音。
火花。
遅れて、衝撃が響く。
「きゃっ――!」
前列の生徒たちが悲鳴を上げた。
逃げる。
椅子が倒れる。
誰かが転ぶ。
怒鳴り声が飛ぶ。
ざわめきが、一気に崩れた。
パニックだった。
黒い束は止まらない。
何度も、何度も、結界へ叩きつけられる。
擦れる。
焼ける。
赤くなった砂鉄が、結界の表面を削っていく。
――軋む。
目に見えないはずの防御が、歪んだ。
「まずい……!」
誰かが言った。
燃えた砂鉄が、結界を破りかけていた。
「リリア!クラリス!」
ルーカスが鋭く振り返る。
「下がれ!」
短い命令だった。
だが、クラリスは出口の方を見て顔を引きつらせる。
「無理よ……!」
出入口には人が詰まっていた。
押し合いになっている。
今あそこへ向かえば、逆に危険だ。
その横で、リリアは舞台を見ていた。
目が違う。
逃げるためではない。
観察するための目だった。
「逃げません!」
即答だった。
「外部干渉魔道具です!」
ルーカスの眉が寄る。
「わかります!」
リリアは立ち上がる。
視線が、スタジアム全体を走った。
観客席。
支柱。
天井。
結界。
そして――
「撮影機……!」
中継用の大型魔道具。
スタンド上部に設置された支柱型の撮影機が、細かく振動している。
さらに。
「撮影ドローンも……!」
空中に浮いていた小型魔道具が、不自然に揺れていた。
ひとつじゃない。
全部だ。
リリアの顔色が変わる。
「三十二……」
数えながら、息を呑む。
「三十二個、あります……!」
ほんのわずか、周囲の音が遠のいた。
ルーカスが顔をしかめる。
「三十二!?」
本気で嫌そうな声だった。
「うそだろ」
その時。
空間が、歪んだ。
青白い光が、空中に線を描く。
転移魔法。
次の瞬間、人影が現れた。
白い学院服、乱れた黒髪、赤い瞳。
レオンハルトだった。
着地と同時に、わずかによろめく。
ルーカスが顔をしかめる。
「……親父殿の転移魔法か。無茶しやがって」
「うるさい」
レオンハルトは低く返す。
そのまま片手を上げた。
防御魔法が展開される。
黒い砂鉄が、結界を削る。
火花が散る。
熱を持った粒子が、防御面を焼きながらうねっていた。
ルーカスとエリオットが前へ出る。
防御魔法が重なる。
淡い膜が、何重にも展開された。
その内側で、クラリスが息を呑む。
「な、なにこれ……っ」
リリアも術式を展開していた。
「積層防壁」
「熱減衰」
「衝撃分散」
完全詠唱。
それでも、防御面が軋む。
「すごい……っ威力です……!」
リリアの顔が強張る。
「これじゃ、術者本人も保たない……!」
舞台中央。
ユリウスがふらついていた。
目の焦点が合っていない。
それでも、笑っている。
黒い砂鉄の足が、さらに伸びる。
結界を削り、防御を押し込み、観客席へ届こうとする。
「殿下!」
ルーカスが叫んだ。
「王命接続しかない! 制限を解け!」
クラリスが目を見開く。
「は……?」
意味が分からない。
なぜ、ルーカスがレオンハルトへ叫ぶのか。
なぜ、レオンハルトがそれを判断できる立場なのか。
分からないことばかりだった。
レオンハルトは、すぐには答えなかった。
赤い瞳が、砂鉄の束を見据える。
「……だめだ」
低い声だった。
ルーカスの顔が歪む。
「だめじゃねぇだろ!」
その瞬間。
ぎしり、と結界が鳴った。
透明な防御面に、白い亀裂のような光が走る。
赤く焼けた砂鉄が、押し込んでくる。
前列に残っていた生徒が、悲鳴を上げた。
「もう保ちません!」
補助教員の声が裏返る。
ルーカスが叫んだ。
「はやくしろ!」
レオンハルトの手が、わずかに握られる。
それが何を意味するのか、リリアには分からない。
だが、ルーカスには分かっているようだった。
使えば、何かが壊れる。
それでも、使わなければ間に合わない。
レオンハルトが、一歩前へ出た。
「……制限解除」
短い言葉だった。
ルーカスが笑う。
「拝命した!」
レオンハルトの右手が持ち上がる。
魔法陣が展開された。
リリアが息を呑む。
(……初めて見る)
レオンハルトが魔法陣を使うところを、初めて見た。
それは普通の光ではなかった。
黒い。
闇そのものを刻んだような術式。
光を放たない。
逆に、周囲の光を吸い込んでいる。
空間が軋む。
レオンハルトは、その中心へ手を差し入れた。
掴む。
そして――引き抜く。
闇が、剣の形を取った。
反射しない黒。
光を吸い込む刃。
それを見た瞬間、ルーカスの空気が変わった。
レオンハルトは、反射しない黒い剣を差し出す。
「止めてこい」
短い命令だった。
ルーカスが剣を受け取る。
その瞬間。
今まで抑え込まれていた何かが、解放された。
床が軋む。
魔力が、一気に膨れ上がる。
ルーカスが黒い光につつまれた。
クラリスが息を呑んだ。
「な、に……」
ルーカスは答えない。
ただ、黒い剣を肩へ担ぐ。
口元だけが、わずかに笑った。
「五分で終わらせる」
ルーカスが踏み出した。
――そう思った時には、もう一番近い黒い脚が斬られていた。
砂鉄の束が、途中で断たれる。
磁力に引かれ、繋がり直そうとする黒い粒子。
だが、その間へ、反射しない闇が滑り込んだ。
黒い剣が通った場所だけ、魔力の流れが裂ける。
砂鉄は形を保てず、ばらばらと散った。
「磁場のキャンセル……?」
エリオットが見上げる。
「違います……」
リリアは波を読んでいた。
「あれは、磁場を切っているんじゃありません」
息を呑む。
「魔力そのものを切っています!」
その言葉が終わる前に、二本目の黒い脚が消えた。
次いで、三本目。
斬られた砂鉄は、粉のように舞い、熱を失って落ちていく。
速い。
速すぎる。
ルーカスの姿を目で追うより先に、結果だけが増えていく。
「なに、あれ……」
クラリスが呆然と呟く。
「なんで、あいつ、あんなに強いの……?」
目で追えない。
気づけば黒い脚が断たれている。
砂鉄が散る。
熱が消える。
それが繰り返されていた。
エリオットが、わずかに目を細める。
「彼は……守護騎士か」
「え?」
クラリスが振り向く。
エリオットは黒い剣を見たまま続けた。
「王族直属の戦闘騎士だよ」
黒い剣が走る。
「まさか、本当にいるとは思わなかったけど」
断つ。
裂く。
砂鉄の脚は、形を保てない。
ルーカスが通った場所から、暴走が消えていく。
同時に、スタジアム各所で火花が散った。
支柱型の撮影機。
浮遊する撮影ドローン。
隠されていた外部干渉魔道具が、次々に砕けていく。
「……うそ」
クラリスが息を呑む。
「全部、見えてるの……?」
速すぎる。
いや。
正確すぎる。
ルーカスは一度も迷わない。
八本目の黒い脚が断たれた。
熱を失った砂鉄が、雨のように落ちる。
ざわめきが、少しずつ遠ざかっていく。
生徒たちは、ほとんど避難を終えていた。
残っているのは、教員たちと――
舞台中央。
ふらつきながら笑っているユリウスだけ。
ルーカスが、そちらへ踏み込もうとした。
その瞬間。
ぴたりと、足が止まる。
「……っ」
ルーカスの顔が歪んだ。
黒い剣を支えにするように、片膝が落ちる。
レオンハルトが、スタンドから飛び降りた。
長いコートが翻る。
着地と同時に、魔力が床を震わせた。
レオンハルトはルーカスの前へ出る。
ルーカスは苦く笑った。
「悪ぃ……」
呼吸が荒い。
「時間切れだわ」
そのまま、崩れる。
黒い剣が、重い音を立てた。
クラリスが息を呑む。
「え……」
ついさっきまで、圧倒していた。
目にも止まらない速さで暴走を切り裂いていた男が、今は立てない。
リリアだけが、すぐに理解した。
(反動……!)
そして。
舞台中央では、ユリウスがまだ笑っていた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
明日以降も【毎日20時更新】予定です。
【この物語とは別に、違う世界を扱った作品もあります】
もしご興味があれば、そちらも覗いてみてください。
光を背負った王〜神力を宿す王太子エルドウルフの戦記〜
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