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第31話 演成会 予行演習 暴走する風


 次の学生が呼ばれた。


 四年生の首席オーギュスト・クレヴァン。

 すこし緊張しているのか、詠唱まで間があった。


「風魔法が得意な子だったね」


 エリオットが補足した。


 オーギュストの足元で、風が立ち上がった。

 小さく、人一人分ほどの細い柱。

 だが――揺れはない。

 流れているのに、形が崩れない。

 地面から、まっすぐ上へ伸びている。


 軸が固定され回転は一定。

 動かない旋風。

 通常なら、流れはずれる。

 圧は逃げる。

 それでもこれは、その場に留まっている。


 リリアは、わずかに視線を細めた。


 ――固定されている。乱れてないです。


 ふっと、何かが起きた。


 風そのものではない。もっと奥の、流れを支えていた見えない芯が、内側からねじれたように見えた。


 オーギュストの旋風が、わずかに揺れる。

 固定されていたはずの軸がずれ、中心が数センチだけ滑った。

 その先にあったのは、舞台を囲む防御壁だった。

 鈍い音がして、透明な壁がきしむ。


「やめなさい!」


 教官の声が飛んだ。


「即時停止!」


 だが、旋風は止まらない。


 細い柱のようだった風が、上へ引き絞られるように伸びた。密度が上がり、外へ逃げるはずの圧が内側へ閉じ込められていく。


 オーギュストの顔が歪んだ。


「やめ……っ」


 差し出した手が震えている。


「やめてます! やめてるのに――」


 その声すら、風に引き込まれかけた。


「魔力が、吸われる――!」


 旋風が、動いた。


 術者の制御を離れ、自分で進むもののように、防御壁の途切れた方向へ滑っていく。


 次の瞬間、周囲の空気が引き剥がされた。


 圧が抜ける。

 音が消える。


 そこだけ、空気が存在しないように見えた。

 スタンドのざわめきが、一瞬で途切れる。


「あれは――」


 リリアが身を乗り出した。


 風が、おかしい。


 流れが閉じている。逃げない。外へ散るはずの圧が、刃のように細く収束している。


「圧縮が強すぎる」


 声は低かった。


 そこに恐怖はない。現象として危険だと判断しているだけだった。


 だが、レオンハルトは違った。

 彼は、もう立ち上がっている。

 リリアには、あの風の名が分からない。

 けれど、レオンハルトは知っていた。


 あれは、人を傷つけるために作られた風だ。演成会で見せるような術式ではない。


剪風(エアカット)


 低く、名を呼ぶ。

 次の瞬間、レオンハルトはスタンドから飛び降りた。


 迷いはなかった。


「エリオット・ノワール!」


 短く呼ぶ。

 視線は風から外さない。


「リリアを守れ」


 エリオットの表情が、わずかに引き締まった。


「分かった」


 即答だった。

 彼は立ち上がり、リリアの前に半歩出る。

 同時に、ルーカスも動いた。スタンドの通路を蹴り、下へ向かう。観客席側へ飛んでくるものを落とすつもりだ。


 暴走した風は、防御壁の外へ抜けたあと、周囲のものを急激に巻き込み始めていた。


 設置されていた器具。

 案内板。

 固定の甘かった備品。

 木片。

 金具。


 軽いものから順に浮き上がり、風に引きずられていく。

 ただ飛び散るのではない。

 回転し、加速し、軌道を持つ。舞台の上にあった何でもない物が、次々と危険な刃に変わっていった。


「伏せなさい!」


「下がれ!」


 教官たちの声が飛ぶ。


 何人かが同時に前へ出て、学生たちと風のあいだに障壁を展開した。


 一枚。


 さらに一枚。


 透明な壁が重なり、空気の震えを受け止める。

 それでも、観客席はもうざわめきでは済まなかった。

 悲鳴が上がる。


 立ち上がる者。逃げようとして押し合う者。足を止めたまま泣き出す者。


 整っていた予行演習の空気が、音を立てて崩れていく。


 リリアは、そのすべてを見ていた。


 風の軸。

 回転の偏り。

 巻き込まれた物の速度。

 空気圧の歪み。


 視界の中で、危険は数値のように並んでいく。どこがずれ、どこに集まり、どの角度で飛ぶのかは分かる。


 けれど、そこに乗っている死の意味だけは、まだ少し遠かった。


 レオンハルトは、ひとり前へ出る。

 真正面から、風へ向かっていた。

 逆巻く気流が黒い髪を煽る。制服の裾が乱れ、足元の砂が後ろへ流れた。


 それでも、赤い瞳だけは逸れない。


「あれは止められますか?」


 リリアが、エリオットに聞いた。

 エリオットはすぐには答えなかった。

 代わりに、横顔が少しだけ強張る。


 それが、答えだった。

 

ここまでお読みいただきありがとうございます。


明日以降も【毎日20時更新】予定です。


この物語とは別に、違う世界を扱った作品もあります。

もしご興味があれば、そちらも覗いてみてください。

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