表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
32/42

第32話 演成会 予行演習 暴走する風②


 

 レオンハルトが踏み込んだ。

 詠唱はない。

 ただ、片手が上がる。


 次の瞬間、暴れていた風の柱の外側が、見えない何かに押さえ込まれた。

 ごう、と鳴っていた音が、少しだけ鈍る。


 回転はまだ止まらないが、広がらない。

 風の先端が、透明な壁にぶつかったように跳ね返る。

 逃げようとした空気が、逃げ場を失って内側へ戻る。


 リリアには、それが見えた。

 風の柱を囲むように、何層もの固定が重なっている。

 外周、上部、下部。さらに中心軸。


 ばらばらに暴れていた風が、無理やりひとつの場所へ縛りつけられていく。


「……軸を、固定してる」


 思わず呟く。


 柱の中で巻き上げられていた小石や木片が、急に動きを失った。

 ぐるぐると回っていたものが、途中で止まり、ばらばらと落ちる。


 風だけは、まだ抵抗していた。


 しかし、次第に細くなり、ねじれ、押し潰される。

 外へ広がろうとする力と、内へ押し戻す力がぶつかり合い、風の柱の輪郭が歪んだ。


 レオンハルトの赤い瞳が、わずかに細まる。


 さらに、押す。

 空気ごと。

 音ごと。

 暴れていた風の中心が、ひしゃげた。


 次の瞬間。

 柱が、ほどける。

 ごう、と鳴っていた音が途切れた。


 残ったのは、舞台の上に落ちた小石と、遅れて広がる沈黙だけだった。


 ルーカスが前に出た。


 片腕を横へ伸ばし、自分とレオンハルトの前に防御を展開する。


 飛んできた小石が、透明な壁に弾かれた。

 折れた木片が、軌道を変えて舞台の端へ転がる。


「下がれ!」


 ルーカスが叫ぶ。

 その声に重なるように、エリオットも動いていた。

 視線だけで飛来物の軌道を追う。

 危ないものを弾き、届きそうなものを逸らし、足りない場所へ薄い壁を足していく。


 後方では、クラリスがリリアの腕を掴んだ。


「伏せて!」


 そのまま抱き寄せるようにして、床へしゃがみ込む。

 けれど、リリアは目を離せなかった。


 舞台の中央。


 暴れていた風の柱の前で、レオンハルトだけが立っている。

 詠唱はない。

 魔法陣も、見えない。

 ただ、空気の流れが変わった。


 外側から押さえられる。

 上から塞がれる。

 下から固定される。


 風の柱が広がろうとして、透明な壁にぶつかったように跳ね返る。


 リリアの頭の中に、断片が流れ込む。


 位置固定。

 圧力の均一化。

 外側の緩衝域。


 それから――はみ出した分の消去。


 リリアは息を呑んだ。

 風を止めているのではない。

 暴走した部分だけを、空間ごと削っている。


 理解が追いつかない。

 それでも、分かった。


「……すごい」


 声が漏れる。


「すごい、すごい……すごい」


 風の柱が細くなる。

 ねじれる。

 押し潰される。


 巻き上げられていた砂埃が、急に力を失った。

 小石が落ちる。

 木片が落ちる。


 ごうごうと鳴っていた音が、遠ざかる。

 最後に、風の中心がひしゃげた。

 次の瞬間。

 柱が、ほどけた。

 静寂が訪れる。


 さっきまで渦巻いていた砂埃が、嘘のように落ちていく。

 濁っていた視界が、急に澄んだ。

 誰も、すぐには声を出せなかった。

 リリアも、息をするのを忘れていた。


「殿下!」


 ルーカスの声が、悲鳴に近い。

 リリアは舞台を見た。

 風は、もうない。

 何も動いていない。


 ただ一つ。


 レオンハルトが、倒れていた。


 膝から崩れたのではない。

 糸を切られたように、前へ落ちていた。


 ルーカスが駆け出す。

 エリオットも一瞬遅れて動く。

 クラリスの腕が、リリアを抱えたまま強くなる。


 リリアは、まだ舞台から目を離せなかった。


 今の魔法は、完璧だった。

 完璧すぎた。

 だからこそ、分かってしまう。


 歪みを、全部レオンハルトが受けたのだ。

 

 **


 レオンハルトは、王立学院付属医療院(特別区画)へ運ばれた。


 医療室の廊下は、静まり返っていた。

 白い壁。

 磨かれた床。

 昼の名残の光が高窓から細く差し込み、足元だけを淡く照らしている。


 リリア、ルーカス、クラリスは処置室から少し離れたソファで待っていた。

 

「今回の事故は――」


 ルーカスが小さく言った。


「演習者の過失と、担当教官の周辺管理の不備、配置ミスで処理されたらしい」


 事務的な結論だった。


「……そう」


 クラリスが短く返す。

 納得している声ではない。

 リリアは何も言わなかった。


 視線は、足元に落ちていた。


 ――違う


 短縮詠唱でも、あそこまで崩れない。

 波形は整っていた。

 増幅の痕跡が、残っていた。


 ――誰かが、触って(増幅)いる


 それでも、記録はそう残る。


「……殿下、大丈夫かな」


 クラリスが呟く。

 リリアは、もう一歩ルーカスに詰め寄った。


「一人で対応できる範囲を超えていました」


 声が少し速い。


「あんな演算、脳が焼き切れてしまいます」


 ルーカスが目を瞬く。

 珍しい勢いだった。


「周りに沢山いたからだよ」


 低く答える。


「戦場だったら、もっと雑に弾ける。でも、あそこでそんなことをしたら――」


 ルーカスは顔あげ、リリアを見た。


「学生に怪我人が出てた」


 リリアは言葉を失った。


 演算の規模。

 位置固定。

 緩衝域の維持。

 飛来物の軌道制御。


 その全部に加えて、周囲の安全まで取っていたことになる。


「……」


 スカートの端を握る指先に、また力が入る。


 ルーカスは短く息を吐いた。


 「今、うちの親父殿が対応してる。待とう」


 さっきまで演習場に満ちていたざわめきも、風の唸りも、もう遠い。


 聞こえるのは、時おり奥で交わされる低い声と、靴音が壁に返る小さな反響だけだった。


 リリアはその場に座ったまま、廊下の先を見た。


 手はまだ、きつく握られている。

 何かを言おうとして、言葉にならない。

 そのかわりに、ぽつり、と涙が落ちた。

 頬を伝うというより、気づいたら落ちていたような涙だった。


「リリア……」


 クラリスがそっと肩を抱く。

 リリアは顔を上げない。

 ただ、廊下の向こうを見たまま、小さく息を吸った。


 その時、廊下の向こうから足音が近づいてきた。

 ルーカスの父ベルナール侯爵だった。


 隣には医師もいる。


 ベルナール侯爵は医師の方を向き


「よろしくお願いいたします」


 低く、はっきりと言う。


 ルーカスは間を置かずに口を開いた。


「父上―」


 一歩、詰める。


「殿下の具合は、どうなんですか」


 ベルナール侯爵はすぐには答えなかった。

 医師に一度だけ視線を送り、それからルーカスを見る。


「命に別状はない」


 短く言った。


「ただ、消耗が激しい。しばらくは意識が戻らない可能性がある」


 リリアは、息を止めたまま、それを聞いていた。

 ベルナール侯爵はルーカスの問いに答えたあと、そこで視線を少しだけ和らげた。


「ここから先の護衛は、王子宮が引き継ぐ」


 言葉は短い。


「近衛が、もう来る」


 ルーカスの表情がわずかに変わる。


「俺も残ります」


「だめだ」


 ベルナール侯爵は即座に切った。


「お前は、学院での生活の中で近しい距離を保って護るために配置されていたに過ぎん」


 低く、揺るがない声だった。


「ここから先は、本職に任せろ」


「しかし……」


「帰りなさい」


 言い切る。

 その一言で、空気が変わる。

 ルーカスは口を閉ざした。

 

 ベルナール侯爵はそのまま視線をずらす。

 クラリスと、リリアへ。


 「君たちもだ」


 穏やかさは残っている。

 けれど、拒める声音ではなかった。


 「殿下が目を覚ましたら、教えてください」


 クラリスが、やっとそう言った。

 ベルナール侯爵は、ほんのわずかに表情を緩めた。

 本来なら、応じるべきではない願いだ。

 それでも――

 レオンハルトに、友ができたことに、安堵していた。


「約束する」


 短く言う。


「目を覚ましたら、知らせよう」


 そして、視線をルーカスに戻した。


「さあ、ルーカス、レディを寮までお送りしなさい」


 **


 寮の入口に着くころには、夜の空気が少しだけ冷えていた。


「命に別状はないんだし、大丈夫だよ」


 ルーカスが言う。


「思い詰めるなよ」


「いや」


 クラリスがすぐに返した。


「あんたの方が、大丈夫じゃなさそうだけど」


 ルーカスは苦く笑った。


「はは……」


 笑いきれない。


「ちょっとな」


 ルーカスが手を握る。


「……俺、護衛なのに守れなかった」


「事故だったんだよ」


 クラリスは言い切った。

 けれど。


「――事故じゃありません」


 リリアが、静かに言った。

 二人が振り向く。

 リリアはまっすぐ前を見たまま、続ける。


「過失でも、配置ミスでもありません。波形が、違いました」


 声は小さい。

 

「短縮詠唱の乱れ方ではなかった」


 でも、はっきりしている。


「誰かが、触っています」


 ルーカスの表情が変わる。

 クラリスも息を呑んだ。

 リリアは、そこで初めて二人を見た。


「殿下は、それを一人で止めました」


 ぎゅっと、指先が握られる。


「だから」


 少しだけ、声が詰まる。


「事故――じゃ、ありません」


「……根拠は?」


「あります」


「明日、確認します!」  


 


 


 

ここまでお読みいただきありがとうございます。


明日以降も【毎日20時更新】予定です。


この物語とは別に、違う世界を扱った作品もあります。

もしご興味があれば、そちらも覗いてみてください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ