答えることはできない
ここはどこだろうか。京介はどこかへ向かって走っていた。
辺りは妙に粘度の高い空気に満たされていて、視界はグニャりと歪んでいく。ひどく不快だった。このまま進んでいて良いのか?
そう思ったが、それでも立ち止まることは許されない。京介の体は、京介の意思に反して、走ることを止めてはくれないのだから。
「―――ッは! …はぁ、はぁ。夢、か」
意識を取り戻すと、京介は自分が座っていることに気付いた。座って何をしていたのか思い出せない。
頭の中にハチミツを流し込まれ、ぐちゃぐちゃにかき混ぜたみたいに、妙に甘ったるくてぼんやりとする。おまけに少し頭痛を覚える。それを押し殺し、現在の自分の置かれた状況を確認しようと、立ち上がろうとしたところで、異変に気付いた。縛られている訳でもないのに、まるで神経が全て断ち切られたように、首から下が全く動かない。あまりの事態にパニックに陥るが、それでも体は動かない。
これ以上いくとは気が狂ってしまう。無意識の防衛本能からか、一層激しくなった頭痛が、オーバーヒート寸前の思考活動を強制終了させる。
おかげで一旦冷静になることが出来た。
どうやら何とか首から上は動くらしい。とりあえず状況を把握しようと、京介は周りを見回した。
周りは無機質な白。会議室然とした長いテーブルが部屋の中央に鎮座し、椅子が並べられている。そして部屋の中のものは、壁から椅子、天井まで全て白に統一されている。窓は一つも存在せず、まるで想像上の死後の世界のような印象を入室者に与える。暴力的な白のせいで目が痛くなる。
窓が無いせいか、とても息苦しい。また、この部屋には時計もなさそうだ。
自分は一体どうなったのか? 京介は分からない。今は何日の何時だ? 分からない。部屋の無機質さが、ますます不安を掻きたてる。
またパニックが足元から這い上がり、全身を満たそうとしたところで
「混乱しているのかいィ? 君は事件の容疑者だからね。多少乱暴な手で連行させてもらったんだ。ここがどこか分かるかい?」
唐突に声がしたかと思うと、いつの間にか、白の世界の一角が切り取られて、眼鏡を掛けた長身の男が立っていた。どうやらそこが入口のようだ。
「あ、あんたさっきの…。一体誰なんですか」
柔和に微笑むその男はしかし、整い過ぎた顔立ちのためか、京介を一層不安にさせた。
「僕を知らない? いやだなァ。僕だって学院の一員なのに。入学式で見てたでしょォ?」
そういって銀色のコートをはためかせ、京介の対面に腰を下ろした。
--同じ学院? 学院にこんな人、いただろうか?
「先生、ですか? すみません。学院が広すぎてまだ先生の顔も覚え切れてなくて…」
「いやいや、違うよォ! 確かによく言われるけども! 僕は蒼月館学院の2年生! 統括生徒会長だよ」
「えッ!? そんな、まさか」
入学式の時、朔と模擬戦をやった? 確かに顔は良く見えなかったが。
でも目の前の人物はどう見ても同じ高校生には思えない。バーとかに居そうだ。
「ああ、君は突然拘束されて混乱してるんだそうだうんそうに違いない」
統括生徒会長と名乗った男はメガネを人差し指でクイックイッと何度も持ち上げつつ、無理やり自分を納得させているようだ。
「――――では、改めて。僕は蒼月要。今は銀色の魔弾の隊長として動いている。本日蒼月館学院エリア5、第1号館1階渡り廊下にて、16時23分√の発現を確認。突然発生した黒い焔に包まれ、その場に居た男子生徒1名が犠牲になった。複数の目撃者によると、君。月見里京介は焔が上がる直前、右手をその犠牲者に向けていたとか。これについて間違いないか」
「……確かにそれは間違いない、です。でも」
「さらにその後、君はその場から逃げるように離脱した。これも間違いないか」
「はい。でも――」
「ここまでを勘案すると、君が√を用いて生徒を焼き殺した、と誰もが推論を立てるだろう。しかし、ここで一つ問題となるのは、君が如何なる性質の√によって人間を一瞬で、まるで人形のようにあそこまで圧縮したか、だ」
眼光とは裏腹に蒼月要はあくまで冷静に、しかし俺の反論を許さずに畳み掛けてくる。
そして、蒼月は一枚の紙を机の上に出し、京介の目の前に滑らせた。
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七星 京介。名字なし(ノーバディ)。
塔暦216年3月、蒼月館学院高等部・情報処理学科入学試験……合格。
命名……月見里。至根鍵……不明
√発現……不明 性質……不明
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資料には京介の顔写真とともに、履歴が書いてあり、卒業した小・中学校、健康状態などの個人情報の記載がある。一見普通の履歴書のようだが、隣のページには意味不明の用語がずらずらと並んでおり、そのことごとくに不明の2文字が添えられている。
「これは我々魔弾の権限で学院のデータベースに照会を掛けた生徒個人情報だ。通常ならこれを見れば生徒一人一人のスリーサイズからルート・キー、√を習得済みかどうかやその性質まで把握できるのだが」
そういって蒼月はデータを指さして
「ここには君の個人情報はことごとく不明とされている。理事会に問い合わせても、あそこは相変わらず沈黙を保ったままだ」
石頭共め…と最後に加えて、そのまま京介へ向き直った。
あまりのプレッシャーに京介は逃げ出したい思いで一杯だったが、やはり体は動かない。蒼月がぶつけてくる圧力を余すことなく全身で受けるハメになる。
「これでは直接君に尋ねるほかないんだよ。実のところ、僕はまだ君を犯人とは断定していない。もし、君が犯人でないのなら、身の潔白を証明するために、君のルート・キーと√の詳細を教えて欲しい」
あくまで、視線を外さず油断なく俺を見たままそう問いかける。
「すみません。俺には蒼月……先輩? が何を言っているか分かりません。ルート・キーって何の事ですか? 俺はハッキングだってできないんです。本当です!」
――もしここで俺が犯人じゃないとわかってもらえるのなら、ルート・キーでもなんでも答えるし、能力だって教えたい。でも俺は能力者ですらないんだ! それを証明しろと言われても方法が思い浮かばない。くやしいけど、そう言うしかないじゃないか!――
京介の頭はどうやって目の前の男を納得させるかでぐちゃぐちゃだった。しかし、いくら考えても妙案は浮かばず、ただ蒼月の言葉を待つことしかできない。
「あっはっはっは、面白い冗談だ。『先輩』が疑問形だったところは少し引っかかるけど、それはさておき、君がハッキングもできないだって? 僕が文字を正しく読めるのなら、君は情報処理学部所属だ、とここに書いてあるけれども……」
言葉とは裏腹にさしておもしろくもなさそうな表情で、蒼月は京介の資料を指で叩く。京介が反論しようと口を開きかけると
「彼の言葉は本当です、蒼月隊長。彼は√どころか、ハッキングの基本すら満足に使えない、と担任及び実技指導教官の証言も得ています」
そう言ってまたドアが開いて、新たに銀の外套男が現れた。その顔は京介も良く知る人物。
「カスミ、彼の麻痺を解除してくれ」
朔が傍らにいる黒服の部下らしき者にそう告げると、その人物は慌てたそぶりをみせ、わたわたとした動作で指をパチンと鳴らした。
「京介、もう動けるはずだ」
朔と傍らにもう一人、麻月と呼ばれた人物が入室してくる。
そういえば頭のモヤモヤがなくなり、意識がクリアになった気がする。そう思って恐る恐る指先を動かしてみると、果たして京介の意図は正しく脳から伝達され、指先に届いたようで、ちゃんと動いた。
どうやら戒めは解かれたようだが…。蒼月と朔の2人の間に緊迫した空気が漂っている。しばらくこのまま座っていた方が良いのだろうか。京介は所在無げに二人を交互に見る。
「…どういうつもりかな、弓月隊長? 執行部のあなたがなぜここに? これは越権行為では? 僕はちゃんと規定に従い、正規の手続きを踏んで捜査をしていたはずだけど」
「申し訳ありません、蒼月隊長。ですが、どうしてもお伝えしたほうが宜しいかと思いまして。データにもあるように、彼は昨年まで星の学校に在籍していたんです。今世間を騒がせているような、強力な√を行使し得るとは考えられない。それと、こちらをご覧ください」
そう言って朔は懐から、生徒証に似た黒い端末を取りだし、蒼月に差し出した。端末から何かの見取り図のようなものが空中に映し出される。
「これは、エリア5の俯瞰図、かな?」
「そうです。事件が起きた1号館のうち、きょ…月見里京介と被害者がいたポイントはここです。目撃者によると月見里京介は被害者から黒焔が上がった際、被害者に右手を向けていた、とのことですが…」
そういって朔は端末を操作し、事件時の、及び事件が起こった廊下の周辺の映像を再生した。
「……なるほど、確かにこの記録によると京介君の周囲にはノイズが走った形跡はないね。あれほどの能力だ。何らかの環境異常が発生しないとは考えられないね。でも、それを言うのなら、京介君の能力はこの映像にすら何らかの干渉が可能である、とも言えるよね」
「と、言いますと?」
「所詮これは、機械による電磁的記録に過ぎない。√どころか、ハッキングですら十分に干渉可能では? それに教師2名の証言も当てにはならないよ。何せ、バンクによると彼の能力は全くもって不明なんだ。彼が記録に細工し、さらには教師の方々すら欺いたかもしれない」
そう言って蒼月は京介に視線を遣る。そのメガネの下の視線は京介の中から真実を抉りだそうとするような、鋭く、冷たい刃物のようだ。
「確かに、私も月見里京介の個人データが何故不明とされているのかは分かりません。ですが、彼の能力が銀弾の監視をすら欺くことができる能力を秘めている可能性を疑うならば、犯人は彼ではなく、真犯人が時限式、もしくは条件式の術式を被害者に仕掛けていた可能性もまた、疑えるのではないですか?」
朔もまた、蒼月に負けないくらいの鋭さを以て、蒼月と視線を交錯させていた。
こんな目をした朔を京介は見たことがなかった。いつもの、厳しいがちょっと天然が入った幼馴染と、今、目の前で蒼月と議論を交わしている男が重ならない。
「……だが、月見里京介は事件現場で何らかの力を行使している。その点は間違いがないよ。彼が力を行使するそぶりを見せた瞬間、目の前の生徒が燃え上がって―――」
「あれは違う! 俺、授業で一人だけ全くハッキング出来ないから、出来たらいいなって思って何となく腕を伸ばしてただけ……」
京介はたまらず二人に割って入った。京介に続いて、朔もその言葉を補強する。
「蒼月隊長も、本当は分かっているのではないですか? もし彼が犯人ならば、白昼堂々と衆人環視の中√を披露したことが、これまでの犯人の行動理念と矛盾します」
「……確かにそうかもね、弓月隊長。ただ、これは分かって欲しい。僕は彼が犯人だと断定して連行した訳じゃない。あくまでも重要参考人として同行を願っただけだよ」
朔の眼光を涼やかに受け流しつつ、蒼月は言葉を重ねる。
「そうですか。……同行を願うだけならば隊長権限を使ってまで、私の部下を伴う必要はなかったのでは? 見たところ月見里京介は彼女の√を受けて、意識を遮断されていたようですが」
朔がそう答えると朔の隣に控える人物がビクッと肩を震わせたように見えた。意識を遮断、とはどういうことだろうか。
「それは仕方がないよ。君は犠牲者の亡骸を見たかい? あれはかなり強力な√を受けたとみて間違いない。なにせ、人があそこまで小さく圧縮されていたんだ。犯人は魔術師級だと予想された。彼が犯人だった場合、あそこで戦闘になるとまずいからね。参考人といえど全力で拘束させてもらった、という訳だよ」
「……分かりました。言いたいことはまだありますが、止めておきます。しかし、今の段階で月見里京介をこれ以上拘束しておく必要はない筈です」
朔の目は、一歩も譲らないとばかりに、力強く曇りない。
「……あ、あの」
話がこう着したところで、京介は一つ、どうしても気になっていることを言おうと口を開きかけた。が、先ほどの攻撃の影響か、吐き気がこみ上げて、その声はうまく音にならず、二人には届かなかった。
「………良いだろう。でもね、まだ彼の疑いが晴れた訳じゃない。この場は解放するけど、僕の部下を監視に当たらせるよ。―――って、そんな顔をしないで欲しいな、弓月隊長。あくまでも遠くから見張らせるだけだよ」
そう言って蒼月は端末を取りだし、何か操作をした。どうやら、電話を掛けているようだ。
ようやく解放される。そう無理やり自分に言い聞かせても、京介は全く安心できず、不安が募る一方だった。




