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第10話 気のせいじゃない



 昨日の確認は、三つ。


 吸湿(モイスチャードレイン)

 静電(スタティック)

 光の屈折(リフラクション)


 いずれも上級魔法だ。


 無詠唱で使えば通常なら、どれも兆候が出る。


 頭の奥に圧がかかる。

 思考が鈍る。

 視界の端が揺れる。


 だが。


 何も起きなかった。


 減衰ではない。


 緩和でもない。


 ――中和(ニュートラライズ)


 あれが近くにいる限り、歪みは発生しない。


 


 ――最初は、些細なことだった。――


「おはよう、リリア」


 同級生の一人が声をかける。


 リリアはいつも通り、少し遅れて小さく頭を下げた。


 「おはようございます」


 それだけのやり取り。


 問題はない。


 ――ないはずだった。


 レオンハルトの視線が、わずかに止まる。


 ただの挨拶だ。


 それ以上でも、それ以下でもない。


 思考に遅れが出るほどのことではない。


 なのに。


 ほんのわずかに、判断が遅れた。



 ――次は、もう少し近い。――


 図書室の前だった。


 高い棚の上段に手を伸ばしているリリアに、上級生が声をかける。


「取る?」


 返事を待たずに、本を取って差し出す。


 近い。


 手が触れそうな位置だ。


「ありがとうございます」


 リリアは素直に受け取りぺこりとお辞儀した。


 それだけのことだった。


 ――それだけのはずだ。


 レオンハルトは、そこで視線を逸らさなかった。


 逸らす必要がない。


 そう判断している。


 だが。


 逸らさない理由も、ない。


 内側に、わずかなずれが生じる。



 ――三度目は、はっきりしていた。――


 ルーカスは軽い足取りで廊下を歩いていた。


 前方にリリアを見つける。


 「よ」


 気安く声をかける。


 そのまま、肩をぽんと叩いた。


 「このあと図書室?」


 リリアは少しだけ驚いた顔をして、それから小さくうなずく。


 「はい。少しだけ」


 「相変わらず真面目だな」


 ルーカスは笑って、そのまま歩き出す。


 何気ないやり取りだった。


 数歩進んだところで、レオンハルトを見つける。


 「よ、殿下」 


 いつもの調子で声をかける。


 そのまま距離を詰める。


 「朝飯食べたか――」


 言い終わる前に。


 空気が、わずかに変わった。


 レオンハルトの視線が、ルーカスに向く。


「……」


 一瞬、間がある。


 何でもないはずの間。


 だが、妙に長かった。


 次の瞬間。


 軽く、叩いた。


 頭を。


 強くはない。


 だが、明確だった。


 「……は?」


 ルーカスが顔をしかめる。


 レオンハルトは、すでに視線を外している。


 何事もなかったかのように。


 だが、ほんのわずかに眉が寄っていた。


 「……なんなんだよ」


 ルーカスは小さく言う。


 返事はない。


 ただ一言だけ、遅れて落ちる。


「――触るな」


 低い声だった。


 **


 午後の選択座学は、あまり人気がない。


 理論寄りで、眠くなると評判だからだ。


 出席している学生は少なく、階段教室の席もだいぶ空いている。

 前でも後ろでも好きに座れるのは、いつものことだった。


 リリアは迷わず前寄りの中央を選ぶ。


 黒板が見やすくて、教師の板書も拾いやすい。


 そこが、いつの間にか自分の指定席みたいになっていた。


 鞄を置き、ノートを出す。


 そのときだった。


 とん、と。


 すぐ隣の席が鳴った。


 反射的に顔を上げる。


 レオンハルトが座っていた。


 「……」


 他に、席はたくさん空いている。


 それなのに、そこだった。


 リリアは一瞬だけ固まる。


 ――どうしたんでしょうか……


 どきどきする。


 ――やっぱり、昨日のノートがばれていたの?


いや。


 もし見られていたなら、もっと正式な形で何か来るはずだ。

 王子相手に観察対象などと書いていたのが知られたら、不敬とか、そういう、ものすごくまずい方向の話になるのではないか。


 ――怖すぎる!


 けれど、抗議は来ていない。

 副学院長にも呼ばれていない。

 なら、たぶん、まだ大丈夫だ。


 ――たぶん。


 そう自分に言い聞かせているうちに、授業が始まった。


 殿下はまっすぐ前を向いている。


 リリアを見る気配はない。


 それなのに、隣にいるというだけで落ち着かない。


 ――……近い。


 視界の端に、横顔が入る。


 やっぱり目がきれいだ、と思った。


 今日は赤というより、明るい朱に見える。


 光が入るたび、色が少しだけ変わる。


 肌も白い。


 ――男の子なのに、ずるい。


 ノートを取る手元に視線が落ちる。


 字まできれいだった。


 流れが整っていて、線が迷わない。

 急いで書いているはずなのに、形が崩れない。


 それに比べると、自分の字は少し恥ずかしい。

 読めないほどではないけれど、癖がある。


 指も長い。


 節の形まで整って見える。


 自分の手を見下ろす。


 別に不便はしていないけれど、比べるとあまり綺麗ではない気がした。


 ――……何を比べているのかしら。


 リリアはそっと視線を戻した。


 なんてね、と心の中でごまかしてから、慌てて授業内容に意識を戻す。


 黒板の文字を追う。


 その横で、レオンハルトのペン先が紙を滑る音だけが、やけに近く聞こえた。


 **

 

 夜、ノートを開く。


 

 観測対象は、近距離でも問題なし。


むしろ、安定。


 その下に、少しだけ間を空けて書き足す。


・筆記:左

・字:整っている

・指:長い


 そこで一度止まる。


 少し迷ってから、端に小さく書いた。


・瞳:屈折率が高い。きらきらしている(要再観測)


 書いてから、少しだけ首をかしげる。


 ――……屈折率って、何だろう。

 

 でも、間違ってはいない気がした。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございます。


明日以降も【毎日20時更新】予定です。


この物語とは別に、違う世界を扱った作品もあります。

もしご興味があれば、そちらも覗いてみてください。

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