直刃(すぐは)
―――あの時交わした約束は、最初から叶う筈のないものだったのか?
「……イヤだ。俺は嫌だ」
「は? いま、何と言った?」
エマは振り返り、唖然としている。
「嫌だ。納得できない!」
「何がだ!? 今の話のどこが納得できないと言うのだ!?」
「だって、憎いとか言ってるお前が、どうしてそんな、泣いてるんだよ!」
「…………え?」
目の前で肩を震わす少女は。それは断じて本気で人が憎いという人間の顔には見えなかった。
「自分で分からないのかよ! その表情、お前が言うような、人を憎む奴が浮かべるものじゃない。それに、一緒に遊んだ時、俺、本当に楽しかった。お前も楽しんでくれたと思った! あの時間が嘘だったなんて思いたくない! お前はあの時も、心の中では人が憎かったのか? 俺も憎かったのか?」
「違う!」
エマは強くかぶりを振った。
「あの時……。本当に楽しかった。京介は私に色々な事を教えてくれた。紅茶も飲んだ! お前が憎い訳、ないよ…」
途切れとぎれにエマは言った。その声は震えていて、弱々しい。
「だが、私が人を沢山殺したのは……事実だ。京介、私の手は、どうしようもないほど血に染まっている。私が怖いだろう? だから、お前は帰れ!! これ以上――」
―――それでも。
「ああ、怖いよ。それがどうした! 俺はどうしようもないヘタレだよ! でも、もう関わったんだ。このまま帰って、半端に終わって、このもやもやした気持ちを一生抱えてろなんて、俺は嫌だ!」
声を挙げ、自分の感情を振り払おうとした。コンクリートに反響し、思いのほか響いた。
「……すまない。私は誰かを巻き込みたくはなかった。誰とも関わるつもりはなかった。だが、お前に出会ってしまった。初めて屋上であった時、何故かお前の顔が忘れられなくて、もう一度会いたくて、頭の中がそれだけになってしまった。その間、私は何もかもを忘れていた。憎しみすらも、だ。でもあの日、お前と別れてから、ずっと後悔していた。私に関わらせてしまった。だから、あの日からお前が毎日屋上にいるのを見て、本当はずっと声をかけたかったが、これ以上会うと、お前を不幸にしてしまうと思うと、できなかった……」
震える声でエマは言った。涙を流し、しゃくりあげながら、それでも無理して笑みを作るその表情はあまりにも痛々しくて。
ああ、理解した。先ほどから出所の分からない苛立ちが何で、疑念と恐怖、焦りで占められた、この心に同時に存在するのかを。
この感情は矛盾してはいない。京介はエマに怒っていた。自身の理不尽な運命に対し、諦観とともにあまりにもあっさりと口にし、笑うその姿に。そしてエマにそうさせている何かに。
京介はエマに近づき、おもむろに額にチョップした。
「いたっ。…??」
「バーカ。そういう時は助けてって言えば良かったんだ。俺みたいな最強の
能力者に、な。一人で抱えてると、問題がどんどん大きくなるんだよ」
「……もう遅い! 壁の向こうには銀色の魔弾が居る。銀の弾丸はもう装填されている。これ以上、逃げられないさ」
全てをあきらめたような乾いた笑みをこぼしてエマは言った。
ここで、終わりにはしない。終わらせは、しない。
「いいや、俺、知ってるんだ。ちょっとは勉強したからな。エマの、その憎しみってのは多分、能力の暴走だ。干渉者は自分の能力の強大さに、能力の制御を失うことがあるんだ」
「能力の、暴走?」
エマは涙を拭い、尋ねる。
「そうだ。自分でも止められないってことなら、間違いないと、思う。銀色の魔弾だってそうだと分かれば悪いようにはしないんじゃないか?」
「しかし、彼らは悪性干渉者に、私に対して容赦はしない」
「だから言っただろ。そういう時はさ、誰かに助けを求めるんだ」
「助け…? わ、私、助かる、の?」
「壁の向こうのあいつ。俺の幼馴染で、銀色の魔弾の隊長なんだ。俺、朔に事情を話してみるよ。だから――――」
「誰に話すと?」
朔が、背後に大量の剣を従え、壁を切り裂くようにして姿を現した。その瞬間、炎はまるでガラスのような不快な音を立てて、全体が割れてガラガラと崩れて行った。
そして一切のためらいもなく、まるで弓のように剣をエマに撃ち出した。
「―――!」
エマは炎を発生させ、立て続けに襲い来る剣を何とか防ぐも、剣の勢いは止められず吹き飛ばされる。
「……朔! 待ってくれ話が――」
「話は聞こえていた。そこをどけ。俺は任務を遂行するためにここに居る」
朔は京介が言いたいことを全部分かっていて、なおかつ任務を遂行するプロとしての表情は崩さなかった。その言葉は重く、冷たい。ともすれば膝を折ってしまいそうになる。が
「どかない! 話を聞いてたなら分かるだろ。エマは能力が暴走しただけなんだよ。普通に話せるし、笑う。普通の女の子なんだよ! 言われてたような凶悪な犯人なんかじゃない!」
京介が訴えている最中も、朔は一度も京介を見なかった。京介はぎりっと歯噛みした。
「京介。能力の暴走は、一度起こせばもう本人の意思とは関わりがない。お前は犠牲者を見た筈だ。京介。……お前は俺に、この少女を見逃し、これからも犠牲者を増やすことを許せとでも言うつもりか!?」
声を荒げ、朔は立ちふさがる。
「………」
何も言い返す言葉が見つからず、京介はただ俯くことしか出来ない。能力も使えない自分が一体何を知っているというのか。
でもそれならば、自分は朔を無理やり止めることも、説得することも出来ずに、黙って朔がエマを手にかけるのを呆然と見ているだけしかできないのか…?
「きゃっ!」
その時、短い悲鳴が上がった。
「――?! 朔、何を!」
朔は剣を手にし、エマに切りかかっていた。エマはそれをギリギリでかわしたようだ。エマのコートの端が切れて、弱々しく宙を舞う。
「や、やめろおおおおお!!」
京介は落ちていたテントの骨組みを拾い、無我夢中で後ろから朔に襲いかかった。
しかし朔は視線を向けることさえなくそれを躱し、勢いを殺さずそのまま胴を真っ二つにするかのような鋭い蹴りを放った。
「がっ! ……げほッ」
さっき出尽くしたはずだが、また胃からすっぱいものがこみあげてきた。 しかし、何とかそれを飲み込む。ひどい味だ。
朔はもう一度、静かに「邪魔をするな」と言ったが、それはできない。
京介はかばうように、エマと朔の間に立ち、武器を構えた。
「京介、もうやめろ! もういいんだ。あの死体を見たろう。私は、悪性干渉者なんだぞ!」
エマはそんな京介の肩を揺さぶり、裏返った声で言う。
「うるさい! 俺がお前を守るって決めたんだ。お前の意見なんて知るか!」
「――な!?」
エマを押しのけて前に出る。
「……京介。お前は昔と変わらず、頑固だな。最後には俺がいつも折れていたな。だが、俺がこの服を纏っている時だけは、例えお前にでも折れてやるわけにはいかない。もう諦めろ」
「諦めろって、朔……?」
「……錬鉄」
問答の終わりを告げる無機質な声。朔がその一節を口にした途端、空気が震えた。
それだけじゃない。世界が変わった。いつの間にか朔の傍らには二本の剣が浮かんでいた。その剣先は京介の方を向いている。
それが、文字通り最後の警告に見えた。




