私の名はエマだ!
「なんだよ、これ!」
あまりの展開の理不尽さに京介は頭が真っ白になった。
そうして長い、長い廊下を行先も分からずに、ただ走り続けた。
それはいつか見た夢のような。ぐにゃぐにゃと歪んだ、先の見えない道をただ進んでいくしかなかった。
京介は気が付くと屋上にいた。今頃階下では騒ぎになっているだろうか。
「はあ…はあ…ッ」
こうして騒ぎの渦中から離れてなお、あのとき起こったことが理解しきれない。現実感が伴わない。体が熱いのは、全力で走ったというだけの理由では、きっとないだろう。
突然誰かが叫びだしたと思ったら、人が燃えて崩れたなんて。
燃えた生徒は死んだのだろうか。し、シ…死?
平和過ぎてともすれば退屈な学院生活において人の死なんてモノはまさにコインの裏側。
―分からない。あれは俺が*した? そんな訳はない。だってあれは##だった。おれは……干渉者じゃない。俺が右手を突きだしたからって人が燃えたりするわけがない!―
ノイズ交じりで、うまく思考がまとまらない。
ブラックドール事件の捜査に“銀色の魔弾”が動いている。だとすれば朔に捕まって取り調べをされるのだろうか。それとも……。
「おっ、はっけ~~~~ん!!」
不意に屋上のフェンスの上から声がした。
女の子の声だった。
声の主はフェンスから飛び降りて綺麗に着地した。衝撃で花壇の花びらが舞いあがる。
「え?」
幻想的とさえいえるその光景に、京介は時間を忘れた。
体の動かし方を忘れてしまったように、指一本動かせない。
舞い散る花びら達は誘われるようにして、京介の口に次々と吸いこまれて
「……え??」
色とりどりの花びらがポポポポーンッ!と一直線に京介の口目がけて突っ込んできた。
「ゲホッゲホッ………何だ? 何だコレ??……ウエッ。ちょっと飲んじゃった…」
「ハッハっハっハ、ご~る、ご~~~~~る!!」
突然現れた少女は京介を指さして思いっきり笑っていた。
「え、何、コレお前がやったの? 何てことすんだよ!?」
「―――――――?」
かなりの不快感を伴った花の食感に対し京介は謎の少女を糾弾するも、本人はクエスチョンマークをいくつも浮かべて首を傾げている。
「……あッ! 君、あの時の」
「おお、覚えていてくれたか」
忘れようもない。流れるようなロングのプラチナブロンドの髪。まっすぐにこちらを見つめるダークブルーの瞳。神秘的な雰囲気。黒いボロボロのコート。人形のように整ったその容姿は、ある種非現実的で。
突然の闖入者は、いつぞや屋上で朔と待ち合わせをした時屋上に居た、そして幻のように消えた女の子だった。
その時、京介の脳内に浮かんだある光景。それはあの日の同じ場所。
目の前の少女の眼前で突如上がった火柱は、寒気がするほどに黒く重い色だった。それに、焔が消えて現れた黒い塊。たった今廊下で見たモノとそっくりで――
「うっ」
体の中をかき混ぜたような強烈な吐き気がこみ上げたが、悟られないように懸命にそれを止めた。飲み下したすっぱい液体で咽かえる。
「―――? どうした」
そんなわけはない。目の前のこいつがそうだったとして、こんなに呑気でいられる訳がない。
京介は抱いた疑念を悟られないように、必死で平静を装った。
「そう凝視されると、その……。落ち着かんな」
そう言ってミセス不審者はモジモジとしていた。とりあえずあまり刺激しないよう、無難な事を言って隙を見て逃げる算段を立てる。
「え、えっと、俺、1年xクラスの月見里京介って言うんだけど。君は?」
「え……あの、えっとだな。その…わ、わた、私は、名前。私の名前は……。えっと…………」
「―――――?」
そんなにおかしなことを言っただろうか。女の子はビックリするくらいにうろたえていた。京介が失言をどう挽回したらいいのか必死に考えていると
「―――e、エ、マ。そう、エマだ」
とたどたどしく答えた。
「―――? そう。で、そのエマさんはここで何をやってるんですか? 下からジャンプした、とか。君も…えっと、干渉者なの?」
「ん。そうだ、私は“すごいはっかー”だ。今度この学校に転校することになったので、下見をしている最中だ。私を招くにふさわしい学び舎かどうか見てやろう、というわけだ」
発言までの間に妙に間を取るヤツだった。それに無闇に偉そうな口調だ。
「転校……。それじゃああの時も下見に?」
「あの時……?」
そう言ってエマは心底不思議そうに首を傾げた。
しまった、と京介は思った。あの時は、朔が屋上に来たことでうやむやになったが、京介はエマが黒い焔で“何か”を燃やしていたことを目撃してしまっている。蒸し返してはいけなかったんだ。
「い、いや何でもないよ、です! うん」
「何でもないことは無いだろう。何をそんなに焦っている?」
訝しげな目でじっと京介を見るエマ。その視線に、沈黙に耐え切れず、京介は苦し紛れに口を開く。
「そ、それにしても転校ってことは、キミ、今は別の学校に通ってるの?」
その問いにエマは答える事なく、何か考えを巡らせるように遠くを見つめている。
言葉を選び間違えたか、と京介が焦り始めたところ、エマはぷっと吹き出して
「まったく……京介とやら。お前は詮索好きな奴だな。いくら私が可愛いからと言って、無用な詮索は自身を殺すことになるぞ。答えなら、私が可愛いというだけで十分だろう」
そういってエマはどうだ! と言わんばかりに、無い胸を張った。
「今、2回も可愛いって言った!? それに殺すって……」
京介の瞳に恐怖の色が浮かんだのをエマは見て取った。
「ああ。私はお前を探していたのだ。お前を、殺すためにな!」
そう言って、邪悪に笑いながらエマは右手を京介の胸の前に突き出した。
「あ……」
恐怖のあまり、京介の目に涙がにじんだ。まさか人生がこんなところで終わるなんて。生まれた意味、やりたかったこと、巡り廻る。
「こらこら。さっきから、お前は私を本気で怖がっているな。……失礼な」
そう言ってエマは京介の頭をチョップした。
「……へ?」
「京介、初対面の相手にそんな〝殺さないで〟と顔に浮かべて怯えられるとは。私は“しょっく”を受けたぞ」
とエマは少し悲しそうな顔で笑い、言う。
「え……? あ、その、ごめんなさい」
「いいや、許さん。罰として、私にこの街を案内しろ。私はこの街に来て日が浅い。あまり勝手が分からないんだ」
「え?」
唐突なエマの言葉に京介は面食らう。
と、エマは京介の左手を掴み、不敵に笑った。その小悪魔的笑顔にうっかり見とれかけた。同時にものすごい力で引っ張られ、京介は空を翔んだ。
「じゃあ行くぞ、京介!」
「え?…って、うわあああああああ唖亜啞!いきなり飛び降りるなあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――」
月見里京介、屋上から飛び降りる。
それは今までの人生で最初の、そして最後の貴重な体験。いつかこれも素敵な青春の思い出だったと笑いながら語れる日は来るのだろうか。と1秒が何時間にも感じられるような不思議な落下時間の中、恐怖が7周半して悟りの境地にまで達した京介は思った。




