第36話 制止
夜半。
王立学院付属医療院、特別区画。
レオンハルトが目を覚ました。
室内は静まり返っている。
魔導灯の淡い光だけが、白い壁と清潔な寝具をぼんやり照らしていた。
音が少ないぶん、身体の内側にある違和感がはっきり分かる。
――遅い。
意識に、身体がついてこない。
指先を動かす。
まぶたを閉じる。
呼吸を整える。
そのどれもが、ほんのわずかにずれていた。
――六%か。
数値にすれば小さい。
だが、戦場では無視できない。
それでも、思考は回る。
レオンハルトは天井を見上げたまま、予行演習の光景をなぞった。
旋風。
増幅。
剪風。
自走。
あの暴走は、単純な術式事故ではない。
「近距離と……遠距離だ」
小さく呟く。
舞台近傍での干渉。
複数配置。
それは剪風の拡張と暴走で推測していた。
だが、それだけでは説明が足りなかった。
制御の外れ方。
反応の遅れ。
周囲の認識。
物理的な増幅だけではない。
「……精神側の干渉があった」
術者の判断が鈍る。
周囲の対応も遅れる。
あの場にいた人間全体の認識が、一瞬ずれていた。
学院が気づかないはずがない。
あり得ない。
なら。
「気づかせなかった」
外からか。
あるいは、内側からか。
さらに、もう一つ。
防御壁。
あの場で展開された障壁は、確かに機能していた。飛来物を弾き、観客席への被害を抑えた。
が、遮っていたものは被害だけではなかった。
「……教官側に干渉の余波が、届いていない」
外部からの波形は、観測されていない。
干渉があったことそのものを、認識させない構造。
事故として処理されるよう、作られていた。
そこまで考えたところで、扉の外に気配が止まった。
「入れ」
短く告げる。
扉が開き、ベルナール侯爵が入室した。
「起きておられましたか」
「報告を」
挨拶は要らない。
ベルナール侯爵も、それを理解していた。
一礼だけで済ませ、簡潔に口を開く。
「ルーカスから連絡がありました」
レオンハルトは視線だけを向ける。
「演習場周辺で、外部干渉魔道具と思しき物体を複数発見。現在は回収し、学院研究棟保管庫で管理中です」
「学院には報告したのか」
「しておりません」
ベルナール侯爵は迷わず答えた。
「私の裁量で止めさせました」
「理由は」
「証拠の保全と、情報の遮断。現段階で学院側に全面開示するのは得策ではないと判断しました」
レオンハルトは小さく息を吐いた。
「……正しい」
それから、目を閉じる。
静かな医療室に、遠くの魔導灯の低い音だけが残る。
「それで」
再び目を開ける。
「本番は決行か」
「その見込みです」
短い返答だった。
「中止の動きはありません」
レオンハルトは天井を見たまま黙った。
驚きはない。
そうだろう、と思っていた。
ここまで仕組まれているなら、本番を止める理由がない。
むしろ、止めれば相手に気づかせる。
だから学院は動かない。
動けないのか、動かないようにされているのか。
どちらにせよ、結果は同じだった。
「なら、明日も来る」
ベルナール侯爵は答えなかった。
否定も肯定もしない。
その沈黙だけで、十分だった。
「最悪だな」
小さく吐き出す。
レオンハルトは掛け布を払った。
身を起こす。
そのまま、床へ足を下ろそうとした。
「おやめください」
ベルナール侯爵の声が飛ぶ。
静かだった。
だが、強い。
「まだ万全ではありません」
「本番は明日だ」
レオンハルトは構わず立ち上がろうとする。
ベルナール侯爵が一歩前へ出た。
「行かせられません」
「学生が死ぬ」
短い言葉だった。
そこに迷いはない。
ベルナール侯爵もまた、揺れなかった。
「仮にそうだとしても、王子の安全の方が重い」
レオンハルトの動きが止まる。
「そういう国です」
静寂が落ちた。
レオンハルトは、その言葉を否定しなかった。
「……知っている」
低く返す。
知っている。
幼い頃から、ずっと。
誰の命が重く、誰の命が軽いのか。
誰を守るために、誰が切られるのか。
その順番で、国は動く。
だからこそ、次の言葉は静かだった。
「そして」
レオンハルトは、わずかに目を細めた。
「俺だって、誰かの安全のためには切られる命だろう」
ベルナール侯爵は答えなかった。
「なら、今ここで寝ている方が、よほど国に都合がいい」
「殿下」
「王子の安全が重いなら、王子の価値もまた、国が決める」
レオンハルトは床へ足を下ろした。
「俺が動く方が、被害を抑えられる」
「行動制限が出ています」
ベルナール侯爵の声が、わずかに低くなる。
「王家の機関からです。今夜、あなたを外へ出すことはできません」
「どけ」
「できません」
二人の視線がぶつかった。
レオンハルトは立ち上がろうとした。
だが、膝に力が入りきらない。
身体が、わずかに傾く。
ベルナール侯爵が反射的に手を伸ばした。
支えられる前に、レオンハルトは自分で寝台の縁を掴む。
悔しさではない。
怒りでもない。
ただ、自分の身体が今使い物にならないという事実だけが、冷たく残った。
ベルナール侯爵は、静かに言った。
「責は、私が負います」
レオンハルトは顔を上げる。
「せめて、朝までお休みください」
侯爵の声は、命令ではなかった。
願いに近い。
「明日、動かれるのであれば」
そこで、言葉を選ぶように沈黙した。
「必ず、私が送り届けます」
レオンハルトは黙って、その顔を見た。
しばらくして、視線を落とす。
「……すまない」
それから、ほんの少しだけ口調が崩れた。
「叔父上」
ベルナール侯爵の表情が、かすかに変わる。
だがすぐに、いつもの顔に戻った。
「謝罪は不要です」
静かに言う。
「あなたが明日も動くつもりでいることなど、最初から分かっておりました」
レオンハルトは、わずかに眉を寄せる。
「なら止めるな」
「止めます」
即答だった。
「それも、私の役目です」
レオンハルトは小さく息を吐いた。
抵抗をやめる。
ベルナール侯爵は寝台脇まで進み、掛け布を整えた。
子供扱いではない。
王子への礼でもない。
ただ、倒れかけた身内にする手つきだった。
「朝までは、お止めしました」
侯爵は告げる。
「それ以上は、私には止めきれなかったことにしましょう」
「芝居か」
「さて」
ベルナール侯爵は、わずかに目を伏せた。
「老獪さは、貴族の美徳ですので」
レオンハルトは答えなかった。
ただ、目を閉じる。
眠るためではない。
明日、もう一度動くために。
静かな医療室の中で、魔導灯の光だけが淡く揺れていた。
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明日以降も【毎日20時更新】予定です。
【この物語とは別に、違う世界を扱った作品もあります】
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