全てが終わって
目覚めた京介は、無機質な白い部屋に寝かされている自分に気が付く。
ぼんやりとした意識。それが徐々に晴れていき自分が生きている実感が広がる。
「ここ、は…」
「ノートン先生の。ウイルスチェーーック!」
「っうわ!!?」
またメガネ男の顔が超至近距離に!!
心配そうに京介の顔を覗き込む変態保険医、ノートン先生がそこにいた。
「はあ…。やはりショックですね」
ノートンは肩を落とした。それから少しして「元気そうでよかった」と京介に笑いかけた。
あの後どうなったか、それを訊ねるため体を起こそうとしたが、全く体に力が入らず叶わない。
「先生、俺、一体どうなったん――」
「全く無茶をして…。あなたがベッドに居ないことに気づき、本当に心配しました」
怒り半分、安堵半分といった複雑な様子で言った。
「あなたは、あれから3日間ずっと眠っていましたから。そうとう脳を酷使したようですね。まだしばらくは体が言うことを聞かないと思いますよ」
「え? あ、あれ?」
京介は腕を上げようと試みるも、ぴくりとも動かない。まるで首から下の感覚がないことに気づく。
「大丈夫ですよ。何日かすれば、機能を取り戻します。それから、今回の事件の顛末についてですが」
静かに言って、それからノートンはベッド脇のサイドボードに置かれていた京介の生徒証を手に取り、端末を操作した。良く見えるように、画面を京介の眼前に投影して
「今は、声も出しずらいでしょうから、視線入力モードにしました。瞬き2回が決定です」
「あ、ありがとうございます」
ノートンに感謝し、京介は事件に関する記事を探すため、ニュースアプリを起動させた。
画面には3日前のニュースが表示されていた。京介は食い入るように画面の端から端へ目を走らせた。
記事の内容は、蒼月市内の大型ショッピングモール『エ・テメン・アン・キ』にて集団昏睡事件が発生し、うち1名、高級ブティック店主の女性が搬送先の病院で死亡した、というものだった。
それは、京介たちがショッピングモールに行った時、クロトに踏み台にされた人たちの事だった。ノートンによると、蒼月市でのニュースはこれだけで、京介達がクロトを撃退したことなどは一切報道されてはいないとのことだ。
別のニュース記事では、ブラックドール事件は、犯人逮捕により警視庁から事件の収束宣言がなされていた。尤も犯人は未成年のため顔、名前は非公開との記載がある。
そして情報処理科の報道部のニュースには銀色の魔弾東方支弾、執行部隊長弓月朔が事件を終結させたと出ていた。
「……先生。あいつ、クロトはどうなったんですか?」
「今回の事件の黒幕、新月のクロトは現在魔弾本部が全力で行方を追っています。あとは彼らに任せて、あなたは遅れた勉強の心配をしてください」
そういって、ノートンは快活に笑った。
「…ああ、本当に事件は終わったんだ」
確かにそれも心配だった。が、京介が本当に聞きたいことは別にあった。 何も無い筈。確かに自分の力は二人を救った。が、最悪の想像がどうしても頭にこびりつき、拭いきれない。
京介は手のひらに汗を滲ませ、恐る恐る口を開いた。
「先生。あとの二人…朔ともう一人、女の子が居たはずです。二人はどうなったんですか?」
一気にそれだけまくし立てた。逸る心が抑えられない。答えを聞きたくない。答えが知りたい。矛盾した二つの思いが同時に存在している。
「まあまあ、そう焦らずに。二人とも無事ですよ」
ノートンは、安心させるように穏やかな笑みを湛えていた。
その言葉を聞き、京介は安堵のため息を漏らした。
つい取り乱してしまった自分に対して、落ち着いた態度のノートンを見ているうちに、自分の事が急に恥ずかしくなってしまい、口ごもってしまう。
点滴の交換を行い何やら京介に繋がれた機械類を一通り確認した後で、ノートンは口を開いた。
「まず、朔君ですが…。彼も相当なダメージを負っていまして、現在も入院中です。今は日常生活へ戻るためリハビリをしているところです。元気なものですよ」
「そうですか! ……良かった」
入院中と聞き少し不安になったが、流石朔だ。
「で、エマは?」
「彼女は――」
そのとき、ドアをノックする音が聞こえ二人はそちらを向いた。
「噂をすれば、というやつですか?」
とノートンは来訪者を確かめにドアへ向かう。
「京介君。カワイイお見舞い客ですよ」
「え――」
その言葉を聞いて、突然慌て始める京介。無事で良かったと安心したのも束の間。まさかこんな場所で、しかも起きあがることもままならない状態で再会するとは思ってなかった。
何を話したら良いのかどんな顔をすれば良いのかうれしいやら残念やら照れくさいやら恥ずかしいやら格好悪いバツが悪いああもう訳が分からない。
と京介がテンパっていると
「冗談はよせ、ノートン。まったく…」
ノートンが横にどき、姿を見せた人物。それは野太い声のオッサン、学院長だ。
「って学院長かい!!」
「ん? 何だ、私では不満か、月見里京介」
「え!? い、いいえ。滅相もゴザイマセン、はいぃ」
学院長はじろりと目を細めて京介を見下ろしている。その威圧感に京介はただただ圧倒された。
「生徒が戦いに巻き込まれたと聞いて、見舞いに来たのだが。思ったよりも元気そうだ。“新月”と一戦したばかりだと言うのにな」
「わ、わざわざありがとうございます」
(近い近い! っつーか何でそんな威圧的?! あんたが居ると余計体調悪くなるっつーの!!)
顔をぐっと近づけ、京介の顔をまじまじと見つめている。京介は顔がひきつるのを感じたが、何とか礼の言葉を発した。
「大したものだ、と言いたいところだが……」
ようやく顔を離し、より真剣な顔で、口調になる。
京介は自らの功績を讃えられることを期待した。しかし、次の言葉は続かない。
「…まあいい。まずは見てもらった方が良いだろう」
「え?」
「いつまでそうしている気だ、入って来るが良い」
学院長はドアに向かって声を掛けた。
「……?」
まだ誰か居るのか、と京介が訝しがっていると
「………」
入ってこない。一体何だというのか。
「さあ、どうぞ」
と言ってノートンがドアの向こうの人物に笑いかける。
恐る恐る顔を覗かせたのは
「――――! エマ!」
「あ、…えっと。その――」
何かをもごもごと口にしながら、エマはおずおずと入って来た。
「「………」」
どうしよう。やはり何て言っていいのか分からない。こんな時に何か格好いい事を言えたら良いのに。が、よく考えるとベッドから起き上がることもできない状態だ。
今は何を言ってもダサいだけだな、と京介は自嘲し
「あ、ははは。感動の再会! 夕日をバックに二人は抱き合ってカメラがパンして完の文字。壮大なエンディング…って映画みたいにはいかないな」
照れ隠しに冗談めかして言ってみたものの、言った後で何言ってんだと激しく後悔したがもう遅い。
また馬鹿にされるかな、と京介は思った。思ったが
「えっと。私、あなたに助けられたんだよね。その…あり、がとう」
「―――?」
「私、エマって言うんだ。初めて名前、呼んでもらった。エヘヘ」
「……え?」
ダークブルーの大きな瞳は透き通るように輝いている。まるで1秒1秒、今この瞬間すべてが水々しく、新鮮な驚きを感じているように。
「名前……。あなたの名前も教えてくれると、その、うれしいな」
「え、何言ってんだ? また俺をからかってるのか? つまんないぞ」
と京介はため息交じりに言うも、エマは京介の言っていることが分からないとばかりに首を傾げる。その仕草は、とても演技をしているようには見えない。
状況が飲み込めず、助けを求めるかのように学院長に視線を向けた。
学院長はただ冷ややかに京介を見ていた。
まるで断罪するかのような眼差しに耐えられず、京介は無理やり視線の交差を断ち切り、ノートンの方を向く。
「どうか彼女に、あなたの名前を教えてあげてください。彼女、とても悲しそうにしています」
と、ノートンは口を出すか迷った後、優しく諭した。
「え……え?」
なおも京介は混乱し、ただ口ごもる。誰に何を言えば良い?
「うっ…。うくっ…う」
エマは泣き出しそうなのを我慢しているように見えた。その様子はまるで行き場を失くした子供のようだ。目の前のエマが昨日までのエマと重ならない。
「これが、お前が力を使って得た結果だ。……何だ、その顔は? お前はこの娘を無事に助けたかったのだろう? 見ろ。お前が望んだとおり、こいつは無事に助かった」
「……お、俺は!」
事情が呑み込めず、訳も分からずにただ叫ぼうとするも
「お前の短絡的な、浅はかな行動がもたらしたのは、一人の人間の人格を、記憶を、全ての否定だ!」
「――――学院長!」
「お前は黙っていろ、ノートン。能力を過信した英雄気取りのガキを軌道修正するのもまた、我々の役目だろう」
「………ッ」
学院長の言葉を否定する言葉が見つからず、ノートンは下唇を噛んで黙る。
「え、記憶を、否定って。……どういう、え?」
「この娘はクロトの√によって操られていた。それをお前が√で無理やり解除した。お前の能力も、詳細までは知らん。が、恐らくお前は娘の意識ごと強制終了したのだろう。操作不能に陥ったコンピュータの電源を無理やり落として再起動、とは随分乱暴じゃないか」
「……俺、そんなつもりじゃ。ただ、俺の力なら、うまくいくって。それに、実際クロトは止められたんだ!」
聞かされた事実を否定するように、京介は声を荒げ反論する。
ノートンは「興奮すると、体に障ります」といって京介の体を押さえ、宥めようとしていた。
そして、それも叶わないと判断し、鎮静剤を注射しようとするも薬液が切れていることに気づき慌てて奥に引っ込んでいった。奥のほうであちこちひっくり返すような音が響くも、二人の耳には入らない。
「ふはははは! 良く知りもしないで、目覚めたばかりの力を乱用するとは。それで何もかもうまく行き、ハッピーエンドを期待か。あきれてもう何も言う気が起こらん!」
そう言って高笑いのまま踵を返し、学院長は振り返ることなく出て行こうとする。
「待――」
このまま学院長が出て行けば、何かが終わってしまう気がして、京介はその背中に声を上げようとした。
学院長はドアに手を掛けたところで、立ち止まり
「退院したら一度我の部屋に来い! お前がその子供じみた振る舞いを抑え、何をしてでも前に進みたいというのなら、話しておくことがある」
それだけ言うと廊下に靴音を響かせ、足早に去って行った。
「く、そ!」
拳を打ちつけたくてたまらない。が、それすらも叶わず、やり場のない思いが京介の体を循環していく。
京介が声を荒げたことで、エマはびくっと体を震わせ、しゃくりあげた。
その姿はとても小さく見えた。
本当に、もう俺の知っているエマじゃないんだ。その事実にようやく、京介の理解が追いつく。
「……ごめん、その、びっくりさせて」
後味の悪さが残り、何とかそれだけ言う。
「―――――」
エマは目を強くこすり、懸命に泣くのを堪えようとしていた。それでも涙は止まらなくて、泣き顔を見られたくなくて、エマもまた背を向けて部屋を出て行こうとする。
「………名前、言ってなかった」
エマの小さな背中に声を掛けた。エマはゆっくりと足を止め、次の言葉を待っていた。
「俺は、京介。月見里京介」
「……やま…し」
エマは振り返り、今聞いた事を懸命に覚えようと何度も何度も噛みしめて、繰り返す。
「京介、で良いよ。俺の事は京介って呼んでくれ」
「……! きょ、すけ。…きょーすけ!」
ぱあ、と顔をかがやかせ、何度も名前を呼んだ。その度に京介は返事をする。
そうして何度目かの同じ遣り取りの後、突然エマは口ごもる。
何か、言いにくそうにモジモジしたと思ったら、ぎゅっと目をつぶってしまった。
「……? どうしたんだ?」
何も答えない。京介もそれきり何も言わず、エマの言葉を待った。
時計の音が響く。その音がいつもより大きく聞こえる気がする。
と、何かを決意したかのように、身じろぎ、俯き気味で口を開いた。
「わ、わたしと――なって、ください」
「―――えっ、今何て?」
あまりに早口で小声だったので、京介は肝心なところを聞き逃した。
エマは泣きそうな顔で、さらに耳まで真っ赤にしながら、ぎゅっと服の裾を掴む。
そしてすぅ~っと深呼吸をして
「きょーすけ、エマと、おともだちになってください!」
と、今度ははっきりと言った。
「―――」
エマの言葉。その意味が浸透するのに少しの時間が必要だった。
「ん、うん。うん…ッ」
エマはすごくすごく不安そうに視線を彷徨わせていたが、京介が頷いたのが分かり、はちきれんばかりの笑顔を見せ、かと思ったらじっと京介の顔を見るや、これ以上赤くならないと思っていた以上に、さらに顔を赤らめた。
「―――――。……!」
声になりそこなった音を漏らし、エマはだだだっと部屋から出て行ってしまう。
「…目が覚めたばかりの彼女は、言葉も忘れ、ただ泣きじゃくる赤ん坊の様でした。私も持てる限りの技術で彼女の記憶の復元を施しました。数年前に確立された新技術を以て、どうにか一般常識を持たせることまでは出来ましたが……そこまででした。彼女の記憶までは」
入れ違いに戻ってきたノートンは、苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「すみません、どうしても私の口から言い出すことができませんでした。私は――」
「……謝らないでください、先生。これは俺のしたことなんです」
感情の抜け落ちた声で京介は答えた。
エマが勢いよく出て行ったせいか、扉が少し開いていた。やがてドアは静かにスライドし、小さく音を立てて完全に閉まった。
外の風が迷い込んだのか、すこし病室の温度が下がった気がした。
体を震わせた京介に気づき、ノートンは何かを口にしようとした。が、言葉が見つからない。
これ以上何か言うと涙が滲んでしまいそうで。京介は会話の終わりを告げるように、ただ一言、努めて機械的に呟く。
「メールチェック」
ノートンは初め、それが自分に向けて発せられた言葉かと思ったが、それが京介の生徒証端末に向けての命令だと少し遅れて気づく。
京介はたまったメールを整理するという作業に逃避することを選んだ。何かをしていないと、自らの感情に押しつぶされそうだった。
メールボックスは、クラスメイトからのもので一杯だった。皆心配してくれていることが文面から伝わる。
心配されるような、そんな資格、自分にはないのに。
不意に頭に浮かんだそんな言葉を考えないようにするため、返信内容を考える。
『俺は大丈夫だった。けど、入院生活は退屈で死にそうで、今は大丈夫じゃない』
それだけ入力しようとして、気づく。
退屈と入力するため、〝た〟の文字を入れたところで、端末の予測変換機能が働いた。
―――助けて
「――――?」
こんな言葉は入力した覚えはない。思わず目を瞬いてしまう。するとそれを決定と端末が誤認して、その単語を選択してしまう。次に端末が示した予測単語は、自分の名前だった。
「…あいつも詰めが甘いな。履歴が残ること、知らなかったんだな」
―――助けて京介
エマが、本当に残したかったメッセージ。
あいつは、自分の事は忘れろと端末に残した。でもその前に、本当は別の言葉を入力していたんだ。自分の本当の気持ちを。それを隠して、全部消去したうえで、嘘の言葉で覆い隠した。
「なんだよ。お前もウソ、下手じゃないか」
ぽつりと呟いたあと、京介は病室の天井を見た。
「………泣いて、いるのですか?」
「―――え?」
京介は、自分が涙を流していることに気が付かなかった。
ノートンはそれきり何も言わず、ただ京介に毛布を掛け直し、病室を後にした。
静かな、自分の匂いのない、部屋。水槽の規則的なモーター音だけが、外界から切り取られたこの病室が閉じられた箱庭に感じられる。
まるで、一人置いてけぼりにされたようで。
空白の時間、京介は自問自答する。無数の後悔が現れては棘のように刺さる。
これが、自分の招いた結果。あのとき、朔の忠告を無視してまで掴み取ったもの。
俺ならやれると思った。心地よい万能感に浸りきって。
果たして俺は、目覚めた能力に、酔っていなかったと言えるだろうか。
本当に俺は、エマのためだけに戦っていたのか。
ただ、能力を使いたかった…?
「― ――――― ――……!」
京介は罅割れた慟哭を上げた。やすり音。
このおとずれは自ら招いた結果。
少年の、その身一つで背負いきれない業。それでも少年は、自身が招いた結果に立ち向かわねばならない。
あの日少年は、少女のすべてを否定したのだから――――




