43 ツヴァイ・セントポーリアという義弟
ツヴァイの過去編です。
暗い内容なのでご注意。
" もいつかお父さんみたいに人を守れる人になるのよ"
俺の一番古い記憶は、ずっと前に捨てた名で、本当の母親が優しい声で言ったこの言葉だ。
寡黙な父と優しい母親。4歳頃のものなのでかなり朧気ではあるが、とても幸せだった。ずっとこのまま幸せなんだと思った。
父親はあまり家にいなかったけど、外で働いて俺たちを守ってくれているんだとよく聞かされていた。純粋に父親に憧れていた。母親を守っていけるように早くなりたかった。
5歳で幸せな家庭は壊れた。両親は顔を合わせる度、お互いを激しく罵倒するようになった。すぐに手が出るようにもなって、食器が飛び交うのが毎日になった頃に母親は出て行った。
喧嘩の理由は分からない。金切声で母親が叫んで、低い声で脅すように父親が何かしゃべっていたが理解できなかった。
母親が出て行った日は寂しくて1日中泣いていた。ようやく帰ってきた父親に抱き着いたけれど、放り投げられてうるさいとだけ吐き捨てられた。
それからは酒浸りな父親と2人。仕事にもあまり行かなくなって、小銭を拾ってこいと締め出され、金を持って帰ればさっさと酒を買ってこいと言われた。
父親が酒を飲んでいる間だけは家に入れた。でもふとしたことで怒りが沸点まで行って殴られることもあった。
痛くて、寂しくて、ずっと布団に潜っていたけど。次の日、金を集めてこいと締め出された。金を集めないと自分の飯も買えなくなるから、1日中街を歩き回るしか道は無かった。
人とすれ違うたびに、可哀そうに、と言葉を投げかけられた。可哀そうに、ってなんだろう。分からなかった。もう教えてくれる人もいなかったから。
とっても悲しそうな顔でこっちを見るのに、可哀そうにって言葉を言ってくれるのに、誰も助けてはくれなかった。
池の水面に写った自分の顔を見て、あざだらけで変な顔だなと思った。
だからあの可哀そうって言葉はきっと、助けもせずにいい人ぶりたい時に使う言葉なんだと理解した。
色んな人とすれ違い、色んな店に行った。汚いガキが来るなと追い出されるところもあった。でも誰も助けてくれなかった。俺のことも、父親のことも、母親のことも。
何日、そんな生活を続けていただろうか。裏路地のあたりで小銭や残飯を探していた時、後ろからいきなり袋を被せられてどこかに連れていかれた。
暴れてみたけどお腹を殴られていたかったから、大人しくしていた。袋が取れたのは、薄暗い小さな部屋の中だった。足元がぐらぐらと揺れていて、船の上だと知ったのは後になってからだ。
部屋には他にも子供がいた。みんな男の子で、アインス、ドライ、フィーアと呼べと男が言った。俺はツヴァイと呼ばれるらしい。
アインスは一番年上だったけど、いつも青い顔で震えていた。怖い、怖いと縮こまっていた。ドライとフィーアは俺と同じくらいで、寂しい、家に帰りたいと泣いてあやすのが大変だった。泣き止まないときっと殴られてしまうから必死にあやした。
自然と俺が守ってやらなきゃって思った。
今度は父親ではなく色んな男から言われたことをやる毎日だった。大体は船内を掃除したり、釣った魚を調理場に持っていったり、料理を運ぶだけだった。
嵐になると役立たずだから出てくるなと皆で部屋に閉じ込められるから、毎日が嵐だったらいいのにって思っていた。
「ツ…ツヴァイ、この料理、あのテーブルに持っていってくれないかな…」
「なんで?」
「あの人…苦手だから」
いつものように配膳しているとアインスがふとつぶやいた。目線の先を追うと、にやにや面の男が目に入った。無精ひげが生えていて、いやに目がぎらぎらしていた。
「わかった」
アインス達からは嫌な仕事をよく頼まれたし、それを断ることもしなかった。守っているつもりだった。船員からひどい言葉を言われることも、ぶたれることもあったけどそれでいいって思っていた。
痛いのは慣れていたから。
「はい飯」
「あー?なんだ、アインスじゃねえのかよ」
返事もせずにさっさと戻ろうと背を向けて、嫌な感触が尻にあるのに気付いた。
「ハハッちょっと小さすぎるよなあ」
俺の尻を撫でながら、何を言っているのだろう。分からなかったけど嫌だったからとりあえず睨んでおいた。
「おい!商品に手ぇ出すな。船長に殺されっぞ」
「わーかってるよお」
別の船員の言葉で男は手を離した。
なんだか気持ち悪い奴だな、俺もあまり近寄らないでおこう。
「ツヴァイ…ありがと」
「いいよ」
アインスからお礼を言われて、ちょっとだけ誇らしくなった。俺が守らないと。頼られるのは心地いい。
毎日動いて、くたくたになって、飯を食って、小さな部屋でみんなで固まって寝る。俺がいなくなって父親はどう思っているだろう。飯、食えてるんだろうか。
でも今いなくなるわけにはいかない。こいつらを守らなきゃいけないから。昔言った母親の言葉は、俺にとっては唯一救いの言葉だった。辛い環境でも俺が俺で居続けられるただ一つの意思だった。
けれどそんなちっぽけな思いは、もしかしたら俺の独りよがりで。誰にも届いていなかったのかもしれない。
真っ暗な中で寝ていた時、扉の音がした。ここには基本誰も来ないし夜中に手伝いを頼まれるようなこともなかったから、なんだろうと思って眠い目をこすった。
人が入ってきた。用事を言いつけられるのだろうかと、上半身を起こしたら真横に吹っ飛んで、床に打ち付けられた。鋭い痛みで、自分が殴られたんだと自覚する。
「おい、騒ぐなよ。騒いだらあいつのように殴るからな」
声で分かった。あの気持ちの悪い、にやにや面のやつだ。一体何しに来た。起き上がりたいのに、痛くてできない。
怖くて声を抑えて泣いているのはきっとドライとフィーアだ。アインスは多分、いつもみたいに震えて縮こまっているだろう。
「アインス、声出すなよ」
「い…嫌だ」
アインス?アインスがどうしたんだ。何をされてる?アインスは年上だけど臆病なんだ。お願いだからやめてあげて。
「やだ…嫌だ、触らないで…」
「チッ、もういい。叫ぶなよ、叫んだら殴るからな」
ガタガタという物音しか耳に入ってこない。あともうちょっと、もう少しで体が言うことを聞くから。もう少し耐えててくれ。
「嫌だ!あああ嫌だよ、なんで!やるならツヴァイにしてよ!」
殴られたわけじゃなかったのに、その言葉で胸が痛くなった。なんで痛いのかわからなかったけど、なんでそう思ったのかもわからなかったけど、裏切られた。って、そう思った。
「うるせえって言ってん…」
「おーい、どうした?」
「あ!?なんでもねえよ、泣きわめいてうるさかったからよお」
「早く出ろ。夜中に商品部屋に入ったのバレたら殺されるぞ」
「そうだな…そうするよ」
声を聞きつけて、別の船員が部屋を見に来てくれたらしい。そのまま男たちは出て行った。
ようやく体を起こして、寝床に戻る。アインスは変わらず、ぶるぶる震えていた。
なんとなく、またあいつは来るんじゃないかって思った。ああ、守ってやらないと。




