第34話 干渉の痕跡
図書室を出ると、廊下の先に二人の姿が見えた。
ルーカスとクラリスだった。
「待ってた」
クラリスが言う。
ルーカスはリリアへ視線をむけた。
「で? 何か分かったのか」
その声には、いつもの軽さが少しだけ残っている。
けれど、目は笑っていなかった。
リリアはうなずいた。
「やはり事故ではありません。おそらく外部干渉魔道具です」
クラリスが息を呑む。
ルーカスの顔からも、軽さが消えた。
「やっぱりか」
「まだ痕跡が残っている可能性があります」
リリアは続ける。
「舞台に対して、距離と角度が固定されているはずです。しかも、一点ではなく、複数です」
ルーカスが眉を寄せた。
「私たち、探しに行ってきます」
短い沈黙が落ちた。
それを破ったのは、クラリスだった。
「じゃあ、一緒に行こう」
リリアが目を瞬く。
「でも、危ないかもしれません」
「知ってる」
クラリスは言い切った。
「でも、あなた一人で行かせる方が危ない」
「俺も行く」
ルーカスが続ける。
「こういうのは人数がいた方がいい」
エリオットも自然にうなずいた。
「僕も賛成だ」
それから、四人を順に見た。
「観測役が一人、護衛が一人、理論屋が一人、常識人が一人」
少しだけ口元を緩める。
「悪くない編成だと思う」
「誰が常識人よ」
クラリスがすかさず言う。
ルーカスが肩をすくめた。
「消去法だろ」
わずかに空気が緩む。
だが、次に向かう足取りは軽くなかった。
四人はそのまま、演習場へ向かった。
**
午後の演習場は、予行演習のあととは思えないほど静かだった。
つい昨日まで観客の声が満ちていたスタンドには、今は人影がほとんどない。舞台の周囲には立ち入り制限の紐が張られ、ところどころに教員が残っている。
風にめくれた案内板。
端に寄せられた器材。
割れた木片を集めた箱。
防御壁が展開されていた場所には、うっすらと魔力の焼け跡のような光が残っていた。
整っていたはずの演習場には、昨日の混乱がまだ薄く貼りついている。
リリアは足を止め、舞台全体を見た。
中央。
観客席。
防御壁の位置。
風が流れた南東の方向。
頭の中で、昨日見た波と、今見えている地形を重ねていく。
「オーギュスト君の魔法は、風を回していたわけではありません」
リリアは歩きながら言った。
「圧力差を固定して、流れを発生させていました」
「……なるほど」
エリオットがうなずく。
「低圧を作って、周囲から空気を引き込む」
「それに回転を与えていたわけか」
「はい」
リリアはノートを開いたまま続ける。
「軸が安定していたのは、そのためです」
クラリスは二人の会話を聞きながら、舞台を見た。
理論のすべては分からない。
それでも、昨日ここで何が起きたのかは、肌で覚えていた。
音が消えたこと。
風が刃のように走ったこと。
レオンハルトが、迷わず前へ出たこと。
リリアはノートを持つ手に力を込め、少しだけ視線を上げた。
「本来なら、舞台の中央で固定していたはずです。軸がずれると、圧力の維持が難しくなりますから」
エリオットの目が細くなる。
「つまり、外から干渉するなら、その軸に対して位置を合わせる必要がある」
「はい」
リリアは迷わず答えた。
「一点では成立しません。距離と角度を固定した複数配置です」
ルーカスが舞台の外周へ目を向ける。
「……舞台中央に向かっている」
「はい」
リリアはうなずく。
「外部干渉魔道具は、舞台中央に向かって設置されているはずです」
「外周だな」
ルーカスの声が低くなる。
四人は舞台の縁へ回り込んだ。
石造りの床は、近くで見ると細かな目地で区切られている。強化タイルの表面には、昨日の風で飛んだ砂や細かな傷が残っていた。
「あの風は、上に伸びていましたよね」
リリアが言った。
「でも、オーギュスト君が最初に作った旋風は高さ二メートルでした」
エリオットが続ける。
「それ以上は、本来存在しない領域だ」
「はい」
リリアはうなずいた。
「つまり、増幅はその外側から、魔法の起点に加えられています」
ルーカスは顎に手をあてて呟く。
「設置位置は、二メートルより低い……」
「地表付近か、床面です」
エリオットの視線が、舞台の縁をなぞった。
「さらに」
リリアは続ける。
「あの風は、舞台から流れました」
「……偏りがあるな」
「はい」
リリアはノートに簡単な図を描く。
舞台。
中心。
そして、ずれた複数の点。
「完全な対称配置ではないと思います」
クラリスが図を覗き込む。
「同じものを同じ間隔で置いたわけじゃないってこと?」
「はい」
リリアはうなずいた。
「同一の外部干渉魔道具であれば、距離は一定ではなく、ばらばらに配置されているんじゃないでしょうか。意図的に、流れを歪めるために」
エリオットが小さく息を吐く。
「均一な増幅じゃない。方向を持たせているわけか」
「はい」
「だから、南東に流れた」
ルーカスが短くまとめる。
クラリスは舞台の縁から外周へ目を向けた。
「外部干渉魔道具って、そんな遠くには置けないわよね?」
そこで、少し眉を寄せる。
「効果って、どれくらいなのかしら」
「用途によりますね……」
リリアが答えかけた、その時だった。
「軍事転用なら、十メートルは効く」
ルーカスが割って入った。
空気が止まった。
「……そんなにも?」
エリオットが眉を上げる。
リリアも小さく目を見開いた。
「距離を取るのが前提の設計もある」
ルーカスは淡々と言う。
「術者を巻き込まないためにな」
クラリスは少しだけ顔をこわばらせた。
その言葉で、昨日の風が演目ではなく別のものだったのだと、改めて理解した。
リリアはすぐに思考を戻す。
「それなら――」
ノートの図に視線を落とした。
「中心から見て、真北と真西に設置されていた可能性がありますね」
エリオットが図を覗き込む。
「南東へ流れた理由か」
「はい」
リリアはうなずく。
「対称ではなく、偏りを作る配置です」
ルーカスが短く言った。
「なら、残りはそこだな」
四人は舞台の北側へ回った。
教員の視線がこちらへ向いたが、エリオットが一礼すると、制止は飛ばなかった。六年首席の顔は、こういう時に少しだけ役に立つ。
舞台の北端は、観客席から見るより暗かった。
防御壁の魔道具を固定していた金具の影があり、タイルの目地には細かな砂が溜まっている。
リリアはしゃがみ込み、目地の流れを追った。
クラリスも、少し離れた場所で床を見ていた。
理論は分からない。
けれど、違和感を見つけることならできる。
「ねえ、これじゃない?」
クラリスが、舞台の床を指さした。
強化タイルの目地。
ほんのわずかな隙間に、黒いものが埋まっている。
「触るなよ」
ルーカスがすぐに声をかけた。
クラリスは指を止める。
「分かってるわよ」
「どれどれ」
エリオットが身を屈めた。
「……うわ」
小さく声を漏らす。
「小さいな」
リリアも覗き込む。
目地に収まっているそれは、二センチほどの多面体だった。
光を吸う、オニキスのような鈍い黒。
周囲の石粉に紛れるように、深く押し込まれている。
「これ……」
クラリスが息を呑む。
「割れてる……」
多面体の表面には、細い亀裂が走っていた。
中心から、外へ向かってひびが広がっている。
使われたあとに砕けたのか。
それとも、砕けることで術式を終えたのか。
リリアは、黒い欠片を見つめたまま小さく言った。
「……残っています」
声が、少しだけ低くなる。
「干渉の痕跡」
エリオットの表情から、いつもの穏やかさが消えた。
「使い捨てか、それとも、壊れたか」
ルーカスは周囲を見回した。
舞台。
観客席。
教員たち。
そして、誰でも近づけたはずの床。
その顔が、さらに険しくなる。
「……こんなの、学院に持ち込めるのか?」
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