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第28話 接触実験 検証対象:レオンハルト・アルヴェイン




 リリアとレオンハルトは、なんとなく近い距離のまま過ごしていた。


 言葉が増えたわけではない。

 何かがはっきり変わったわけでもない。


 それでも、席は離れない。

 検証も、途切れず続いている。


「進展ないわね」


 クラリスがぼそりと言う。


「そうだな」


 ルーカスが肩をすくめた。


 放課後の教室には、もうほとんど人が残っていなかった。


 窓の外はまだ明るい。

 けれど、授業の終わった室内には、昼間の熱が少しだけ残っているだけだ。


 机の上には、リリアのノート。

 五センチ真球。

 マイナス三度固定。

 距離条件、配置条件、視界条件。


 積み重ねた記録が、細かな文字で並んでいる。


「距離条件での検証は、概ね完了しました」


 リリアはノートを見ながら言った。


「そうだな」


 レオンハルトも短く返す。


「次は――」


「「まだやる気なんだ」」


 クラリスとルーカスが同時に言った。


 リリアは顔を上げる。


「ゼロ距離にしましょう」


 レオンハルトは息を止めた。


「……なんだって?」


 低い声だった。


「私が、殿下に触れます」


 リリアは淡々と続ける。


「接触下での検証です」


「これで、距離条件の最終確認ができます」


 沈黙。


 レオンハルトは何も言わない。

 視線だけが、わずかに揺れる。


 クラリスとルーカスが、顔を見合わせた。


「「……面白い子」」


 小さく、同時に呟いた。


 リリアはレオンハルトの隣の席に座った。

 真正面ではなく、いつもの観測位置に近い。

 それでも、今日は違う。

 距離がない。


 レオンハルトは無言のまま、机の上に右手を置いた。

 その動作が、妙にゆっくり見える。

 リリアも何も言わず、その手の上に自分の手を重ねた。


 触れた。

 指先ではなく、手のひら全体で。


 一メートルほど離れた位置では、ルーカスとクラリスが並んで見ている。

 二人とも黙っていた。

 さすがに今は、軽口を挟む空気ではない。


「始めてください」


 リリアが言う。

 レオンハルトは小さくうなずいた。

 右手はそのまま。


 左手を持ち上げる。


 次の瞬間、空気が動いた。

 周囲の水分が引き寄せられる。

 霧が生まれ、集まり、渦を巻く。

 速い。

 昨日までとは、最初から密度が違った。

 白く薄いそれが一息でまとまり、球体の輪郭を取る。

 透明な氷の真球がそのまま凍る。

 揺れがない。曇りもない。

 ぴたりと止まったまま、机の上の空気に浮かんでいる。


 クラリスが小さく息を呑んだ。

 ルーカスは目を細める。

 リリアの視線は、氷とレオンハルトの両方を往復した。


「……形成速度、上昇」


 小さく呟く。


「透明度、高い」


 ノートがなくても、頭の中で記録しているのが分かる声だった。

 レオンハルトは何も言わない。

 ただ、氷を維持したまま、じっと前を見ている。

 横顔は静かだ。


 だが、耳だけが少し赤い。


「エリオット先輩の時より、明らかに安定しています」


 リリアが言う。


「速度も、透明度も高い」


 クラリスは氷から目を離せない。

 思わず呟いた。


「……綺麗」


 レオンハルトの喉が、わずかに動く。

 リリアの手は、まだ重なったままだった。


「エリオット先輩の時より……」


 レオンハルトがぽつりと呟く。


「エリオット・ノワールとも、実験したのか?」


「はい」


 リリアは迷いなく答える。


「先輩の短縮詠唱時の歪みを、検証しました」


「……どうやって?」


「手を重ねました」


 沈黙。


 ぴきっ。


 透明な球の表面に、細い亀裂が走る。


 ほんのわずかに、氷が曇った。


「……あー」


 クラリスがつぶやく。


「でも、違うんです!」


 リリアはきっぱり言った。

 手はまだ、レオンハルトの上にある。


「殿下の氷は、本当に透明で綺麗なんです!」


 真剣そのものだった。


「しかも、非の打ちどころがない真球で!」


 クラリスが目を瞬く。


「そこ?」


「そこです!」


 リリアは即答した。

 頬が、わずかに高揚している。


「エリオット先輩との討議で立てた仮説はこうです」


 そこから先は早かった。


「まず、術者には固有の基底波形があるとします」


「その上に術式波が重なることで、魔法が発現する」


「通常、短縮詠唱では波形の揺れが大きくなりますが――」


 言葉が止まらない。


 距離。

 視界。

 減衰。

 緩衝。

 対象差。


 次々と並べながら、リリアは完全に研究モードへ入っていく。

 その横で、レオンハルトは何も言わない。

 言えない。

 耳が熱い。

 顔も、たぶん赤い。

 けれど、今さら手を引く方が不自然な気がして、動けない。


 クラリスは途中から、話の内容より別の方が気になっていた。


 (まだ手を重ねている。)


 リリアは気づいていない。

 レオンハルトは気づいている。

 そして、気づいているのに離さない。


 ルーカスはそれを少し離れた位置から眺めていた。それから、ようやく納得したように小さく息をつく。


 ――ああ、これだな。


「待って、リリア。理論はあとでいいのよ」


「あとでは駄目です!今、条件が揃っているので」


 リリアは当然のように言う。

 少なからず興奮している。

 そのまま、ふとレオンハルトの顔を見た。


「それと――瞳の屈折率です」


「は?」


 レオンハルトが低く返す。

 リリアは身を乗り出した。

 まだ手は重なったまま。


「殿下、今――」


 少し近づいて、のぞき込む。


「……やっぱり」


 息を呑むでもなく、ただ確信した声で言う。


「色が変わっています」


 レオンハルトは動かない。いや、動けない。


「赤が、金を帯びています。

 屈折率が変わっている。

 波長が揃っている……?」


 リリアの目がわずかに輝く。


「きらきらしています」


 その言葉は、観察の報告だった。

 クラリスが小さく息を呑む。


「……ルビーみたい」


 ルーカスは無言で、レオンハルトの目を見ている。


 リリアがのぞき込んでいる。

 おそらく二十センチ。距離が近い。

 レオンハルトは息を止めた。

 その瞬間、気づいた。


「……お前」


 思わず言葉が漏れる。


「お前、目……色が違う」


 リリアが瞬く。


「はい?」


 そのまま少しだけ首をかしげる。

 気づいていない。

 レオンハルトの視界に映るのは、いつものピーコックグリーンではない。


 青みが強い。深い水の色に近い。


「……青い」


 小さく、呟く。


「ちょっと、リリアも目がきらきらしてるわよ」


 クラリスが言った。


「本当だ」


 ルーカスが目を細める。


「どういう原理だ?」


「私の目、変わってるんですか?」


 クラリスは胸ポケットから小さな鏡を取り出した。


「ほら」


「わあ!」


 リリアは鏡をのぞき込む。

 手を重ねたままなのに、そのことにはまるで気づいていない。


「本当ですね!」


 驚きの声を上げた直後、すぐに目が輝く。


「屈折率の変化だと思います!」


「仮説が正しかったのかもしれません!」


 リリアは重ねた指先に、わずかに力を込めた。


「共振で波長が揃っているので、散乱が減っているんです」


「その分、反射が前に出ているのかと」


 レオンハルトは何も言えない。

 重ねられた手の温度だけが、やけにはっきりしている。


「リリア、それで――あなた、何ともないの?」


 クラリスが聞く。

 リリアは少し考えた。


「……いえ」


 首をかしげる。


「あります。なんだか……」


「なんだか?」


 クラリスとルーカスが身を乗り出す。

 リリアは言葉を探すように、ほんの少し目を伏せた。

 手のひらから、温度とは違うものが流れ込んでくる。


 冷たくはない。

 熱くもない。


 音のない水に浮かんでいるような、なめらかな感覚。身体の奥にあった細かな揺れが、ひとつずつ整っていく。


「……気持ちいいです」


 誰も、すぐには何も言わなかった。


 レオンハルトの手のひらに浮かんでいた氷が、わずかに揺らいだ。

 中心が、くるりと反転する。

 小さな泡が立った。

 一瞬で、密度が跳ね上がる。

 制御の外側で、膨張する。


 ――ビシャッ。


 氷が、弾けた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


明日以降も【毎日20時更新】予定です。


この物語とは別に、違う世界を扱った作品もあります。

もしご興味があれば、そちらも覗いてみてください。


光を背負った王

神力を宿す王太子エルドウルフの戦記

https://ncode.syosetu.com/n0410lr/

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