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第29話 午後は予行演習



 翌日。


 教室は、いつもと同じように始まった。


 同じ席。

 同じ教師の声。

 同じように開かれる教科書。


 けれど、リリアには、どこか違って見えた。


 ノートを広げながら、ふと視線を上げる。


 前の席。

 レオンハルトの背中が見える。


 距離は、ある。

 昨日のような近さはない。


 それが、少しだけ不自然だった。


 ――今日は条件が、変わっている。


 指先を見下ろす。


 もう、触れていない。

 それなのに、感覚だけが残っている気がした。


 何なのかは、まだ分からない。


 レオンハルトは振り向かない。

 振り向かないまま、授業を受けている。


 クラリスが小さくため息をついた。


「……びしょ濡れはさすがに想定外だったわ」


「俺もだ」


 ルーカスが苦笑する。


「氷があそこまで一気に崩れるとは思わなかった」


 誰も、理由には触れない。

 触れないまま、流す。


 ただ、リリアだけが別のことを考えていた。


 ――再現性が必要。

 ――あれは、偶然じゃない。

 ――条件が揃っていた。だから起きた。

 ――じゃあ、もう一度。


 鐘が鳴り、授業が終わった。



 **



 昼休み。


 四人はいつものように、食堂の同じテーブルについていた。


 配膳口の方から、皿の触れ合う音がする。

 焼きたてのパンの匂いと、温かいスープの湯気が、広い食堂の空気に混じっていた。


 周囲の席では、午後から始まる演成会の予行演習の話題で、いつもより少し声が弾んでいる。


 演成会は、王立アストレア学院魔法科中等科で年に一度行われる魔術披露会だ。


 実戦魔法の上位者が演者として選ばれ、教員や生徒の前で、その技術を披露する。


 ただの発表会ではない。


 上位生にとっては、研究科や王宮魔法師団への道にも繋がる、大事な場だった。


「リリア、魔法実技の解析は一位なのに、実践は四位なんだな」


 ルーカスがパンをちぎりながら言った。


「はい」


 リリアはスープ皿の横へノートを置いたまま、うなずいた。


「発現より、観測と再現の方が得意なんです」


「だから演成会は選出されなかったんだ」


「そうですね」


 リリアの返事に、落ち込んだ響きはない。

 事実を確認しているだけだった。


「殿下はやっぱり選ばれたわよね。さすがだわ」


 クラリスが横から言った。


 視線が自然とレオンハルトへ向く。


 レオンハルトは特に反応せず、静かに食事を続けていた。


「テーマはなんなの?」


「『短縮詠唱』での実演ですね」


 リリアが答える。


「安全規定がありますので、距離と干渉を抑えた状態での構築精度と速度の評価かと」


「……難しい」


 クラリスが顔をしかめる。


 ルーカスが補足した。


「要するに、どれだけ早く正確に扱えるかってことだな」


「はい」


「でも、地味よね」


 クラリスが指で小さく円を作った。


「このくらいでしょ? 遠くからは見えないわ」


「そうですね。検証で作った真球は、直径五センチでしたから」


 リリアは答えながら、レオンハルトの方を見た。


「でも、殿下の魔法の術式過程(プロセス)なら、氷のサイズは変えられるはずですよね」


「へえ?」


 クラリスが首をかしげる。


 そこで初めて、レオンハルトの手が止まった。


「一メートル」


 短く言う。


「短縮詠唱なら、歪まない」


「……は?」


 クラリスが固まる。


「うん、できますね」


 リリアは普通にうなずいた。


「無詠唱より発現は遅くなりますが、魔法陣を展開できます。歪みを逃がせるので、安全規定にも合います」


 レオンハルトが、わずかにうなずく。


「条件的には、一メートルでも成立します。五メートルでも」


「五メートル?!」


 クラリスの声が少し大きくなった。


 近くの席の生徒が、ちらりとこちらを見る。

 クラリスは慌てて声を落とした。


「何の話よ、それ。わかんないわ」


 ルーカスが小さく息をつく。


「精度を落とさずに、そのまま拡張できるって話だ。屋外なら水分も十分あるしな」


「……無茶言う」


「超絶演算になりますが」


 リリアは平然と続けた。


吸湿(モイスチャードレイン)収集(コレクト)、球体形成、振動抑制バイブレーションダウン、氷結状態の固定、空間固定、形状維持。規模が大きくなるほど、全部の処理量が増えます」


 レオンハルトが、わずかにうなずいた。


 クラリスは天を仰ぐ。


「……やっぱり無理よ」


「殿下ならできます」


 リリアは迷いなく言った。


 レオンハルトは何も言わなかった。


 ただ、スープ皿の縁に落としていた視線を、ほんの少しだけ上げた。



 **



 午後。


 学院前期恒例の魔術演成会、その予行演習が始まった。


 本番は三日後の日曜日。


 今日はあくまで確認と調整だったが、上位者が揃うため、見学者も多い。


 屋外の演習場。


 楕円形のスタジアムの中央に、広い舞台がある。


 観客席(スタンド)には、選出されなかった生徒たちが集まっていた。


 前列では熱心にノートを開く者がいる。

 後ろの方では、友人同士で小声の予想をし合う者もいる。


 ざわめきは大きい。


 けれど、混乱はない。


 舞台周囲では、補助教員たちが魔道具の確認を続けていた。


 透明な壁状の魔道具――魔力防壁が、舞台を囲むように展開される。


 教諭の一人が防壁の出力を確認し、別の教諭が演目の順番を記した板を確認している。


 スタッフ役の上級生たちが、器材を運び、舞台袖で控える学生を誘導していた。


 すべてが、予定通りに進んでいる。


 予行演習らしい、整った忙しさだった。


 リリアは前列の席に座っていた。


 左隣にレオンハルト。


「やあ、エルドナーさん」


 反対側から、エリオットが軽く声をかける。


「先輩もやっぱり選出されていたんですね。さすがです」


「一応ね。順番待ちだけど」


 エリオットは手にしたノートを軽く持ち上げる。


「観測も兼ねてる」


 そう言って、自然な調子でリリアの隣に腰を下ろした。


 リリアを挟んで、レオンハルトとエリオットが並ぶ形になる。


 レオンハルトは前を見たまま、何も言わなかった。


 けれど、指先だけが、膝の上でわずかに動いた。


 少し後ろの席では、クラリスとルーカスが並んでいる。


「……配置、面白いことになってない?」


 クラリスが小声で言う。


「だな」


 ルーカスが短く返す。


「濃すぎるメンツだな」


 舞台では、すでに一人目の実演が始まっていた。


 短縮詠唱。

 小さな魔法陣。


 発現は速く、干渉も少ない。


 安定した構築。


 規定通りの、正しい実演だった。


 観客席から、控えめな拍手が起きる。


 補助教員が舞台端でうなずき、記録係が板に何かを書き込んだ。


 次の学生が呼ばれる。


 舞台袖から出てきた学生は、少し緊張していた。


 それでも、教諭が穏やかに声をかけると、深く息を吸ってから中央へ進む。


 予行演習は、きちんと運行されていた。


 リリアは静かにそれを見ていた。


 視線は魔法の動きだけを追っている。


 形状。

 密度。

 発現の間。

 揺らぎの有無。


 隣から、ふと声が落ちる。


「……何かわかる?」


 エリオットだった。


 リリアは視線を外さないまま答える。


「完全詠唱より不安定なのは、否めませんね」


 短い応答。


 レオンハルトは何も言わない。


 ただ、前を見ている。


 舞台の上で、次の学生が詠唱に入った。


 魔法陣が立ち上がる。


 安定している。


 規定通りだ。


 ――なのに。


 リリアの視界では、別のものが動いていた。


 揺れ。

 薄い波。


 術者の周囲に、わずかに残る歪み。


 短縮詠唱でも、術者によっては完全には消えていない。


 重なって、広がって、消えていく。


 ――見える。


 リリアは小さく息を吐いた。


 “波形”として捉えた瞬間から、それは感覚として残るようになっていた。


 視覚に近い。


 けれど、視覚だけではない。


 触れていなくても、分かる。


「……近いと、分かります」


 小さく呟く。


「少しだけど、歪みは出ています」


 エリオットが横目で見る。


「見えてるの?」


「はい。波として」


 即答だった。


「僕には分からないな」


 エリオットはあっさり言う。


「観測用の魔道具があれば別だけど、肉眼じゃ無理だ」


 リリアはうなずいた。


「私も、今までは分かりませんでした」


 言いながら、視線は舞台に戻る。


「でも、今は見えます。波です」


 次の実演が始まる。


 波は、また立ち上がった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


明日以降も【毎日20時更新】予定です。


この物語とは別に、違う世界を扱った作品もあります。

もしご興味があれば、そちらも覗いてみてください。


光を背負った王 〜神力を宿す王太子エルドウルフの戦記〜

https://ncode.syosetu.com/n0410lr/

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