62-ジル視点-
「ぐ…っう……!」
「いっ…!…っツヴァイ様、大丈夫ですか!?」
「俺はいい!メリーを…!」
「…どうやら馬を逃されたようですね。…私は先程過ぎた街へ走って助けを求めます。…ツヴァイ様はここで…御者の方を連れて馬車の中へ」
「ああ…」
酷い痛みと頭痛が激しく全身を駆け巡る。だがそれ以上に胸が痛い。目の前で、俺の目の前で!メリー様が攫われた!
抵抗すれば良かった。例え俺が死んでもお二人を助けられれば良かった。護身用のナイフはあったし少しなら時間を稼げたはず。
なのに、どうして俺はあの時メリー様の命令に逆らわなかったんだ!!
「っはあ、はあ!」
足が地面を蹴るごとに激痛が走る。骨が痛い。肋骨だろうか?折れたかな。思い切り蹴られたから折れたのかもしれない。
『絶対に抵抗しないで。これは命令よ』
なぜ彼女は命の危険を感じている最中であんな…冷静な瞳で命令を出せたんだろう。
メリー様の凛とした声が何度も頭を反復する。…逆らえなかった。でも逆らうべきだった!馬鹿か俺は!命を賭してもいいと思っているのに!!
街の灯りが遠い。早く、早くメリー様を誰か助けてくれ!!誰でもいいから!俺は死んだっていいから、だから!!
痛い。自然と胸に手を置いた。だが走る足だけは止めては駄目だ。全力で、走り続けろ。
ようやく街にたどり着いて、一番近くにいた中年の男性の肩を掴んだ。
「お、おいあんた大丈夫か!?」
「はあっ!げほ!騎士団、っはあ!自警団でもいい!!どこだ!?どこにある!?」
「あ…あそこにあるが……、あっあんた!」
汗が目に入って視界が悪い。無遠慮にそれを拭って、騎士団の詰所に駆け込んだ。
「誰か!!助けてくれ!俺はセントポーリア公爵家に仕えるジルトレだ!ユーメリー様が攫われたんだ、誰か!」
外聞も気にせずに大声で懇願した。早く誰か助けに行ってくれ、頼むから。あの方が痛い思いや辛い思いをする前に、誰か!
「その怪我…大丈夫なのか!?手当しながら話を聞く!誰か担架を!」
「頼む…誰か。王都へ向かう道の途中にツヴァイ様もいる。御者もみんな怪我をしている…だから早く…」
「ああ、すぐに向かわせよう。俺の名前はジェラルドだ。ジルトレさん、ユーメリー様は絶対に俺が助けよう」
1人の男が力強くそう言って、床に倒れ込んだ俺の手を力強く握った。
褐色の、俺より遥かに体格の良い青年だった。頼りになりそうな人で少しほっとする。
「…よくこの体で走ってきたな」
「俺は…どうなってもいい。早くメリー様を…う゛っ!」
「大丈夫だ、今はとにかく手当をしよう。王都への道へも騎士を送ってある、時期に他の者たちもここに運ばれてくる。…話を聞かせてくれ」
衛生兵に包帯を巻かれながら、俺はかいつまんで先程あった出来事を話した。
「…そうか。……しかし時間が悪いな、既に日は落ちている。捜索は日が登り次第になるだろう」
「っなんでだよ!!今にもメリー様は殺されるかもしれないんだぞ!?」
ジェラルドの言葉にカッとなって思わず彼の胸ぐらを掴むが、彼は少しも気にしていない様子で。
日が登ったら、だと…?少なく見積もっても7時間後だろう。…その間に取り返しが付かなくなったらどうするんだこいつは!
「落ち着け!!気持ちは分かるが夜は動けない!それは相手にとっても同じだ!逃げたのは林の方向なんだろ?あっちには山がある。あそこら辺は狼が出るから野営しないといけない。それに無闇に追って攫ったやつらの馬の痕跡を消したくないんだ、分かってくれ」
「……本当かよ」
「ああ…嘘は言わない。奴らもきっと野営している頃だろうよ。ユーメリー様は必ず俺が連れ戻す。だから安心して寝ててくれ」
「…早馬を用意してくれ。旦那様へ連絡を…」
「既に連絡して続報を待てと言ってある。ジルトレさん、あんたは何もしなくていいから…」
「……ただぼけっと寝ていられるわけないだろ!!いいから早く俺に紙とペンを寄越せ!」
あるのは圧倒的な焦燥感。何かしていないと足元から自分の存在が崩れ落ちてしまいそうなそれに死んでしまいそうで。
旦那様への謝罪と己の行動の悔いを、ただ紙に殴り書いた。書いて、書いて、紙が途中で破けても構わず書いて。
書き終わった頃にツヴァイ様と御者も運び込まれた。
「ツヴァイ様!っつ…!」
「あんたは動くな!2人とも生きてる!」
「…メリー、メリーを誰か追いかけてくれ。…頼むよ、なあ」
「ああ大丈夫だ!絶対にユーメリー様は助け出す!俺はジェラルド、ツヴァイ様だろう?」
「メリーを…、頼むよ、すぐ行ってくれ…。…メリー…」
ツヴァイ様はか細い声でうわ言のようにメリー様の名前を言っていた。その痛々しい様子に、とても見ていられない。これが俺が行動しなかった結果なのか。
「ジェラルド様、骨折の熱でうなされているようです。解熱剤を打ちます」
「そうしてくれ。こいつからも聞きたい事がある。御者の方はどうだ?」
「無事ですが、頭を打っていたせいか記憶の混濁が…、馬車から落ちる前の出来事はまるで覚えていないと」
「…そうなのか?」
「ええ…馬車から落ちたことは覚えていますが、…その直前の事がどうにも」
「……そうか。休んでくれ」
最初こそツヴァイ様は酷い汗をかいていたが、解熱剤のおかげか顔色が良くなってきて。
30分も経つ頃には意識もしっかりしていた。
「ここ…は。……痛っ」
「ああ、動くな。馬車から運び出させてもらった。俺はジェラルドだ、ツヴァイ様、だよな?」
「ああ。…ジル、無事で良かった」
「…ツヴァイ様も、本当に」
「早速で悪いが話を聞かせてくれ。とはいっても概要はジルトレさんから聞いた。何か気づいた点や疑問、相手の情報がないかを知りたい」
「気づいた点…、とはいってもあっちは仮面を被っていたから顔は見えない。3人組で、1人は190cmほどの大男。残りはジルより少し高いくらい。メリーは大男に掴まれて…、…そういえばなぜか暴れてたな」
「なぜか、とは?普通は暴れるだろ」
「メリーは捕まる前、馬車の中で俺たちに抵抗するなと言った。誰よりも冷静に言っていたんだ、なのに…なぜか暴れながら自分のネックレスを引きちぎってた」
「ネックレス?」
「真珠のやつだ。母さんから貰ったやつ」
「…確かに行動が少し不可解だな。他に気づいたのは?」
「そうだな…、刀の形が変わっていた。ペンはあるか?」
「ああ、書いてみてくれ」
「…なんか、こんな…曲線を描くような剣だった」
「…ファルシオンだな。攻撃力が高く殺傷性が強い。ここら辺じゃ見ない武器だ…隣国との境界線のあたりに居る山賊がよく使う。…ユーメリー様はもしかしたら相手がファルシオンを持っているから抵抗するなと言ったのかもな。殺しになんの抵抗も無い奴が使う武器だ」
「メリー様が…」
どれだけ…聡いお方なのだろう。守るべき存在の方に守られて…俺には一体何が出来る?
「大体の話はわかった。俺はこれから夜明けとともに兵を連れて捜索に出る。あんた方は怪我もしているしある程度治るまではここにいてくれ」
「メリーが、無事に戻ってくるまでここにいる」
「私もです」
「………メリーメリーと随分慕われてんなあ、あの姫さんは。…いいぜ。絶対に俺が連れ戻してやるから待ってろ」
さも面白げにくしゃりと彼は笑う。…もしかして彼もメリー様を知っているのだろうか。
連れ戻すと言った彼の言葉が真っ直ぐに届いてきた。




