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第22話 図書室の考察① ノート


 授業中。


 前列で、リリアはノートを取っている。


 隣のレオンハルトも、同じようにペンを走らせていた。


 昨日までと同じ距離。

 けれど、少しだけ違う。

 視線が合わない。

 言葉もない。

 それでも、席は離れていない。


 教師の声が、黒板の前から淡々と流れてくる。

 チョークが石板を擦る音が、一定の調子で続いていた。


 リリアはいつも通り、要点を拾って書き込んでいる。

 レオンハルトも、横で同じように手を動かしていた。

 けれど、二人のあいだには、昨日までとは違う静けさがある。


 近い。

 近いのに、少し遠い。


 その後ろ。

 クラリスは前を向いたまま、小さく口を動かした。


「……見た?」


 隣から、短く返る。


「見た」


 ルーカスだ。


 視線は黒板のまま。

 ペン先も、止まっていない。


「完全にあれよね」


「だな」


 クラリスはペンを動かしながら、わずかに笑う。


「本人、気づいてないのが一番怖いわ」


「両方な」


 教師が黒板に新しい式を書き足す。

 教室のあちこちで、ノートをめくる音がした。

 クラリスはその音に紛れるように、小さく息を吐く。


「でも、いいわね」


「何が」


「ちゃんと始まりそう」


 ルーカスは視線を動かさないまま答える。


「そう見えるなら、そうなんだろうな」


 そこで、ペン先がほんの少しだけ止まった。

 言い淀むような、わずかな間。

 それから、ぽつりと続けた。


「……そういや」


 クラリスはそのまま返す。


「ん?」


「昨日、俺の手を握ったの、覚えてるか」


 クラリスは少し考えた。


「ああ」


 あっさりうなずく。


「力、入っちゃった。ごめんね?」


 軽い。

 本当に、ただそれだけの顔だった。


「……ああ」


 ルーカスは少しだけ視線を逸らす。

 黒板の文字が、いつもより少し遠く見えた。


 ――覚えてるのは、そこか。


 小さく息を吐いて、苦笑した。



 ――その日の始業前――


 リリアは六年生の教室を訪ねていた。


 図書室に忘れたノートは、きっとエリオットが持っているはずだと思ったからだ。


 六年生の教室前は、五年生の階とは少し空気が違っていた。

 廊下を行き交う生徒たちは落ち着いていて、話し声も低い。

 掲示板には研究生推薦や卒業試験に関する紙がいくつも貼られている。


 リリアは扉の前で、少しだけ背筋を伸ばした。


 声をかけるより先に、エリオットがこちらに気づく。


「エルドナーさん」


 柔らかな声だった。

 リリアは小さく頭を下げる。


「昨日はすみませんでした。あの……私、ノートを置いてきてしまって……」


「ああ、預かってるよ」


 エリオットはすぐに鞄からノートを取り出し、差し出した。


 表紙に汚れはない。

 角も折れていない。

 挟んでいた栞も、そのままだった。


 リリアは胸の奥が少し軽くなるのを感じた。


「ありがとうございます」


「あとで、少し話そうか」


 リリアはノートを受け取った手を、ほんの少しだけ止めた。


 何についてだろう。


 昨日の続きか。

 それとも、ノートの中身か。


 エリオットの表情は穏やかだった。

 責めるような色はない。


「はい」


 短く答える。


 それだけのやり取りだった。

 けれど、リリアの中には、その言葉がずっと残っていた。



 放課後の検証を終えると、リリアはノートを閉じた。


「本日の検証はここまでです」


 距離三十センチ。

 位置は正面。

 飲食あり。

 使用魔法は、五センチ真球、マイナス三度固定。


 結果は安定。


 昨日のことがあったせいか、会話は少なかった。

 けれど、検証そのものに支障はない。


 氷の真球は、最後まで形を崩さなかった。

 周囲への不快感も出ていない。


 リリアはその結果をノートに書き込み、ペン先を軽く止めた。


「このあと、図書室へ行きます」


 リリアがそう言うと、クラリスが顔を上げた。


「昨日の続き?」


「はい。エリオット先輩と、歪み(ディストーション)の理論について確認する約束をしています」


 レオンハルトのペン先が、紙の上で止まった。

 リリアは気づかない。


減衰(アテニュエーション)中和(ニュートラライズ)の違いについて、もう少し整理したいので」


「……そう」


 クラリスは短く答えた。

 ルーカスがちらりとレオンハルトを見る。

 レオンハルトは何も言わなかった。

 ただ、閉じた教科書の端を、指先で押さえていた。


 白くなるほどではない。

 けれど、力は抜けていない。


 クラリスはそれに気づいたが、何も言わなかった。


 昨日、強引に連れ出した。

 今日は、止めない。


 それだけで、少しだけ進んでいる。


 リリアは鞄を持ち、図書室へ向かった。



 

ここまでお読みいただきありがとうございます。


明日以降も【毎日20時更新】予定です。


この物語とは別に、違う世界を扱った作品もあります。

もしご興味があれば、そちらも覗いてみてください。

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