第4章 : 12匹の蝉(第2部)
「夢を見ていた。だが、鏡に映った己の姿を見たとき、それが自分ではないことに気づいたのだ」
……
……
……
ヴァリ:元・12匹の蝉のリーダー。
全ては整った……。
「――はい、我が主」
フリッグが短く応じる。
「バルドル、ライフルの状態は?」
「――クリーン、そして準備完了です、我が主」
私は鏡の中の自分を見つめ続けていた。戦火の中で刻まれた傷跡が、この顔を形作っている。手元には、いつでも火を噴く用意ができているライフル。アイデンティティを隠す儀礼服の裏には、この戦いのために用意した何キロもの重火器と防護装備が仕込まれていた。
『過ちという名の、重すぎる決断を背負い続けた、青白く、陰鬱な面』
『全ては整った。もう引き返せない』
『我が民の痛みは、癒されねばならないのだ』
『それが血を流すことを意味するのであれば、喜んで受け入れよう』
「フリッグ……お前を信じている」
「――決して、あなたを失望させはいたしません」
『この作戦は、新兵どもにはあまりにも危険すぎる……。敗北の重圧は、我らだけで背負わねばならない』
『一度でも動きを止めれば、我らの足は一本ずつ切り落とされるだろう』
『まだ幼い末端のメンバーたちが、我らの罪の代償を払う必要はない……。奴らにはまだ、その覚悟ができていないのだから』
「フリッグ……」
……
「――はい、我が主」
『私は再び、鏡へと視線を戻した……』
涙に濡れた自分の顔が見えた。何事もなかったかのように、私はその湿り気を拭い去る。
「大統領警備システムに潜伏させておいた、あのウイルスを実行しろ」
『バルドルが沈痛な面持ちで私を見つめ、強く歯を食いしばった』
『彼もまた、もう後戻りができないことを悟っているのだ』
「――電子セキュリティシステムに対するウイルスのハッキング、成功率98%で実行完了しました」
「――我らの儀礼服に組み込まれた光周波数発信器とシンクロナイザーが、人間の目から我らの姿を消し去ります。光の波が全方向に拡散し、90%の効率で不可視化の領域を形成する」
「――ですが、熱源感知カメラには確実に捉えられるでしょう。儀礼服に刻まれたバーコードにより、ウイルスが作動して単なるノイズや干渉として処理されるよう仕込んでありますが……警備陣の中に紛れている少数のシンセティック(合成人間)どもは、我らを識別してくる可能性があります。奴らのシステムはより複雑です。それでも、我々ならなんとか切り抜けられると信じています」
「フリッグ……テクノインテリジェンスのバックアップとしては、期待以上だ」
『これ以上のものは必要ない』
「――よし、我が主、準備はできています。お命じください」
フリッグが決然と言い放つ。
「――俺も準備はできている、ヴァリ」
バルドルが静かに告げた。
我々は素性を隠すための儀礼用のフードを深く被り、プロトコルの実行を開始した。
衣服が周囲の環境へと溶け込んでいき、わずかに顎や口元だけが宙に浮いているように見える……。まるで、拠り所もなく漂う小さな亡霊か、あるいは光の破片のようだ。
『全てのシステムが完全に同期している』
『手元にある弾丸は62発』
『これほど多くの人間を殺すには、弾数が足りなすぎる……』
「――ヴァリ」
フリッグが私の名を呼んだ。
「行くぞ」
『我々はホテルの屋上へと這い上がった』
『フリッグは特殊な器具でラップトップを胸元に固定している』
『私はライフルを胸に抱き、バルドルは衣服の裏からラペリングロープを手際よく引き出していた。その動作さえも、肉眼ではほとんど不可視化されている』
バルドルは、建設途中にある3本の支柱にロープを素早く固定していく。テンションによって万が一ロープが破断した場合に備え、床面のセカンドセーフティへともつれ込ませる二重のアンカー。もし根元から切れたとしても、構造物の第二のポイントに絡みつく設計だ。
全てが完璧に機能するという保証などどこにもない。だが、この世界では、これほど狂っていなければ目的を成し遂げることなど不可能なのだ。
「――ロープの設置、完了したぞ、ヴァリ」
バルドルが合図を送る。
「バルドル、フリッグ、警備の動きは見えるか?」
「――包囲されています、我が主。一歩でも足を踏み外せば、周囲の建造物や各警戒ポイントに配置されたエージェントたちに、我らの動きを察知されるでしょう。このエリアは完全に敵の警戒網に収まっています」
フリッグが厳しく告げる。
『――すべての脆弱なポイントが、常時監視下にあります』
『光発信器とシンクロした儀礼服による一時的な不可視化をもってしても、我らは容易に露見する標的に過ぎない……。フリッグが数ヶ月にわたり、命懸けで侵入を試み続けたあのウイルスがなければ、この作戦は開始直後に破綻していただろう』
『彼女のおかげで、極めてわずかな可能性が残されている……』
『だが……確かに、そこにあるのだ』
『夜明けが来る』
「――時間だ。太陽がこちらの味方についた。敵の警備陣は我らの存在を捉えていない。絶好のタイミングだ」
バルドルが声を潜めて言った。
それ以上言葉を交わすことなく、我々は沈黙の保護の中に身を委ね、その瞬間が訪れるまでプロトコルを忠実に実行し続けた。
各自がラペリングの装具を調整する。顔面には紙のマスクを装着し、可能な限り素性を覆い隠すことで、光シンクロナイザーの迷彩効果を最大限に引き出す。
『断崖の縁』
『一歩間違えれば、底なしの深淵へと真っ逆さまに落ちていく』
『本当に、全てがここで終わってしまうのだろうか?』
『もし我らが失敗したとき、誰かが救いの手を差し伸べてくれるのか?』
『英雄など存在しない……ならば、我らがあの英雄になれるというのか?』
『そんな存在が、本当に必要なのか?』
『決死の跳躍』
己の持つすべての知識を信じ切ったバルドルが、かろうじて視認できるほどの白い光点となり、微かに首を振った。
『かろうじて見えるだけの、小さな光の点』
『お互いの姿すら、ほとんど視界に捉えられない3人の盲人たち』
『互いを見ることすらままならない』
『だが、己の命を相手の手に委ねるという絶対的な相互信頼だけが、我らを繋ぎ、シンクロさせている』
『たとえ、この両目を完全に閉じていたとしても』
……
……
……
朝の「日常」が始まった街から、微かに漂ってくる炊き出しの匂い。
ビルの隙間に広がる、圧倒的な虚無。
抜けるような青空。
我らの衣服を激しく打ち据える風。
天空が、我らにその覚悟があるのかと問い詰めている。
最初に動いたのは私だった。
自由落下の大気へと、片足を静かに踏み出す。
両目はただ、あの青い空を見つめていた。
我らを包み込む、絶え間なき夜明けの光を。
この、新しき覚悟の誕生を。
『頭を高く掲げたまま、私は静かに目を閉じた。流れた涙は、吹き荒れる風の中へと蒸発していった』
『そして、私の身体は、引き返せない重力へと傾いていく』
加速する強烈なGに耐えかねたロープが、まるで手負いの獣の咆哮のような金属音を響かせるのを感じた。
胸と腰を鋭く締め付ける、凄まじい牽引力。
『衝撃、そして激痛』
『慣性の重みが、容赦なく肉体にのしかかる』
『我らの唐突な侵入に驚いた鳩の群れが、一斉に飛び立っていくのが見えた』
『目を開けた瞬間……それはまるで、一斉に天へと昇ろうとする狂乱の泡の海のようだった』
『自由落下の中で、私はさらに深く、深く沈み込んでいく』
『バルドルとフリッグが、躊躇なく私の運命を追随したその瞬間を、私は確かに感じ取っていた』
『奴らのロープが、私のものと同調して合唱を奏でている』
『誰も、誰がどこにいるのか分かっていない』
『だが、全員が己の成すべきことを完全に理解していた』
『我らの心臓は、ただ一つの完璧な一手のためにシンクロしていたのだ』
『バルドルが仕掛けた、あのロープシステムが作動した』
『遥か上方で、ロープの支柱が次々と破断していく爆音の残響が聞こえる』
『私の身体の方向と角度が、一瞬にして切り替わった』
我々の身体は大きく横へと振られた。それはもはや自由落下ではなく、胸と腰に結ばれた一本の索による「飛翔」だった。
『風が、我らの身体を弄ぶ』
「――すぐ隣に、奴らがいるのを感じる……」
フリッグとバルドルの手が、すぐ側で私を追っているような錯覚すら覚えた。
『奴らの姿は見えない。だが、そこにいてくれることが、私には分かっていた』
最後の牽引が、我らの進路を完全に変えた。
私の足先が、あのホテルの外壁をかすめていく。
速度はひたすら加速し、生じる慣性はすでに限界を超えつつあった。
最終アンカーが、凄まじい音を立てて弾け飛ぶ。
『だが、私の滑車ポイントが負荷に耐えきれず、ロープが完全に断裂した』
冷徹な沈黙が、一瞬にして私を支配する。
仲間たちの気配も、その温もりも、すべてが掻き消えた。
『胃の腑が引き裂かれるような、強烈な浮遊感』
『私はありったけの力で歯を食いしばった』
『目を薄め、顔中の筋肉を限界まで歪ませる』
『次に何が来るのか、分かっていたからだ』
私は、墜ちていく。
ちぎれたワイヤーが次々と、制御を失って滑落していく怪物の悲鳴のような金属音を立てて響き渡った。
「――クソッ……!」
見失った。
私は、終わったのだ……。
……
破断した上部のワイヤーが、緊急用のアニマポイントを中心にして凄まじい勢いで回転を始めていた。狂ったように回転数を上げ、限界に達した瞬間、それはがちりと噛み合ってロックされた。
『私の墜落を……持ちこたえてくれるか!?』
私は信じられない思いで、弾かれたように頭を上げた。
アンカーは一撃で大きく傾いたが……持ちこたえた。
制御を失っていた私の滑落は強引に引き戻され、斜めの軌道を描きながら再び前進を始めた。
『バルドル、お前は本当に……神がかった天才だ』
バルドルとフリッグを支えていたロープが解放され、私の軌道と交差するように迫ってくる。
『奴らは成し遂げた。あとは、私だけだ』
肉体に伝わる完璧な角度、完璧なGを感じ取った瞬間、私は身体を拘束していたアタッチメントをすべて切断した。
……
……
……
私の身体は大気へと投げ出され、街のあらゆる場所から厳重に監視されている、立ち入り禁止の政府系連結ビルの屋上へと、弾丸のように飛び込んでいった。
『自由落下と、計算され尽くした死角への角度……それが、不可能と思われた跳躍を現実のものとしたのだ』
『遥か彼方のビルから、別のビルへの生存跳躍』
『すべては、バルドルのおかげだ』
バルドルとフリッグが激突した衝撃で、屋上のタイルが激しく粉砕され、微細な塵が舞い上がるのが見えた。
そして次の瞬間、私自身の肉体もまた、そこへ猛烈に叩きつけられた。
……
……
……
『内臓をぶちまけそうなほどの、強烈な嘔吐感……』
バルドルとフリッグが、私の身体を無言で引きずっていく。一切の音を立てず、ただ機械的に任務を遂行している。
『薄れゆく意識の底から、暗いトンネルの中で目を開けた。視線の先には、どこまでも広がる青い空』
『雲が、ひどく美しかった』
『私という存在を育ててくれた、あの故郷の山々がそこにあった』
『目眩が徐々に引き、私はなんとか立ち上がることができた』
『胸と頭を鋭く突き刺すような痛みが激しく不快だったが、そんな感傷に浸っている時間など、一秒たりとも残されてはいない』
『自分の手を持ち上げて視線を落とすと、それは血で真っ赤に染まっていた……一瞬、戦慄が走る。私の血痕が、敵に痕跡を露見させる動かぬ証拠になりかねない』
『焦燥が募る……これは、何かが破綻へ向かう第二の兆候だ』
『私は静かに歩みを進めた。仲間たちが両側から私の身体を支え、足を踏み外さぬよう、一歩一歩導いてくれる』
まだ遠いと思っていたが……違った。仲間たちは、この最終狙撃ポジションまで、私の身体を文字通り担ぎ上げてくれたのだ。
『奴らは、他の誰も持ち得ないほどの崇高な勇気を宿している……それだけは間違いのない事実だ』
『バルドルという男は、フリッグという女は、世界に二人と存在しない』
『奴らは、唯一無二だ』
『我らの命を保護する、その絶対的な沈黙の中で』
我々は、ゆったりとした儀礼服の内側で、すべての準備を開始した。
フリッグが床に腰を下ろし、隠された衣の隙間でラップトップのキーボードを静かに叩く。
「――目標まで820メートル。風速は北西へ時速35キロメートル。……これにより、弾道が大きく横へ流されます。目標から約1メートル強の偏差が生じる」
「――この一撃、確実に計算を合わせてください。私はシステムという名の『鍵』を開けました。今度はあなたたちが、その技術で最後の錠前をこじ開ける番です」
政府の紋章が刻まれた旗が、風に煽られて激しくのたうち回っている。中央広場を彩る長い垂れ幕が、不規則にその形を歪め、吹き荒れる風の不気味な風切り音が、我らがすでに悟っていた現実を耳元で囁いていた。
『難易度は、これまでの倍以上に跳ね上がっている』
『乱気流に巻き込まれた書類の破片が、四角い影となって空を不規則に舞っている』
『レヴィアタンの式典が、すでに始まっていた』
『熱を帯びた演説が、歯止めなく民衆へと浴びせられていく』
『我が民を遥か上方から見下ろす、アンキロスの冷酷に強張った顔面』
『あの表彰台の上から、奴の声が響く――』
「――抗議する者どもめ! 奴らは全員、祖国の敵だ! 異を唱える者はすべてテロリストであり、我らの不倶戴天の敵である! 我らと共に歩まぬ者は、すなわち我らに反逆する者だ! お前たちは協力せねばならん……否! 同胞に対して連帯の義務を果たさねばならんのだ! 敵がのさばるのを許してはならない。さもなくば、奴らは必ず我らを牙で引き裂くだろう。このプロセスに、お前たちは跪かねばならない。他に! 選択肢など! 存在しないのだ! そんなものは最初からありはせん! 反乱に加担した街どもは、すでに粛清され、これからも! 罰され続ける! 従順なる羊たちには報賞が与えられよう。水も、光も、そして平和もな。だが、いかなる理由があろうとも、テロリズムの存在だけは断じて容認できん!」
「――平和を構築せねばならん。それこそが、我ら『7人の預言者』が築き上げる平和なのだ!」
『群衆からの歓声……だが、そこに往年の熱狂はない……おそらく、支持ではなく、純粋な恐怖がそうさせているのだ』
『「敵」と見なされ、排除されることへの恐怖がもたらす、偽りの支持』
そんなものは、吐き気がするほど知り尽くしている……。
バルドルがだぼついた儀礼服を翻して床に座り、衣の影でライフルを静かにセットした。そして、私に向かって、かろうじて視認できる程度に小さく顎を引いて合図を送った。私にも、己の成すべきことをやれ、と。
『私もまた、ゆったりとした儀礼服の裾を広げてその隣に腰を下ろし、愛銃を静かに解放した』
『そこにいたのは、土の底から這い出し、泥にまみれながら最後の手向けを探し求めてきた、3匹の蝉だった』
『いまや身を晒し、本来あるべき背景の色へと自らの色彩を同調させていく』
『この理不尽な捕食システムから、我らを守ってくれる唯一の防壁』
『気配を消し去ること』
「――目標まで819.12メートル」バルドルが冷徹に告げた。「風速は北西へ時速33.4キロメートルに変化している。少し時間をくれ、時間内に捉えきれるか……」
「――その条件なら、弾道は右へちょうど1メートル52センチメートル流される。数値にして、正確に6.4MOA……あるいは、右へ1.9ミルラジアンの偏差だ」
「――ヴァリ、即座にライフルを修正しろ」
私はバルドルの計測値を即座に脳内へ取り込み、レティクルのターレットをその数値通りにカチカチと狂いなく修正していった。
「――この風力だ。偏流により弾丸は右へ1メートル52センチメートル引っ張られる。正確に1.9ミルラジアンだ」フリッグが断定する。
「――太陽は完全に我らの背後に位置している。ビルの巨大な影が我らを覆い隠しているわ」フリッグは儀礼服の裏に隠したラップトップから、すべてのデータを注視しながら囁いた。「広場の衛兵どもは完全な逆光に晒されている。銃身は絶対に見えないし、お前たちのタクティカルレンズの反射を捉えることも不可能よ。左へ1.9の補正をかけ、太陽がこれ以上高く昇る前に引き金を引いて」
「――了解。左へ1.9の補正……完了」バルドルが応じる。ターレットの機械的なクリック音が、静まり返った屋上で、確定した死刑宣告の音のように冷たく響いた。「アンキロスの首元を、レティクルの十字の中心に捉えた……」
「――ヴァリ、アンキロスへの照準を固定しろ。状況が変わる前に、今すぐ同時に叩き込むぞ」
私はライフルの銃身を持ち上げ、儀礼服の隙間から、スコープの円内にアンキロスの胸元を冷酷にロックした。
『3匹の蝉、3つの都市、3つの家族』
『我が民たちの犠牲を、絶対に無駄にはさせない』
『我らこそが、奴らのリーダーなのだ……』
『死んでいった者たちの無念は、必ずここで晴らされる』
「――ヴァリ、今だ!」
バルドルがその言葉を完全に紡ぎ終えるよりも早く、私の指はすでに引き金を絞り、弾丸は銃口を飛び出していた。
『私の放った弾丸が、ほんのわずかに先へ到達した。その強烈な着弾の衝撃が、演説中だったアンキロスの体軸を無残にへし折る』
『弾丸はアンキロスの首の横へと容赦なく食い込んだ』
『破裂した配管から噴き出すかのように、奴の首元から鮮血が激しく飛び散る』
『アンキロスは、背後に控えていた政府閣僚や招待客たちのど真ん中へと、仰向けに崩れ落ちた』
『あの冷酷極まりなかったアンキロスの視線は、二度と立ち上がることのない忘却の彼方へと、永遠に消失していくのだ』
『アンキロスはついに、自らが吐き散らしてきた欺瞞の言葉と共に、激しい拒絶の喘ぎ声を漏らしながら、自らの血の海の中で溺れていく』
「――命中」
私の相棒であり、最高の狙撃手であるバルドルが、冷徹にその最後の手応えを告げた。
……
……
……
『中央広場を支配した一瞬の静寂、そして次の瞬間、すべてが地獄のような大混乱へと変貌していく』
「――アンキロスは仕留めた。こうなれば、神が降臨しようとも奴の命を救い出すことなどできん。野郎ども、撤収するぞ」
私がその場を離れようとしたその瞬間、遥か彼方、ビル群の深い闇に沈んだ一室の窓辺に、微かに、だが確実に光る「赤色の双眸」を視界の隅に捉えた。
その輪郭は極めて薄いものであったが、存在感は圧倒的だった。……シンセティック(合成人間)だ。それも、そこいらの量産型モデルではない。
『我々はすでに、奴に識別されていたのか……? だとすれば、なぜ奴は、即座に警報を発して我らを告発しなかった?』
私は足を止め、その闇の中のシルエットをじっと見つめ返していた。
二つの影、二つの不可視の輪郭が、遥かなる距離を隔てて互いを凝視し合っている。それぞれが自らを天空の色彩へと隠蔽し、それぞれが相手の歪な本質を正確に識別していた。その血塗られた生存の性質を、互いに理解し合っているのだ。
『機械と、一匹の蝉』
『影の中に潜む者と、過酷な自然の理の中に潜む者』
フリッグが私の手を強く引き、混乱の闇の中へと、私の足取りを力強く導いていった。
「三つに裂かれた、一つの魂」
言葉はありません。ただ、楽しんでいただければ幸いです。




