第13話 条件を細分化します
「条件を細分化します」
放課後。
いつものように、リリアはノートを開いた。
その目が、少しだけ輝いている。
「距離五十センチを基準に、位置条件に加えて、環境条件と行動条件を確認します」
「……ほんっとうに真面目だな」
ルーカスが椅子の背にもたれ、笑った。
「そうなのよ」
クラリスが即答する。
呆れているのに、もう逃げる気はなさそうだった。
「この子、そこだけは一切ぶれないの」
レオンハルトは何も言わない。
ただ、リリアの隣に座ったまま、黙って聞いている。
涼しい顔をしているが、席を立つ気配はない。
「本日は、屋内、屋外、歩行時、食事時の条件を追加します」
「増えたわね……」
クラリスが額に手を当てる。
「必要です」
リリアは迷いなく言った。
「単純な距離条件だけでは、再現性の精度が足りません」
「出た。再現性」
ルーカスが小さく笑う。
「好きね、それ」
「大事です」
「知ってる」
クラリスがため息をついた。
「もう知ってるわ」
それから数日、検証は少しずつ進んだ。
屋内。
屋外。
歩行中。
食事中。
条件を一つずつ増やしていく。
隣。
正面。
後方。
位置も変える。
ある日の実験は、カフェテラスで行われた。
午後の光をやわらげる布張りのサンシェードの下で、クラリスはイチゴジュースのストローをくわえたまま、露骨に眉を寄せていた。
ルーカスの前にはクリームソーダ。
レオンハルトの前には、ほとんど手をつけていないアイスコーヒー。
リリアのノートだけが、飲み物よりも先に開かれている。
結果は、ほとんど同じだった。
リリアがレオンハルトの視界から消える。
その瞬間。
ぴきっ、と氷が歪む。
「ううっ……」
クラリスが顔をしかめる。
「来たな……」
ルーカスが低く言った。
軽口の色が、少しだけ消えている。
「……っ」
レオンハルトはこめかみに手を当てた。
それでも、手のひらの氷を保とうとする。
薄く透き通った氷の端が、震えるように光を乱した。
リリアが横へ戻る。
歪みは消える。
「……なるほど」
リリアは即座にノートへ書き込んだ。
興奮している。
本人は隠しているつもりもない。
「やはり、視界条件が大きく影響していますね」
「これ、実験しなくても答え分かってるんじゃない?」
クラリスが、ストローをくわえたまま言う。
「まだです」
リリアはきっぱり返した。
「条件が揃っていません」
「揃ったら終わるの?」
「いいえ」
「でしょうね」
クラリスは諦めたように、ストローを噛んだ。
ルーカスが吹き出す。
「今度は距離条件を変えて、同じ条件を検証します」
「えーっ」
クラリスが露骨に嫌そうな声を出す。
けれど、席を立たない。
ルーカスが笑った。
「まあ、付き合うけどな」
「あなたも付き合い良すぎるのよ」
「面白いからな」
ルーカスは肩をすくめる。
「殿下もそうだろ?」
レオンハルトは答えない。
ただ、手のひらの氷を消さなかった。
次の検証は、別の日の階段教室で行った。
距離三十センチ。
近い。
教室の席でも、食堂でも、少し意識しないと近すぎるくらいの距離だった。
「開始します」
リリアが後方へ回る。
視界から外れる。
「音も切るぞ」
ルーカスが指先を動かし、簡易の聴覚遮断を加えた。
「……う」
クラリスが小さく唸る。
「う……でも、あれだな」
ルーカスが顔をしかめながら言う。
「五十センチの時よりは軽いわ」
「俺もだ」
ルーカスはレオンハルトを見た。
「殿下は?」
レオンハルトは短く頷いた。
顔色は悪くない。
赤い瞳の揺れも、前回ほどではない。
「……なるほど」
リリアはまた書きつける。
「距離条件の縮小により、視界条件の欠損をある程度補完できます」
「補完、ねえ……」
クラリスは半分呆れたように言う。
「でも、皆さんが歪みに慣れただけかもしれません」
「はあ?」
クラリスが声を上げる。
ルーカスが笑った。
「俺たち、実験動物か?」
「違います」
リリアは真顔だった。
「協力者です」
「言い方で誤魔化してるだけじゃない?」
「違います。協力者です」
「二回言ったわ」
クラリスは深くため息をついた。
「だから、まだ結論は出せません」
リリアはノートを閉じない。
「実験は続けましょう」
「続けるのね……」
「続けるんだな」
ルーカスが笑う。
レオンハルトは何も言わなかった。
ただ、否定もしなかった。
それどころか、ほんの少しだけ口元が緩んでいるように見えた。
検証は続いた。
一日一項目。
十分から十五分。
それ以上はやらない。
授業もある。
図書委員の仕事もある。
昼食も、課題も、学院の生活もある。
だから、必要な分だけ。
それでも、ノートはいつの間にか四冊目に入っていた。
制服も、長袖から半袖に変わっている。
気づけば、学内で四人が一緒にいることは珍しくなくなっていた。
ルーカスが軽口を叩き、
クラリスが呆れながらも付き合い、
リリアが目を輝かせてノートを開く。
その隣には、いつもレオンハルトがいた。
言われた通りに手を出し、
言われた通りに氷を作り、
涼しい顔で、面倒そうなことを全部受け入れている。
けれど、誰かが「もう今日は終わり」と言うまで、彼が席を立つことはなかった。
それが少しだけ楽しそうに見えるのは、たぶん気のせいではない。
いつの間にか、それは四人の日常になっていた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
明日以降も【毎日20時更新】予定です。
この物語とは別に、違う世界を扱った作品もあります。
もしご興味があれば、そちらも覗いてみてください。




