第17話 隣にいる理由
手を掴まれたままだ。
そのまま、ぐい、と引かれる。
速い。
リリアは一歩遅れて、半歩ほど引きずられるかたちで廊下を進む。
靴音が、やけに大きく響いた。
すれ違う生徒たちが、思わず足を止める。
振り返る者。
ひそひそと何かを言う者。
目を見開いて見送る者。
視線が集まる。
けれど、レオンハルトは一度も振り向かない。
ただ前だけを見る。
手も、離さない。
「検証の条件追加ですか?」
リリアが息を整えながら言う。
「違う」
即答だった。
「ひょっとして、慣性を制御する魔術式の構築とか」
「違う」
それきり、言葉が途切れる。
足音だけが続く。
レオンハルトは何も言わない。
ただ、離さない。
「……殿下」
反応はない。
「殿下」
それでも振り返らない。
「……少し、痛いです」
ばっと、手が離れた。
その瞬間だけ、空気が緩む。
リリアの歩幅が、ようやく合った。
手が離れたあとも、レオンハルトはすぐには振り返らなかった。
数歩先で立ち止まる。
背を向けたまま、短く言う。
「……悪い」
「いえ」
リリアは手首を軽く押さえた。
痛みはすぐに引いた。
ただ、握られていた感覚だけが残っている。
「グランヴェルの言ったことは気にするな」
低い声だった。
「学院の中で誰が誰の隣にいるかを、あいつらが決める権利はない」
リリアは少しだけ首をかしげる。
「でも、社交界では違うのでしょう?」
「今は関係ない」
レオンハルトは言い切った。
「ここは学院だ」
言葉がそこで止まる。
それから、少し低く続けた。
「俺が選んでいる」
静かに落ちた言葉だった。
リリアは、その意味を考えた。
そして、まっすぐに答える。
「……私、男爵家だということは気にしていません」
レオンハルトが、そこで初めて振り向いた。
「まして、恥じてもいません」
リリアは続ける。
「エルドナーは、祖父が戦争で功績を立てて、騎士の位と男爵位を賜った家です」
静かな声だった。
「父も、その地位を守って、小さな領地を大切に治めています」
少しだけ、表情がやわらぐ。
「双子の弟たちは、祖父に似て剣の筋がいいんです。いつか騎士になりたいって」
ほんの少しだけ、誇らしげに。
「応援したいです」
リリアは一度、息を整えた。
「だから、男爵家だということは、むしろ誇りです」
レオンハルトは何も言わない。
ただ、その目だけが深くなる。
リリアは気づかず、続ける。
「ただ」
少しだけ視線を落とす。
「王都の礼儀については、たしかに知らないことが多いので、そこは勉強になりました」
真面目に言った。
レオンハルトは、小さく息を吐く。
「……そういう話じゃない」
「違うんですか?」
「違う」
短く、遮る。
「誰が誰の隣に立つかは、本人の意思だ」
言葉を探すように、少し黙る。
けれど、途中でやめた。
「……外が勝手に決めることじゃない」
リリアは少し考え込む。
「……もしかして、殿下は」
レオンハルトの呼吸が、ほんのわずかに止まる。
けれど。
「庇ってくださったんですね」
「……は?」
思わず声が漏れる。
リリアは気づかない。
「ありがとうございました」
素直に頭を下げる。
「あんなに大勢の中で注目されて、少し困りました」
困ったように眉を下げる。
「実験も、目立たない方が積み重ねやすいですし」
そこで言葉を区切る。
そして、まっすぐに言った。
「いつか歪みがなくなれば、殿下も皆さんと距離を取らなくてよくなります」
「私、頑張りますね」
レオンハルトは何も言わない。
リリアは、さらに続ける。
「殿下は優しいですね」
言い切りだった。
計算も、遠慮もない。
本気でそう思っている声だった。
「……」
レオンハルトは、一瞬だけ視線を逸らした。
さっきとは別の意味で、言葉が出ない。
胸の奥が、妙に落ち着かない。
リリアは首をかしげる。
「違いましたか?」
「……違わない」
低く返す。それが精一杯だった。
「……行くぞ」
リリアは素直にうなずく。
「はい。午後は歴史学ですね」
いつもの調子だった。
何も変わっていないように見える。
二人は廊下を歩き出す。
少しだけ、静かだった。
教室に入ると、まだ人はまばらだった。
窓際の席に光が差し込んでいる。
椅子を引く音。
本を開く音。
日常の音が戻ってくる。
リリアは席に着くと、ノートを開いた。
さっきまでのことを、もう整理し始めている。
条件。
距離。
接触。
再現性。
書き込みながら、小さくうなずく。
その横で、レオンハルトは何も書かない。
ただ前を向いている。
――優しいですね。
その言葉が、残っている。
授業の鐘が鳴った。
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明日以降も【毎日20時更新】予定です。
この物語とは別に、違う世界を扱った作品もあります。
もしご興味があれば、そちらも覗いてみてください。




