第24話 問題がみっつ
一週間が経った。
リリアとエリオットの図書室での議論は、放課後の習慣になりつつあった。
検証が終われば、図書室で落ち合う。
閉館の十八時には解散する。
議論はいつも歪みの話に終始した。
リリアにとってそれは、自分の仮説に対する率直な意見が聞ける、貴重な時間だった。
だからその日も、検証が終わると同時に席を立ち、ぱたぱたと教室を出ていった。
「ねえ」
クラリスがルーカスの袖を引いた。
声は小さい。
「今は普通に見えるけど」
少しだけ前を行くレオンハルトを見やる。
「あれ、寮に帰ったらどうなの」
「どうって?」
「全然しゃべらないとか、剣の稽古もしないとか、魔法の鍛錬もしないとか。なんにもしてない、とか」
「……する時はする」
「しない時は?」
「黙る」
クラリスはため息をついた。
「本人には分からないものなのね」
前を見たまま言う。
少し間を置いて、ルーカスが答えた。
「……まあ、そうだな」
その向こうで、レオンハルトは席を立った。
「帰る」
短く告げて、教室を出ていく。
背筋はいつも通り伸びている。
歩き方も乱れていない。
けれど、周りを見ていない。
クラリスはその背中を見送りながら、小さく眉を寄せた。
「……じゃあな」
ルーカスが軽く手を上げる。
「はいよ。じゃあな、クラリス」
「バイバイ」
**
図書室。
今日もリリアとエリオットは、長机で向かい合って座っていた。
机の上には、二冊のノートと数枚の紙。
波形を描いた図。
距離条件を書いた表。
途中まで整理された仮説。
窓の外では、夕方の光が少しずつ弱くなっている。
図書室の中には、紙をめくる音と、低い相談の声だけが重なっていた。
「君と殿下の距離が近いほど、歪みを抑える効力が高いんだよね」
エリオットはノートを指でなぞりながら言う。
「それなら――」
少しだけ考える。
ペン先が、リリアとレオンハルトを示す二つの点のあいだで止まった。
「君は、緩衝みたいな役割をしているのかもしれない」
リリアの手が止まる。
「バッファー、ですか」
「うん。干渉を受け止めて、影響を減らす側」
エリオットは言葉を選ぶように続ける。
「緩衝材に近いかな」
「なるほど」
リリアはすぐにうなずいた。
そのまま、ノートの端に小さく書き込む。
緩衝。
外部影響の低減。
距離条件との関連。
「それなら、距離条件の影響には説明がつきますね」
エリオットは少しだけ笑う。
「うん。どうかな」
リリアはノートに視線を落としたまま答える。
「問題が三つあります」
「三つ」
「はい」
迷いなく言う。
ペン先が、紙の上に一つ目の点を打った。
「一つ。視界条件を加えた場合の優位性に説明がつきません」
次に、二つ目。
「二つ。周囲への影響には適用できますが、殿下の内部への影響――身体の不調の説明には足りません」
ペン先が止まる。
三つ目の点は、すぐには打たれなかった。
「三つ」
そこで、初めて少しだけ首をかしげた。
「私の何が、緩衝材になるのでしょうか」
エリオットは一瞬だけ黙った。
図書室の奥で、本を閉じる音がした。
遠くの席から、椅子を引く小さな音が聞こえる。
エリオットは、リリアの書いた三つの点を見ていた。
「……そこだよね」
静かに言う。
「実は、僕もそこが一番気になってる」
**
その夜。
レオンハルトは寮棟の奥にある小稽古場にいた。
王族や高位貴族の子息が暮らす区画には、護身訓練用の屋内稽古場がある。
授業で使う大訓練場ほど広くはないが、木剣を交えるには十分だった。
夜になると利用者は少ない。
灯りに照らされた床板の上に、乾いた足音だけが響いていた。
向かいにはルーカスが立っている。
「付き合えよ」
軽く言ったのはルーカスの方だ。
レオンハルトは何も言わなかったが、断りもしなかった。
木剣が打ち合う。
一度。
二度。
三度。
鋭い音が続く。
速さはある。
重さもある。
だが。
「踏み込みが甘いね」
ルーカスが言う。
打ち込んで、すぐに離れる。
「剣に思考が乗ってる」
次の一手。
受ける。
返す。
ずれる。
「ほら、半歩遅い」
木剣の先が、レオンハルトの肩口をかすめた。
動きが止まる。
レオンハルトは小さく息を吐いた。
額にうっすら汗がにじんでいる。
ルーカスは木剣を下ろしたまま、少しだけ首をかしげる。
「珍しいな」
レオンハルトは答えない。
「お前、剣の時はもっと雑に速いだろ」
軽い言い方だった。
けれど、見ている目は真面目だ。
「今日は遅い」
返事が出ない。
レオンハルトは木剣を握り直す。
「……続けるぞ」
「続けてもいいけど」
ルーカスは肩をすくめた。
「そのままだと、また取るぞ」
言った通りだった。
次の打ち込みも、その次も、わずかに遅れる。
考えている。
迷っている。
剣に、それが全部出ていた。
「……図書室か」
ルーカスがぽつりと言った。
レオンハルトの動きが止まる。
沈黙が、答えになった。
「図書室で何を見た?」
「見てない」
即答だった。
ルーカスが笑う。
「見たんだな」
木剣を肩に乗せる。
「別に、何もおかしなことはしてなかった」
それは事実だった。
話していただけだ。
座っていただけだ。
距離だって、普通だった。
なのに。
「……嫌だった」
レオンハルトは低く言った。
自分でも、まだ整理できていない声だった。
ルーカスは少しだけ目を細める。
「そっか」
短く言って、視線を外した。
すぐには聞かない。
聞いたところで、たぶん本人もまだ言えない。
「じゃあ、もう一本な」
木剣を構える。
「次は考えるなよ。できるか」
「できる」
ルーカスが笑った。
「剣で負けるなよ、殿下」
「うるさい」
レオンハルトは木剣を構え直す。
次は、少しだけ踏み込みが速くなった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
明日以降も【毎日20時更新】予定です。
この物語とは別に、違う世界を扱った作品もあります。
もしご興味があれば、そちらも覗いてみてください。




