第5章:「幻覚」
この曲は、ジオがすべてを失った瞬間に滾る、感情の奔流そのものだ。
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ブリッジは完全に崩壊した。ねじれ狂う金属が虚無へと激突する轟音が大気を満たし、鈍い残響が私の歯を震わせた。緑色の瞳の少女は、まるで構造そのものに呑み込まれたかのように、ロンポートタワー第1号の窓際から姿を消していた。
私はひび割れたコンクリートの上に足を引きずりながら、ビルの安全なエリアへと後退するしかなかった。
断崖の頂上にある孤独と風。それだけが、そこに「あった」。上空の空気は、焦げ付いたオゾンの臭いと、前夜の雨の冷たい湿気で満ちていた。
…
…
…
「嘘だろ……」
私はうつむき、ブリッジが崩落し、深淵の濃い霧の中へと底まで落ちていくのを見つめていた。
「底を打つ(タッチ・ボトム)」
――クラック!
乾いた破裂音。それはまるで、激しい雹に打たれて厚いガラスが割れるかのようだった。脳内で、何かが断片化した。
「脳内で、何かが断片化した」
私の視界はひび割れてバラバラになり、その亀裂の一つに、あの青い瞳の幽鬼がいた。薄暗闇を切り裂く、鮮明なセルリアンブルーの輝き。
「青い瞳の幽鬼」
彼女はブリッジの向こう側から私を見つめていた。断片化した私の視界はさらにバキバキと崩れ、高層ビル群の輪郭を壊れたパズルのように歪めていく。
そして、彼女の声が聞こえた。それは耳を通り抜ける囁きではなく、私の頭脳の奥底に直接響き渡った。
「私たちの残酷な運命を、変えて」
一瞬の瞬きと共に、その視界は風の中に消えた。跡形もなく消え去り、周囲の空間に現実離れした冷気だけを残していった。
「……あいつの正確な名前は、何だ?」思い出さなければならない。彼女の名前は、私にとって重要だったはずだ。
「彼女は……」
彼女……
彼女は、一体誰だったんだ?
…
…
…
その問いは、目まぐるしく吹き荒れる風の中でシセロ(不気味な囁き)となり、虚空へと消えていった。
私は諦めに満ちた視線を落とした。
その頃――。
私を支えるビルから、私は激しい戦闘が続く地平線へと視線を向けた。火薬の臭い、燃える燃料、そして肉の焦げる悪臭が重い突風となって立ち上り、私の鼻を突いた。
テロリストたちが、私たちの愛国的な兵士たちを粉々に粉砕していく……。
「あの裏切り者どもが……このまま逃げ切るつもりか?」私は思った。口の中に苦い金属の味が広がった。
「あいつらが完全な血に飢えた化け物だと、誰も気づかないのか?」
目に見えない圧倒的な力が、私たちの軍隊を押し潰していた。断末魔の叫びはエンジンの轟音に掻き消され、あの『雷』はただジグザグに疾走しながら、白く輝く軌跡を残し、男たちの血まみれの瀕死の身体をビルの壁へと無慈悲に叩きつけていく。骨が砕け、装甲車が圧殺される鈍い音が、私のいる場所まで響いてきた。
「私たちの主権者、オトローラ(Otrora)はどこにいる?」
「私たちは、本当に負けるのか?」
「これが、あの『7人の預言者』の力なのか」
「ただのテロリストじゃない……」
路地はまたたく間に切断された死体で埋め尽くされ、灰色の光の下で凄惨な虐殺が繰り広げられていた。しかしそれでも、勇敢な男たちは各通りの角に武器を構えて身を潜め、必死に銃撃を浴びせながら、この化け物たちを食い止めようとしていた。
ビルの中から、私はその戦闘の全貌を見つめていた。
私たちの軍が敗北するかに見えたその時、空軍が到着した。空の彼方から千の嵐の如き爆音が響き渡る。彼らは私の避難しているビルのガラスを激しく震わせながら超高速で飛来し、数学的な正確さでエリア一帯を爆撃した。爆発がオレンジ色の炎の柱を立ち上げ、あの『雷』はついに地獄の爆心地へと捕らえられた。
脱出を試みる『雷』だったが、凄まじい衝撃波がその身体を捉えた。ソニックブームの衝撃に、私は思わず耳を塞いだ。外傷は見えなかったが、衝撃波の圧力がその内部に致命的なダメージを与えたのは明らかだった。
彼は最後のエネルギーの火花を引きずりながら、神の正義に立ち向かうかのように、天へと昇っていった。
だが間もなく、『雷』は剥き出しになった。その身体は、ただの脆弱な人間として落下していく。エレクトロの眩い輝きは死にかけの静電気のように大気へと霧散し、雷を纏っていたあの男は、屋根の瓦を粉砕しながらビルの一角へと叩きつけられ、敗北した。
よし! 私は興奮で叫んだ! 私たちの軍隊があいつらを粉々にしている!
「残るは、あの軍服を纏った男だけだ。孤独な空に留まり、毅然と立ち塞がっている」
「彼の紅き悪魔の瞳が、遠くからでもはっきりと視認できた」霧の中に固定された、二つの血の色の火。
「おそらく、禍々しき悪意は、地平線の彼方からでも見えるのだ」
私たちの戦闘機が整列し、ジェットエンジンが次の波状攻撃に備えて鋭い金属音を響かせていた。
「絶対に奴らの負けだ」
「我が軍が、あんな裏切り者どもに負けるはずがない」
しかし、その時。
満身創痍の二つの影が、あの軍服の男……『裏切り者』の元へと合流した。
「あの怪物が2人いるだけでこれほどの惨状なのに、さらに2人増えるというのか……」
距離があるにもかかわらず、それが女性のシルエットであることは明白だった。一人は周囲の光を吸い込むような闇を纏い、もう一人は狂暴に火花を散らす炎を纏っていた。
炎を纏った女が、すべての地面とビルを焼き払い始めた。熱気は数秒で息苦しいほどになり、灰を孕んだ濃い黒煙が押し寄せて私を激しく咽せ返らせた。彼女は全方位に煙と炎の障壁を作り出し、燃え盛る巨大な壁の中に裏切り者たちの姿を隠した。
私たちの戦闘機が再び通過した時、今度こそ奴らを仕留められると確信したその瞬間――。
闇を纏った少女が、同じくその両眸を赤く輝かせ、叫んだ。
「――喧しい!」
その声は並の絶叫ではなかった。周囲の総ての音を掻き消す圧力を孕んだ波動だった。彼女の手から、一筋の小さな紫色の火花が放たれた。直後、純粋な闇の光線が、彩度の高い紫と青の電光を伴って、地響きと共に地面を抉り取った。それは都市をその中心から真っ二つに引き裂き、その破壊の光線を天へと突き上げ、大気をも完全に2つの世界へと分断した。
直撃を受けた戦闘機はその場で物言わぬ火の玉と化して爆散し、残りの機体も電子系統を完全に焼かれ、ただアスファルトへと墜落して激突していった。
あらゆる破壊のただ中から、その「悪の三位一体」が遠くから私を見つめていた。私は自分が目撃したものが信じられなかった。
あの3人の赤き瞳の悪魔たちの姿は、私の脳裏に一生焼き付いて離れないだろう……。
激しい炎、立ち込める濃煙、そして自らが引き起こした惨劇に対して完全に無表情な、あの冷酷な眼差し。
空が、化学物質に汚染されたかのような、病的な緑色に変色していった。
「オーロラ」が、夜明けの空に広がっている……。
私の希望が、完全に粉々に打ち砕かれたその時。
都市全域に警報が鳴り響いた。地下深くを振動させる、重苦しい機械的な嘆きの音。私は以前、その音について聞いたことがあった……それが意味するものは、ただ一つしかなかった。
都市の工業的な駆動音が、段階的に解放されていく。それは世界の終わりを告げる巨大な鐘のようだった。
「虚無の音……」
総てが劇的に静まり返った。激しい炎の轟音さえもが減退していく。
「風の向きが変わった」空気は異常なほどに高密度となり、区画の中心へと急速に吸引されていった。
地面が、いくつかの高速なフェーズを経て割れていった。チタン製の都市プレートがきしみながら分離する。油圧システムの悲鳴と共に、何重もの隔壁が格納されていき――そして、天を穿つ巨大な弾丸の如く、神話的かつ伝説的な存在が姿を現した。
『巨神』。金属とエネルギーの巨塊。
3人の預言者たちは空を見上げていた。その超巨体が、自分たちの真上に落下してくるのを前に、彼らはあまりにも小さく見えた。
着地の瞬間、衝撃は黙示録的なものだった。周囲にある40階建てクラスの小規模なビル群が、まるでトランプの城のように崩壊し、太陽を覆い隠すほどの灰色の塵の嵐を巻き上げた。
巨神の着地に伴う大地震が、都市を文字通り液状化させた。アスファルトは水のように波打ち、大通りをズタズタに引き裂いていく。
11個の眼を持つ異形の顔が、3人の預言者をその視界に捉えた。神聖な周期で明滅する、11遠看の紫色に輝く盲目的な光点。
悪魔たちは、自分たちの遥か頭上にそびえ立つ、数百、数千階層の高さを持つ鉄の壁のような巨獣を、信じ難い面持ちで見上げていた。
彼らの禍々しい赤き瞳が、私たちの巨神が放つ、目も眩むような紫色の11個の眼の光と正面から衝突する。
巨神がその炎の剣を抜いた。
――フランベルジュ(Flamberge)。
刀身から放たれる熱気で、大気が激しく陽炎を結ぶ。巨神はその剣を3人の悪魔たちに向けて振り下ろしたが、奴らは超人的な速度で回避行動を取り、空中へと散っていった。
剣が地面に激突し、その全威力が炸裂した。大地は深い溝となって裂け、エリア全体が完全な破壊の中に爆発した。溶けた岩石と硫黄の臭いが大気中に充満する。
巨神はコントロールを失ったままその巨剣を横になぎ払い、その巨大な刃の質量だけで、何百もの民間ビルを巻き込んだ。建物の構造は一瞬で崩壊し、ガラスと瓦礫の雨となって崩落していった。
墜落していた『雷』の身体は、間一髪のところで、どこからともなく現れた氷を纏う女によって救出された。
預言者たちは持てる総ての力――炎の嵐、闇の触手――を浴びせて攻撃したが、巨神を一時的に足止めしようとするその必死の抵抗も、巨神の外殻に傷一つ付けることはできなかった。
巨神の歩みは街の路地を轟音と共に踏み砕き、地下の階層を押し潰していく。排水システムが露呈し、配管が次々と破裂した。チタンの質量そのものが持つ圧倒的なエネルギーが、彼らを地面へと圧殺しようとしていた。
「しかし、巨神は微塵も怯むことなく攻勢を続けた」その歯車とサーボモーターの駆動音は、機械の神の鼓動そのものだった。
闇を纏う女と、炎を纏う女が、その力を完全に同調させた。彼女たちは両手を結び、巨神の胸部へと融合された奔流を放った。金属が苦悶の悲鳴を上げ、巨神の装甲が赤熱し始めた。どろりとした輝きを放ちながら、空気そのものを熱で歪めていく。
巨神は都市の地盤を強く踏み締め、金属の軋みと共にバランスを立て直すと、その背中からライフルを引き抜いた。建造物クラスの、記念碑的な火器。
彼の11個の眼が天空へと固定され、標的に向かって真っ直ぐに、精密な赤い照準レーザーを放射した。
彼は卓越した技術で、そのライフルを構えた。
銃身が、青く凶暴なエレクトロの力に完全に浸食され、耳を刺すような高い駆動音と共にエネルギーを蓄積していく。そして、1秒後――。
総ての混沌が、凶悪な衝撃波によって停止した。放たれた一撃は、弾道とは逆の方向へと、周囲のすべての風、煙、そして慣性を力づくで吹き飛ばした。レヴァイアサンの大気を一瞬で一掃する、凄絶なソニックブーム。
闇の少女と炎の少女は、直撃こそ免れたものの、わずか数メートル横を通過したその衝撃波の質量があまりにも巨大であったため、その圧力によって内部から完全に叩き潰され、エネルギー障壁を強引に破壊された。
彼女たちの身体は意識を失い、一瞬だけ宙に浮いた後、虚空へと落下していった。しかし、それらは落下中に、氷を纏う少女の見事な身のこなしによって救出された。彼女は遠くからその氷のように冷たく計算高い青い瞳を覗かせながら、落下の衝撃を和らげるための霜の斜面を瞬時に形成していた。
私の顔に、自然と笑みが浮かんだ。胸の奥から、せり上がるような安堵が広がっていく。
フフフ……そうだ……。
「軍服を着たあの男……裏切り者のプロフェットが、巨神の前に無防備に取り残されている。あいつに残されたのは、あの傲慢な赤き瞳だけだ」神の如き機械の前に、空中でただ一人、完全に晒されている。
彼の赤き瞳が一瞬激しく火花を散らし、安定を失ったその表情を、深い紫色が支配していった。
巨神が、その巨大な手で裏切り者を圧殺しようと、動き出す。
…
そうだ……
…
しかしその瞬間、氷を纏う女が超高速でその至近距離を滑走し、見事な練度で巨神の関節と両手を、分厚く不透明な霜の塊の中に完全に凍結させた。
巨神は即座に圧力をかけ、水晶の破片のような氷の雨を降らせてその拘束を粉砕したが、ほんの数秒だけ、その注意を逸らされた。あの、忌まわしい数秒間。
紫色の瞳を持った『裏切り者』が、巨神に向けて両手を掲げた。
彼の手首にある腕輪が限界を超えて回転し、金属の摩擦音を響かせながら、再び赤熱して熱い蒸気を噴き上げた。
巨神は凍結を振り払い、彼を握り潰そうとその巨大な手を伸ばした。氷の少女がなおも冷気の奔流を放ち、必死に巨神の動きを拘束しようとする中。
その巨大な掌が、裏切り者の身体を完全に覆い隠そうとしていた。閉じるまで、あと一歩。
「そうだ、殺せ……!」私の声は、喉の奥で押し潰された。
巨神の掌の中で、視認できるかどうかの、極小の紫色の火花――微小なアノマリー(異常)が弾けた。
そして。巨神の動きが、完全に停止した。
「巨神が、止まった」
…
嘘だろ……
ここで止まるな……
今じゃない……
あの裏切り者を、終わらせてくれ。
巨神の内部機構から、金属が限界を迎えたような(悶絶するような)軋み音が漏れた。構造的な剛性を失い、自らの重さに耐えかねて崩壊し始める。裏切り者は揚力を失って自由落下していったが、空中で再び氷の少女によって受け止められた。
巨神は都市の上に両膝から崩れ落ち、瓦礫の海を巻き上げる最後の轟音を響かせた。
「……ただ、足が滑っただけだ」窓枠を掴む私の両手が、激しく震えていた。
「私たちの巨神は、すぐに立ち上がる」
…
…
…
「立ち上がれ……」
…
…
…
「裏切り者どもに、勝てるわけが……」
違う。
「こんなの、現実じゃない」
「こんなことが、起きてたまるか」
…
…
…
荒涼とした静寂が、都市全域を支配した。駆動音は消え失せ、悲鳴は止み、燃え盛る炎さえもが凍りついたかのようだった。
ただ、真っ二つに叩き割られたビル群の残骸の間を、虚しく吹き抜ける風の音だけが聞こえていた……。
……
……
……
ただ、風の音だけが。




