第3章:アビス(蜂の巣)を突いた結果!
朝が、来ていた。
雨は、あがっていた。
軍隊はリヴァイアサンの区画を一つずつ制圧し、都市の電気系統を強制的に再起動させていた。死に体だったあの巨大な『生命』が、再び息を吹き返し始める。
高層ビル群を繋ぐ連絡通路を渡っていたその時、私はそれ(・ ・)を目撃した。
遥か彼方にそびえ立つ『ロンポートタワー第1号』。その上層階の窓際に、誰かがいる。
目を凝らすと、そこには金髪――いや、銀色に近い輝きを放つ髪をした少女が立っていた。
その大きな緑色の瞳は、この距離からでもはっきりと視認できた。彼女は、眼下の街路に向かって何かを必死に叫んでいるようだった。
「……何だ、あれは?」
「あの少女は、一体何をしている?」
直後、私の思考は物理的な暴力によって消し飛んだ。
――『雷』が、私のわずか数メートル横を通過したのだ。
猛烈な衝撃波が、私の周囲の大気を狂暴に掻き回す。
チタン製の吊り橋が、悲鳴を上げて大きく傾いた。
いまのは、一体何だったというのか?
言葉を失う私に、次の絶望が襲いかかる。
ブリッジの上に、濃密な「死の気配」が満ちていく。赤色の照準レーザーが、暗い大気の中で幾重にも交錯した。
その無数の光線は、まっすぐに私へと向けられていた。
「嘘だろ……軍隊の仕業か!?」
容赦のない銃撃が私の位置を襲う。弾丸の嵐がブリッジを容赦なく穿ち、強固な構造体をまるで果物の缶詰のようにズタズタに引き裂いていく。続いて、背後のビルに直撃した砲弾が、轟音と共に爆発の炎を噴き上げた。
「……俺は、生きているのか?」
煙の向こう、私は思わずあの緑色の瞳の少女を見上げた。
彼女は両腕を胸の前で交差させ、私に向かって(×)のサインを送っていた。――『今すぐここから逃げろ』と。
しかし、私が踵を返そうとしたその瞬間。
天から神が舞い降りるが如く、
『軍服を纏ったあの男』が、ブリッジの中心へと着地した。
数トンの質量が衝突したかのような凄絶な衝撃。鋼鉄の床が20度近くも陥没し、崩壊の限界へと軋みを上げる。同時に、私の身体は強烈な引力に囚われた。何らかの異質な力が、私の肉体の質量そのものを激しく弄んでいるのだ。
直後、私たちの位置へと殺到した無数の熱線(弾丸)が、その軍服の男が放つ見えない力によって、すべて虚空へと弾き返された。
衝撃の余波で、周囲のビルの外壁がミリ単位で分解され、巨大なコンクリートの塊となって遥か下の暗黒街へと崩落していく。
戦車の砲弾が全方位で炸裂し、ビルの腹を食い破ってその人工的な内臓を露呈させていく。
「……彼が、僕を救ったのか?」
思考の速度を置き去りにして、世界の崩壊が加速する。
遠方で走る強烈な閃光。
弾丸の海、燃え盛る火線が、ジグザグに超高速で疾走する『雷』の軌跡を執拗に追尾していく。
そして――その『雷』が地上へと着地した瞬間。
巨大な戦車が一台、まるで重力を失ったかのように、数百メートル――あるいは数キロメートル上空へと跳ね飛ばされた。
私は信じ難いものを目撃した面持ちで、ただ呆然と宙を舞う鉄の塊を見上げていた。
あの鋼鉄の怪物が、まるで羽毛であるかのように軽々と打ち上げられている。
その光景に呼応するように、脳裏であのバーの旋律が不吉に木霊した。
『
Symptom of a disease,
The system is a glitch!
Synonym of a disease,
Synonym of a glitch!
』
私の両眼は限界まで見開かれていた。この者たちが持つ、あまりにも不条理で、あまりにも圧倒的な神の如き力。
その時、天空を埋め尽くした無数の空中戦闘ユニットが、ブリッジの中央にいる私たちへ向けて一斉に全砲門をロックオンした。
そこで私が目にしたのは、真の「怪物」の覚醒だった。
軍服の男は両腕を解放し、迫り来るヘリの群れに向けて、冷酷に、角度をつけて大きく両手を広げた。
その瞬間、彼の両手首に嵌められた二つの巨大な『腕輪』が、まるで生き物のように激しく、燃え盛る業火の色彩を放って輝き始めた。それは男の手首の背後で、異常な速度で(浮遊)しながら回転している。
軍服の男の身体が、ブリッジの床から数センチメートルほど静かに浮き上がった。
吹き荒れる嵐のノイズの向こう、彼の唇が妖しく歪むのが見えた。
「――無駄だ」
嘲笑を孕んだ、冷徹な一言。
ヘリの群れから放たれたミサイルとガトリングの嵐が、決して止まることのない破壊の奔流となって押し寄せる。
しかし、男の周囲に展開された未知の『障壁』がその総てを無慈悲に弾き返し、弾道を変えられた火線が都市の全方位へと撒き散らされた。
――総てが、穴だらけに変えられていく。
――総てが、その均衡を失っていく。
――衝突の衝撃波が、肺の最奥を直接殴りつけ、呼吸を停止させる。
吹き荒れる劫火。制御を失って激しく揺れるブリッジ。
あらゆる方向から飛来する煙と瓦礫が、視界を最悪の混沌で埋め尽くした。
その濃密な煙の亀裂から、私は男の『瞳』の輝きを捉えた。
それは妖艶な紫色の光彩を放ち、次の瞬間には、暗黒を切り裂くような、最も純粋で、最も冷徹な「青」へと変色した。
男が右手を自身の身体へと引き戻す。
その刹那、周囲を覆っていたすべての煙と瓦礫が一つの空間(点)へと強制的に収縮され、世界の視界が瞬時に回復した。
彼の瞳が、再び紫色から、血のような「赤」へと変る。
その顔には、残酷な満足感に満ちた、禍々しい笑みが刻まれていた。
「――次は、私の番だ」
(予兆)の如き赤き両眸。
彼が左手を前方に突き出した瞬間、天空を飛行していたヘリのローター(回転翼)が、目に見えない力によって一斉にへし折られ、虚空へと墜落していった。
ある機体は空中であり得ない形に圧殺され、またある機体は、ただ内部から派手に爆散していく。
軍服の男が天空を蹂躙し、地上ではあの『雷』が凄絶な攪乱を繰り広げている。
その圧倒的な絶望の光景を見つめていた時、私の脳裏に、ある決定的な記憶がフラッシュバックした。
「……知っている。私は、この光景をすでに知っている」
「あの忌まわしき――『預言者』」
「テロという名の虐殺で、私の父を奪った化け物たちだ」
「覚えている。私には、奴らを阻むための『力』があったはずだ……」
「だが、今の私の両手には、何もない」
「この神々(怪物)を止める術など、本当に存在するのか?」




