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第11話 距離の固定


「リリア・エルドナー」


 朝の回廊で呼ばれて、リリアは足を止めた。

 振り向く。

 レオンハルトが立っていた。

 昨日までなら、こちらから見つける相手だった。

 なのに今日は、向こうから来た。


 ――怖すぎる。


「……はい」


 少しだけ身構えながら返事をする。


 レオンハルトは数秒、何も言わなかった。

 それから、短く告げる。


「昼、少し話がある」


「……お昼、ですか」


「今日は図書室の当番はないだろう」


 ――なぜそれを知っているんですか。


 だが、気にするところはそこではない気もした。


「ご用件を伺ってもよろしいでしょうか」


「確認だ」


 短い回答だった。


 何の確認かは分からない。

 けれど、その言い方は命令に近いのに、不思議と押しつけがましくはなかった。

 というより、断る前提が最初からないように聞こえる。


 リリアは少し考えた。

 観測対象の方から接触してくるのは珍しい。


 怖い。

 かなり怖い。


 けれど、これは観測任務でもある。

 情報が増えるなら、断る理由はなかった。


「……わかりました」


「今日の昼だ」


「はい」


 レオンハルトはそれ以上何も言わず、歩いていった。



 **



 食堂は昼のざわめきで満ちていた。

 配膳口には列ができている。


 王立アストレア学院の食堂は、好きな料理を受け取る方式だ。受け取りの際に魔道具へ記録され、月ごとに寮費とまとめて精算される。


 リリアはトレイを受け取り、今日のスープとパン、それから果物の小皿を載せた。


 昼に少し話がある、と言われている。

 なら、勝手に席を決めるより先に、探すべきはレオンハルトの姿だった。

 少し背伸びをして、食堂の中を見渡す。


 ――いた。


 窓際から少し離れた四人掛けの席に、レオンハルトが一人で座っている。


 リリアは小さく息をつき、そこへ向かった。

 向かいの席にトレイを置く。


「失礼します」


 返事はない。

 だが、追い返されもしない。

 リリアはそのまま、ことりと座った。


 これでよかったはずだ。

 普通は向かいだし、話をするにしてもその方が自然だ。


 そう思った次の瞬間だった。


 レオンハルトが立ち上がる。

 無言のままトレイを持ち、テーブルを半分回り込むようにして、リリアの隣へ座り直した。


「……」


 一瞬、思考が止まる。


 ――なぜ?


 向かいも、斜め前も空いたままだ。

 なのに、隣だった。


「近い方がいい」


 レオンハルトが言う。

 それが当然だというように。


 少し離れた席で、クラリスが目を細めた。


「……近くない?」


 向かいに座るルーカスが、短縮詠唱をかける。

望遠魔法(ロングレンジ)

 指先を動かした。


 簡易の望遠魔法が、二人にかかった。

 視界がわずかに拡張される。


「うわ」


 クラリスが声を潜めた。


「本当に隣に座ってる」


「見れば分かるだろ」


「見えるけど、信じたくなかったのよ」


 ルーカスは無言で観察する。


「……念のため、音も拾うぞ。傍聴(スニークリスン)


「そんなことまでできるの? やるじゃない」


「殿下が変な詰め方したら止める」


 クラリスは一瞬だけ黙ったあと、視線をリリアたちへ戻した。


 リリアは緊張している。


 殿下(あいつ)は――。


「……あー」


「何その反応」


「いや」


 ルーカスは小さく息を吐いた。


「思ったより分かりやすいな」


 

「実習で、お前が隣にいた時」


 低い声だった。


「魔法が安定した」


 リリアの目がわずかに動く。


「無詠唱で上級魔法を使えば、いつも歪みが出る」


「反動ですか」


「ああ」


 レオンハルトは頷く。


「だが、あの時はなかった」


 そう言って、左手でグラスを持つ。


「今まで、一度もそんなことはない」


 リリアは手元のスプーンを置いた。


「おとといの昼、いなかったな」


 レオンハルトが言う。


「はい。図書委員の当番でした」


「誰かの代わりか」


「はい」


 短い会話だった。


 距離は変わらない。

 近いままだ。


 リリアは少し考える。


 おととい。

 食堂の一件のことか。


 シャンデリアは、何事もなかったかのように新しいものへ付け替えられている。

 ここで超演算のような魔法が繰り広げられたことなど、なかったかのように。


 そして、殿下は体調を崩した。

 ――らしい。


「もしかして、殿下の体調不良と、私の不在には関連があると考えているんですか」


 リリアはまっすぐ聞いた。

 レオンハルトは短く答える。


「ある」


 断定だった。



「ほら来た」


 クラリスが小声で言う。


「詰めてるじゃない」


「詰めてるな」


 ルーカスは視線を外さない。

 あそこまでは予想通りだ。


 問題は、その先だった。



 リリアは固まっていた。


 ――いや。


 ――こちらも、観測という意味ではいいのかもしれません。


 呼吸。

 視線。

 手の動き。


 近距離でしか拾えない情報は多い。


「……なるほど」


 小さく呟く。


「何だ」


「いえ。殿下は近い方が良いのですね」


「そうだ」


 即答だった。


 やはりそうか、とリリアは納得する。


 ――合理的です。


「では……まだ条件の確定まではいかないんですね」


「条件?」


 レオンハルトの小さな戸惑いを置いて、リリアは続ける。

 思考が、観測の方へ沈んでいく。


「私が近くにいると、殿下は安定する」


「……ああ」


「ただし、原理は不明。ちなみに有効距離は」


「……まだ分からない」


「継続時間は」


「……さあ」


「接触、非接触の違いは」


「……接触?」


 レオンハルトの返事が、ほんの少し遅れた。

 考えながら、言葉が整理されていく。


「まだ情報が足りません」



「違うでしょ!」


 クラリスが顔をしかめ、握った手でテーブルを叩いた。


「なんでそこで理論になるの」


「なんでだろうな」


 ルーカスは肩をすくめる。

 だが、その視線は真剣だった。


 ――あいつ、押されてるな。


 少しだけ面白い。



「もっと実験した方がいいかもしれません」


 リリアは言う。


「距離、時間、環境条件を変えて――」


「……実験」


 レオンハルトが繰り返す。


「はい。実験です」


 リリアは真面目な顔でうなずいた。

 返事がない。


 食堂のざわめきだけが、遠くで続いていた。

 レオンハルトは小さく息を吐く。


 実験は昨日した。

 三つの上級魔法で。


 確定済みと言うこともできる。

 だが。


「……いや。それでいい」


 短く言う。


「よかったです」


 リリアはほっとしたようにうなずいた。


「理論が外れていなくて」



「よくないでしょ」


 クラリスが即座に言った。

 ルーカスの腕を掴んで揺する。


「何ひとつ合ってないでしょ、今の。ねぇ!」


「……まあ」


 ルーカスは肩を揺らして笑う。


「本人がそれでいいなら、いいんじゃないか」


「よくないわよっ」



 リリアは小さく息をついた。

 よく分かった、と思う。


 完全ではない。

 けれど、方向は見えた。


 これは、かなり有用な情報だ。

 観測記録に書いておこう。


 満足して、ひとつうなずく。


 その横で、レオンハルトが何も言わずにスプーンを持った。


 右手だった。


 筆記は左。

 カトラリーは右。


 両利き(クロスドミナンス)


 リリアの視線が、そこに落ちる。


 右手で持つ動きに無駄がない。

 食べ方がきれいだ。

 姿勢もいい。


 無意識の動作は、嘘をつかない。


 利き手の分離は、訓練か、あるいは矯正の痕跡。

 どちらにせよ、環境要因が強い。


 視線が、つい追ってしまう。

 いや、これは効率の問題だ。


 ――観測。これは意味があることなのかも!


 そう判断して、リリアはひとつうなずいた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


明日以降も【毎日20時更新】予定です。


この物語とは別に、違う世界を扱った作品もあります。

もしご興味があれば、そちらも覗いてみてください。

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