0と1の世界
時間が一気に収縮し、限りなく緩やかに流れていく。
エマは自らの命がここで終わることを悟っていた。微かに見えた希望の欠片を思うとズキリと胸が痛い。
自分はどうして生まれてきたのかと自問自答することは数え切れない。でも今自分が背にしている京介という奴は、そんな自分のために声を上げてくれた。それが何よりも大切な宝物となった。
だからそんな彼女の顔は涙に濡れていても――
剣達が殺到するその一瞬に、確かに京介はエマの声を聞いた。
――ありがとう、京介――
「やめろおおおァああああ!!!」
守れない、約束、また? 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。守る守る守る守る守る守る守る守る守る守守守守守守守守る!!!!!!
強く想い過ぎたせいで、脳が情報量に耐えきれずおかしくなってしまったのか。
京介は先ほどまでの場所と似て非なる、奇妙な世界を見ていた。
―世界は静止していた。迫る剣達は堅く目を閉じたエマの眼前で、その動きを止めている―
―世界は色を失っていた。目の前に広がるのはただ、白と黒。有か無か―
―世界は意味を失っていた。手に取ったものはただ意味のない記号で構成されている―
―世界はこんなにも簡単にできていた。そこにあるのはただ0と1の数字の羅列―
―世界は一変していた。そこは常識とはあまりにもかけ離れた異邦の庭―
京介にとってここは、世界は、全てデジタルのデータで構成された意味のないものに見える。
だが、不思議と落ち着く場所だ。まるで何度もこの場所を訪れたことがあるように。
だから知っている。俺に出来ること、それは
「ぁああァあああああああああ!!!!」
目の前に迫る夥しい数の剣。空を染める夕日、砂利の感触、クロトの悪意、その意味を殺せ。
ただ周りに在る他のモノと違い、剣だけが、意味不明の記号が混じっている。だがそれは京介にとって関係のない事だ。複雑なことは必要ない。
ただ全てを、0に書き換えればいいだけだ!
京介はそう念じると同時、硝子の割れたような音を立て、全ての剣はエマを刺し貫くその寸前、砕け、空へと還っていった。
「―――京介、それは?!」
「…ハア、ハア」
肩で息をしながら、この状況に、それでも京介は安堵した。エマには傷一つない。
これなら、この能力なら、この場を打開できると確信し始めていた。
「ぐッ! お、前。何をした。この俺に何をした!!」
対してクロトは頭を押さえ、額に大量の汗を浮かべながら、言った。その声には苦痛と焦りがにじみ出ている。
「これが、俺の、√。――ぐっ!?」
京介は、ただ耐えていた。能力を使った代償なのか、体は狂いそうな程の熱を持ちはじめている。それでも…。
腰が抜けたのか、地面に座り込んだエマを庇い前に出る。
「―――!? だめ、京介! これ以上、その力を使わないで!!」
エマが掠れるような声で言ったが、その声は京介には届かない。背を預けている京介には、エマの姿は映らない。
意識が朦朧とするなか、ただ彼女を守れさえすればそれで良い、その思いだけで京介は自身を支えていた。
「やっと分かった、俺の力が何なのか。お前の√は、俺には通じない!」
「何訳の分かんねえ事言ってやがる。今度こそ死ね!」
苦痛を振り払うように声を上げ、クロトが再び剣を指揮した。
が、剣は応えない。
「………?! 何でだ、クソ、どうなってやがる!?」
「お前の、好きには、させ、ない」
朔が小さい、だが強い意志を感じさせる声を上げ、体を起こす。
「お前!? 俺のクラックを断ち切りやがったか」
クロトは心底朔が憎いとでも言うように凄惨な笑みを浮かべて
「健気なもんだ。だがムダなんだよ! それならもう一度ゾンビどもを使ってクラックしてやりゃ良い! DDoS(俺の踏み台となれ)!!」
クロトが叫ぶと同時、風見川一帯の空気が震えた。それはまるで一つの波となって形を成す。毒に犯された群衆は、今や束ねられた意思を、凶気を再び朔に放とうとうねりをあげる。
だが
「お前、言ってたよな。朔の剣を使えているのは、ここにいる人達を操って演算能力を跳ね上げているからだ…って」
京介はもはや確信していた。今や京介には、クロトが人形と呼ぶ者達を構成しているデータすら完全に読み取れる。0と1の数字の中に散見される解読不能の記号。あれこそが、クロトの√、人を縛る毒だ、と。
「俺の√なら、できる! お前の築いた、まがい物の王国を、お前の全てを否定してやる!!」
「……そんな、事。できる、筈がない! やめろおおおおおお!!」
クロトの絶叫を意に介さず、京介はただ実行した。
操られた人々のデータに混じる記号。その全て0に変われと心の中で叫ぶ。
すると人々は糸が切れた人形のように崩れていった。
「―――!! ま、さか、本当に人形どもを全部。……あり得ねえ。こんなこと、あり得ねえ!!」
「終わりだ、クロトおおおおおおおおお!!」
「や、やめろ、来るな。来るなああああ!!」
京介は拳を固く握りしめ、踏み出した。クロトはただ狼狽えてどうすることもできずに
「ごふっ!」
京介の一撃はクロトの顔面を思い切り打ちぬき、クロトの体を吹き飛ばした。




