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第18話 歪みの話



 放課後、リリアは図書室にいた。

 机の上にはノートが積まれている。

 ページをめくりながら、静かに書き込む。


 距離。

 位置。

 条件。


 二か月分の記録を、順に整理していく。

 ペン先が止まる。

 接触条件だけ、まだ整理しきれていない。


 リリアは少し考えて、次の行に書き足した。


「エルドナーさん」


 名前を呼ばれて、顔を上げる。

 エリオットが立っていた。

 エリオット・ノワール。


 六年首席の奨学生で、研究生推薦も決まっている。

 図書室ではよく見かける顔だった。


 耳にかかる柔らかな銀髪。

 灰色の瞳。

 背が高く、物腰はやわらかい。


 理論系に強く、上級魔法の短縮詠唱を扱える数少ない学生の一人でもある。


「いつもここで熱心だよね」


 エリオットは机の上のノートへ視線を落とした。


「何か調べてるの?」


 リリアは少しだけ考える。


 隠す必要はない。

 けれど、説明は難しい。

 それに、記録には個人名も含まれている。


 リリアは自然な動きで、開いていたページの端を手で押さえた。


「検証です」


 簡潔に答える。


「検証?」


「はい」


「何か実験でもしてるの?」


歪み(ディストーション)の発生と、中和(ニュートラライズ)についてです」


 エリオットの表情が少しだけ変わる。


「そうなんだ」


 やわらかく笑う。


「僕の研究テーマと近いね」


「先輩の、ですか」


「うん」


 エリオットは空いている椅子に視線を向けた。


「座っても?」


「はい」


 リリアは少しだけノートを寄せた。

 エリオットは隣の椅子を引き、静かに腰を下ろす。


「短縮詠唱時に起きる歪み(ディストーション)の発生条件を解析しているんだ」


 リリアの目が少しだけ見開かれる。


「詳しく聞かせてください」


 エリオットは小さく笑った。


「僕は、完全詠唱なら歪み(ディストーション)は出ない」


「でも、短縮詠唱を使うと少しだけ歪む」


 リリアの手が止まる。


「どのような歪みなんですか」


「大したことはないよ」


 エリオットは指先で机を軽く叩いた。


「立ちくらみに近い。短いめまいみたいなものだね」


 リリアはすぐにノートへ書きつける。


「それは周囲にも影響しますか」


 エリオットが少しだけ目を瞬いた。


「え?」


「周りの人が同じようなめまいを起こすなどの影響です」


 エリオットは首を横に振る。


「ないね」


 そして、少し考えるように続けた。


「他者にまで影響が及ぶ歪みは、本人の魔力がかなり強くないと起きないよ」


 椅子の背に体を預けて、腕を組む。


「器からはみ出るような状態だからね」


「……そうなんですか」


「そこまで強いと、制御そのものが難しい」


 リリアはさらに書く。

 止まらない。


「先輩は、歪みを中和させる場合、何を想定しますか」


 エリオットは少し考えた。


中和(ニュートラライズ)か」


 灰色の瞳が、リリアを見る。


「エルドナーさんは、中和が可能だと思うの?」


「はい」


 リリアは顔を上げる。

 エリオットの目がわずかに細くなった。


「僕は、歪みの緩和はある程度可能だと思っている」


「でも、完全な中和は、原理上難しいと思うんだ」


「えっ」


 リリアは思わず声を上げる。


「なぜですか?」


 エリオットは小さく笑った。


「聞きたい?」


 リリアの目がはっきりと輝いた。


「はい。詳しく」


 エリオットは一瞬だけ驚いて、それから笑う。


「食いつくね」


「重要です」


 真顔だった。


「僕は歪みを現象じゃなくて、魔法の一部だと思っているからさ」


「魔法の一部……」


 エリオットはうなずく。


「魔法には、観測すると個々人に固有の波形がある。詠唱を短縮すると、その波形の一部が欠けたり、ずれたりするんだ」


「確かに。特に保定系の魔法では揺れがありますよね」


 リリアはもう一度ノートを引き寄せた。

 書く。

 止まらない。

 エリオットはそれを見て、少しだけ口元を緩めた。


「……はは」


「君の着眼点はおもしろいね」


 リリアは顔を上げる。


「先輩の研究も、とても興味深いです」


「光栄だな」


 その日から、放課後の図書室で言葉を交わす時間が、少しずつ増えていった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


明日以降も【毎日20時更新】予定です。


この物語とは別に、違う世界を扱った作品もあります。

もしご興味があれば、そちらも覗いてみてください。

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