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第15話 光が爆ぜる



「今日は距離一メートル、位置は後方ですね」


 リリアがノートを見ながら言う。


「……結果が目に見えてるわね」


 クラリスが小さく顔をしかめた。


「ああ。でも、覚悟しとけばなんてことない」


 ルーカスが軽く肩を回す。

 レオンハルトが短く言った。


「……負担はかける」


 クラリスは少し目を丸くして、それから首を振った。


「全然平気よ。ちょっと気持ち悪いだけだもの」


 指で軽くオーケイのサインを作る。


「それ、平気って言わねえだろ」


 ルーカスが笑う。

 クラリスはふんと鼻を鳴らした。


「平気じゃないけど、付き合うって決めたの」


 その言葉を聞いてから、レオンハルトはわずかに目を伏せた。


「……ありがとう」


 クラリスは少し驚いたが、すぐにいつもの調子で肩をすくめる。


「どういたしまして」



 リリアがレオンハルトの後ろへ回る。

 距離は一メートル。

 視界から外れる位置。

 これまでの検証から考えても、負荷が出やすい条件だった。


「……ねえ、そういえば」


 クラリスがふと思い出したように言った。


「殿下の作る氷って、ちょっとおかしくない?」


「いまさらか?」


 ルーカスが笑う。


「だって、あんな綺麗な球、普通できないでしょ」


「まあな」


 ルーカスは肩をすくめた。


「まず、空気中から水分を集めてる」


吸湿(モイスチャードレイン)ね」


「それを球体にまとめる」


「うん」


「そこから凍らせる」


「そこまでは分かるわよ」


「問題は、凍らせ方だ」


 ルーカスは指を折る。


「普通は冷やす。けど、殿下のは違う」


「違う?」


 クラリスが眉を寄せる。


「冷却じゃありません」


 後ろから、リリアの声がした。


 三人がそちらを見る。


 リリアはノートを持ったまま、淡々と続けた。


「殿下の氷は、水を冷やして凍らせているというより、水分子の振動を抑制しています」


「振動?」


「熱は、分子の運動として扱えます」


 リリアは空中に小さく指を動かす。


「空気中の水分を集めて、球体に配置する。そこから分子運動を抑え、氷結状態へ移行させる」


 クラリスは少し黙った。


「……つまり?」


「冷やしているのではなく、動きを止めています」


「……無理よ」


 クラリスはきっぱり言った。

 ルーカスが少しだけ笑う。


「まだあるぞ」


「まだあるの?」


「ああ」


 ルーカスは続ける。


「真球の形を保つ。空中に固定する。内部状態を一定にする」


 リリアが頷く。


「今回は五センチ真球、マイナス三度固定を基準にしています」


「マイナス三度」


 クラリスが繰り返す。


「はい。固体として安定し、なおかつ変形の観測が可能な温度です」


 リリアは言葉を重ねる。


吸湿(モイスチャードレイン)収集(コレクト)、球体形成、振動抑制バイブレーションダウン、氷結状態の固定、空間固定、形状維持。さらに歪みが発生した場合、その乱れがどこに出るかも確認できます」


「重ねがけっていうか、ほぼ全部じゃない」


「そうだな」


 ルーカスはあっさり認めた。


「しかも常時維持だ」


「さらに言えば」


 リリアの声が重なる。


「多重制御です。処理のどれか一つが崩れれば、真球は維持できません」


 クラリスはもう一度、まだ何もない空間を見た。


「計算量は、かなり大きいかと」


「……やっぱり、無理よ」


 クラリスは、もう一度はっきり言った。


「私はそういう細かい制御は向いてないわ」


「そうなのか?」


 ルーカスが意外そうに見る。


「ええ。水とか炎とか風とか、出したり形を保ったりするのは苦手」


 クラリスは肩をすくめる。


「その代わり、身体強化は得意よ。走る、跳ぶ、受け身を取る。そういう方がずっと楽」


「へえ」


 ルーカスが少し面白そうに笑った。


「もったいないな。騎士系の仕事につけばいいじゃん」


「あのねぇ」


 クラリスは呆れた顔をする。


「たとえ望んでも、貴族の一人娘が騎士になるなんて、普通はあり得ないでしょう」


「あー、家の都合ってやつ?」


「それもあるけど」


 クラリスは少しだけ視線を落とし、それからすぐに顔を上げた。


「私、家の事業を継ぎたいの」


 はっきりした声だった。


「卒業したら起業して、力をつけて、いつか当主を目指すわ」


 ルーカスは目を瞬いた。


「……クラリスって大人」


「そう思うなら、あんたが子どもなんでしょ」


 即答だった。


 ルーカスは笑う。


「言うねえ」


「事実よ」


 クラリスは澄ました顔で言い、グラスを手に取った。レモンスカッシュの氷が、からん、と涼しい音を立てる。

 その小さな音を区切りに、リリアがノートへ視線を戻した。


「では、始めてください」


 レオンハルトが手を上げる。


 霧が発生する。

 周囲の空気から、水分が引き寄せられていく。

 白く薄いそれが渦を巻き、まとまり、球体の輪郭を取る。


 球体形成。

 振動抑制。

 氷結状態の固定。

 空間固定。

 形状維持。


 本来なら、そのまま透明な真球になるはずだった。


 びき、びきっ。


 音がした。


 真球の表面に亀裂が走る。


 マイナス三度で固定されるはずの氷が、内側から押し出される。


 一本。

 棘が生えた。

 さらにもう一本。


 形状維持が崩れている。


 温度ではない。

 球体形成でもない。

 もっと手前の、制御そのものが乱れている。


「……っ」


 クラリスが息を呑む。


「えっ、ちょっと……」


 顔色が変わる。


「来たな」


 ルーカスも眉を寄せた。


 軽く首を振るが、いつもより反応が強い。


「……うわ、今までで一番きたわ」


「そうね……ちょっと、きついわ」


 クラリスが椅子の背に手をつく。

 レオンハルトはこめかみを押さえた。

 呼吸が浅い。

 

 氷の棘がさらに伸びる。

 真球だったものが、もう球ではなくなっていく。


「……まずい」


 低く呟く。


 レオンハルトが立ち上がる。

 魔法を解こうとした、その瞬間。

 ふっと力が抜けた。

 平衡が揺らぐ。


「殿下っ」


 リリアが後ろから駆け寄る。

 考えるより先に、手を伸ばした。

 背を支える。


 その瞬間だった。


 光が、爆ぜた。


 窓から差し込んでいた昼の光が、一斉に砕ける。


 白ではない。

 赤。

 青。

 黄。

 緑。

 紫。

 橙。

 淡い水色。


 七色の光が、教室の空気に散った。

 細かく、鋭く、無数に。

 まるで、透明な花火が目の前で開いたみたいだった。


 机の縁も、窓枠も、黒板の端も、浮かび上がるようにきらめく。


 光の粒は空中に薄く残り、幻影のように揺れて、すぐにほどけた。


 一瞬。

 本当に、一瞬だけ。


 けれど、それは見間違えようがないほど鮮やかだった。

 教室ごと、夏のはじまりに投げ込まれたようだった。


「……」


 クラリスが言葉を失う。

 ルーカスも目を見開いていた。

 氷の棘が消える。

 歪みが消える。


 空気が、一気に澄む。


 レオンハルトの表情が変わった。

 さっきまでの苦痛は、もうない。

 代わりに、別のものが浮かぶ。


 驚き。

 理解できない揺れ。

 そして――


 目の前にあるそれを、手放したくないとでもいうような顔。


 ルーカスが小さく息を吐く。


「……ああ」


 クラリスも、ようやく声を見つける。


「……これって」


 誰も続きを言わない。

 言わなくても、分かってしまったから。

 後ろから支えているリリアには、それが見えない。

 小さな体でレオンハルトの背を支えたまま、いつも通りの声で言う。


「……なるほど」


 冷静だった。


「中和を越えていますね」


 完全に納得した顔だった。


 ルーカスが、口元だけで笑う。


「……そっちかよ」


 クラリスが力なく呟いた。


「だから、それは理論じゃないのよ……」


 レオンハルトは、しばらく動けなかった。


 頭痛は消えている。

 歪みもない。


 なのに、今度は別の意味で鼓動がうるさい。


 ――なんだ、これ。


 自分でも信じられないものを見る顔で、レオンハルトはただ黙っていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


明日以降も【毎日20時更新】予定です。


この物語とは別に、違う世界を扱った作品もあります。

もしご興味があれば、そちらも覗いてみてください。

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― 新着の感想 ―
光が爆ぜて教室中がキラキラしている綺麗な場面を、 是非イラストで見たいですね。 あと、クラリスが身体強化持ちと言うのが、 容姿に似合わないギャップで、余計に魅力的です。
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