この学院は、悩む暇をくれません。
どうして朔は何も言ってくれなかったのだろうか。この短時間に得た情報量の多さに京介が混乱していた、そんなとき
「おい、ゴミ共。3秒以内に席に着け!」
突然の怒声と共に、教室に法月先生とは別の教師らしい男が入って来た。
開口一番、京介たちを最低の呼称で呼びつけた男は、これまた御多分に漏れず渋声だ。それに見た目20代半ばくらいだろうか。体も鍛えられており、しなやかな上半身には無駄な肉はまったくない。顔は戦闘上等丸出しの鋭い眼が特徴的で、皺ひとつないダークスーツが怖いほど良く似合っている。
先ほどまでの喧騒は一瞬にして消え、今や判決開始前の法廷ような、張りつめた静けさが教室を支配していた。
「実技指導の九条だ。私のことは九条教官と呼べ。授業の前に、まずは貴様らに支給されている生徒証について説明をする。さっさと端末を出せ」
本能が警告している。この男に逆らってはいけない、と。皆一様に慌てて生徒証を机に出した。
「貴様らゴミ共のためにあえて説明してやる。よく聞け」
ヒドイ前置きをして、九条は滔々と説明を始めた。
生徒に支給される生徒証は携帯情報端末となっている。名前、学籍番号のみならず、様々な情報やアプリケーションが内臓され、教科書などの必要なものも、順次配信される。
また、fp(フラグポイント)の獲得数もこの端末で参照できるようだ。
fpとは学院内で運用されている電子マネーで、学院内では現金は一切使用できず、全てコレでやり取りを行うことになっている。何か功績をあげたり、試験での獲得点数に応じて配分される、褒賞のようなものでもある。
「以上が生徒証の概要だ。ふん、勘違いをするなよ。別段貴様らゴミ共のために説明したわけではない。質問をされるのが煩わしいからだ」
「まさかのツンデレ!?」
「そこの。何か言ったか?」
「え!? い、いいえ。何も言ってませんです、ハイ!」
(やばい、思わずツッコんでしまった)
というか何でそんなに不機嫌なのだろうか。無駄に威圧感を振りまくのはご遠慮ねがいたい、と京介は思った。
質問禁止のお触れのため、生徒は皆一様に端末と格闘して、必死に覚えようとしている。
京介も一通り触って確認してみたが、そこで気づいたことが一つある。この生徒証、おもしろい!
自分に関する情報だけでなく、校則や各委員会の説明、学食のメニューや校内の各店舗情報が掲載されたガイドブックがアプリとして登録されていた。ちなみにこのアプリは選択すると、画面から空中に立体映像が展開され、実際にページをめくることが出来るようだ。
「貴様ら、無様にはしゃぐな! 今からテキストと時間割を配信してやるから、さっさとメニュー画面の下から2番目、待機モードを選択しろ!」
九条の荒い声とはチグハグなやたら丁寧な言葉を受けて、慌てて待機モードに入ると、途端に「シャリン♪」という音がしてデータが転送されてきた。
どうやら無事に時間割を入手できたようだ。
「……ってはい!?」
立体映像で展開された時間割は、中学までのそれとは全く異なる、想像の斜め80度くらい上のものだった。まず旧時代言語学やら現代文、現代社会や歴史といった一般科目が一切ない。
月から金までのほとんどを情報処理演習や体育の文字が占めており、普通の科目といえば数学がお情けで水曜日に1コマ入っているだけだった。
なんだこれ、演習ばっかりじゃないか。
そう思っているのはどうやら京介だけのようで、別段クラス内に動揺が走った様子はない。
「当然承知しているだろうが、この学校では貴様らに一般科目を教える時間はほぼない。そんなものは独学で十分だ。わざわざ蒼月館に来るからには、ここでしか得られぬことを学べ」
京介の心の疑問に応えるように、全国の高校を完全否定するようなことを九条は言った。
「一般科目は学期末の試験でのみ成績を評価する。何か分からぬところは、学習相談室に居らっしゃるグーグル先生に聞けば良い。場所はここと同じ1階の北端だ。2度は言わんぞ。端末に地図アプリも入っているからな」
なるほど、生徒証を見れば学校生活には困らないという訳だ。
時間割を改めて見てみると、今日の授業は早速情報処理演習のようだ。
「では今日は、ちょっとした演習を行う。とは言っても貴様らxクラスは無自覚者やハッキングを満足にできない半端者で構成されている。そのため今日の演習はまず能力とはどういうものか、概要から説明してやる」
えらい言われようだった。
が、京介はハッキングについて、何も知らない。イキナリ演習開始と言われていたらついていけなかっただろう。その点においては、感謝していた。
「………説明するのが面倒だ。おい、そこの赤い髪のバカ面。お前、紀年法が変更された時代から現在に至るあらましを、知っている限り言ってみろ」
九条が生徒を指名した。説明してくれるんじゃないのかよ。ってバカ面はひどくないか? この教師、生徒の名前を憶える気無いな…。そう思って京介は指名された不幸な生徒に目をやる。
そいつは京介も知っているバカ面、もとい錆月ワイスだった…。
「バカ面…まあイイっスけど。ええと」
微妙に納得いっていない様子でワイスは答え始めた。
「今が塔暦216年だから…215年前か? それまで世界では確か西暦とかいう紀年法を使っていたんでしたっけ。そんで、西暦1914年に突然、現在のルージア中央部に空にまで届く巨大な光の柱が発生。同時期、それまで各国で異なる言語を用いていたのが、いつの間にか他国民同士の言葉が分かるようになっていた、と。この一連の出来事はバベルの塔の伝説になぞらえて“バベルの極光”と呼ばれるようになりました」
信じられないことだが、昔は外国語というものがあり、それぞれの国で別の言葉が使われていたらしい。何で同じ人間なのに別の言葉を使うのか、そのあたりが京介には良く分からなかった。嘘くさい話だが、旧時代の書物―旧字文書と呼ばれる―などには訳の分からない文字で書かれていたりするので、どうやら本当の話らしい。解読学者(デコーダー)でもない限り、そのあたりの話はあまり関係ないが…。
「ふん、そうだな。当時の人間はこの出来事を途方もない奇跡と考えた。続けろ! 赤髪」
「…はいはい。えっと、その奇跡を記念して、その年から新たに塔暦1年と定められた、と。しかしこの巨大な光が出現して以降、不可思議な事が出来る人間が現れ始めた。今でいう干渉者ッスね。手を触れずに物を動かす、手を触れた物の色を変える、とかが有名どころッスかね」
「バカ面と思ったが勉強はしているようだな。マヌケ面、お前に80fpをくれてやろう」
そういって九条は端末をワイスに向けた。
バカ面からマヌケ面に昇格したワイスは、未だ名前を呼ばれないことにムカつくべきなのか、それともfpを獲得したことに喜んでいいのかどっちなんだ!? という複雑な顔をしていた。
「そうだ。干渉者の存在が確認されたのはバベルの極光以降だ。従ってこの時突如出現した巨大な光の柱が、人間に何らかの影響を及ぼした、と考えられている」
九条はワイスの説明を引き取って話し始めた。
「この学院の母体であるフラグメント社は干渉者について研究を進めて発展を遂げていった企業だが、研究成果としていくつかのことが判明している。干渉者の覚醒条件や能力の運用方法、またハッキングを突き詰めた、固有能力たる√に至るための条件をな」
自分もその覚醒条件とやらを満たしているのだろうか。疑問に思いながらも、九条の次の言葉を待った。
「……結論から言うと、干渉者の覚醒条件は強い想いだ。特定の物や事象、現象に対して抱く強烈な憧れ、深い絶望、トラウマ。そんなあまりにも強すぎる想いが、この世界の特定物に向けられることで、人は時に対象を突き詰めすぎ、対象を突き抜けて世界の“始まり”に至る。そこに至った人間は、この世界の異端者となり、根源とも言うべきその場所を通して、世界に存在するあらゆる物質に不正に干渉することができる訳だ」
九条の説明は続いた。―――曰く根源とは全ての始まり、この世界を形作る情報がすべて集約されたサーバーのようなもの。一般的にはØと書いて『トーラ』と呼ぶらしい。そしてØに対して不正に接触を行い、この世に存在する物質に干渉することを物質干渉と呼ぶそうだ。
重力を無視して物体を浮かせたり、物体に係るエネルギーをゼロにしたりといった、一見魔法や超能力に見えるそれは、干渉者がØを通して物質を完全に掌握し、世界の制御下から乗っ取って、己の意識下に置いている状態。いわば対象物を世界というプログラムの制御下から解放し、己の意思のもとに物理現象や法則から逸脱させている状態に持って行くこと、だそうだ。
「………ありがとう、ワイス。お前がさっきハッキングを見せてくれたことを深く感謝するよ。あの時ワイスが俺のカバンを浮かせるのを見てなければ俺はヤバかった」
イカツイ顔の九条先生が真剣な顔で妄想電波を垂れ流しまくっている。ハッキングが本当にあると知らなければ、今頃我慢できずに吹き出しているところだったろう。
「……世界を形作るØに不正に接続し、物質を世界の支配から解放し、完全に掌握してしまうという一連の行為が、コンピュータにおけるハッキングに類似することからそう名付けられた。そしてこの能力を使う人間のことを便宜上、干渉者と呼ぶようになった。ここまではいいな?」
クラス全員頷いた。九条はそれを確認して再開した。
「先ほども述べたが、干渉者にはもう一つ、上位の能力がある。『ルート・キー』、つまりは覚醒の触媒、きっかけとなった物質、事柄に対しての強すぎる想いを具現化し、理すら捻じ曲げてしまう者が現れた。その能力こそが√だ。この学年で言うなら弓月朔が使い手として最も有名だろう」
九条の話によると、朔は『剣』を触媒(『ルート・キー』というらしい)としてハッキングを行い、『剣』という概念が当てはまるモノに対して固有能力を発揮するのだそうだ。その性質はデータの分割。
朔が扱う剣は、物質の構成データを分割する、いわば“この世のどんな物をも切り裂く剣”となる。そんな剣はこの世に存在するはずがない。が、そのありえないことを起こすことが√、だそうだ。
「先生。やはり弓月君のクラスの生徒は皆√が使えるんですか?」
ここで勇気ある生徒が質問をした。この空気でよく口を挟めるなぁ、と京介は尊敬した。
「私のことは教官と呼べ! …ふん、まあ質問に答えてやろう。私が担任でもあるaクラスの者は、確かに優秀だがな。√というものは、至る者はそう多くはない。だが、aクラスは皆その可能性を秘めていると言えるだろう。それに、潜在能力も高い」
クラス中がざわついた。√を使えるというのはどうやらすごい事らしい。教官の言葉は続く。
「それに比べ貴様らxクラスのゴミ共は満足に能力を行使できないと聞いている。また、みたところ貴様らはクロック数2.0GZs(ギガゼノス)にも満たない者が大多数のようだ。これは笑えるほどの低スペックだ。
……が、悲観はするな。xとは未知、可能性という意味がある。何かの間違いでaクラスの連中をも凌ぐ者が生まれないとも限らないということだ。まあ可能性とは言っても、それは広大な砂漠の中、砂粒ひとかけら程度のものだろうが……」
そういって教官は教室中をぐるっと見渡して、バカにしたかのように口を歪めた。
というか、教官は皆を励ましているのか、それとも見下してるのか、良く分からない。
とにかくこのクラスは、全員がちゃんとハッキングが出来るわけじゃないらしい。それを聞いて京介は少し安心した。
「ハッキングについて説明をしたところで、今日の演習はハッキングの基礎を行う。貴様ら、それぞれ何か物を机の上に置け。そしてそれを浮かせて見せろ。それが今日の演習だ。貴様ら一人一人の今の実力を見てやる」
ついにこの時が来てしまった。結局さっきの説明でも、どうすればハッキング何てことが出来るのかはサッパリ分からなかった。
何をすればいいのかよく分からない京介は、さっきワイスがカバンを浮かせていたのを思い出し、とりあえずカバンを机の上に置いてみた。
「ぬぬぬぬぬぬnununununu……」
とりあえず気合を入れてカバンをガン見してみる。しかし、当然カバンはピクリともしな当たり前だ…。そういえばぬぬぬぬってローマ字にしたら、180度回転してもnunununuだな…。
そんなどうでもいいことを考えながら、京介は隣の女子をチラ見した
「゜Д゜)」
先ほど闇夜の詩篇だなんだと、痛いことを言っていたヤツが、普通にノートを机から30センチくらい浮かせていた。慌ててクラスの様子を確認するとほとんどの生徒は余裕だ、という顔でそれぞれの物を浮かせている。もちろんワイスもできていた。
「おい。貴様は何をやっている?」
「うわっ!」
いきなり声を掛けられて慌てて正面に向き直ると先生、いや教官が立っていた。
「……全く動かすこともできんとは。稀に見るゴミだな。低能力者以下ではないか」
九条は京介が感じていた疑問を、わざわざ口に出してぶつけてきた。
「……すみません教官。なにかコツとかはない、でしょうか」
「ふん。ハッキングにコツも何もない。一度Øに繋がった人間なら、その程度の質量の物。呼吸をするように当たり前に動かせるものだが…。だがまあいい、教えてやる」
いちいちイラッとする物言いだが、京介は自分がハッキングをまったくできないのも事実なので何も言い返せずにいた。
「まずはØへの接続だ。お前が初めて接続した時のきっかけとなった物を思い浮かべ、強く念じろ。そしてその状態で対象の質感や構造、色や意味などを凌駕し、対象データを完全に把握。それが自らの体の延長であると感じるところまで突き詰めろ。そうすればその物の構成データが見える筈だ。そこで意識をさらに集中し、支配権限を書き換えるところまで行ってみろ」
「きっかけ、書き換え??」
一気に説明をされるも、京介は何をどうしたら良いのかまるで分からず、曖昧な返事しかできなかった。
「………貴様はいつØに至った? きっかけは何だ?」
「とーらに至る、きっかけですか? ……すみません。全然分かりません。そもそもとーらって何なんですか?」
あまりにぶっちゃけた質問は、流石に九条も予想してなかったのか、呆気にとられた顔をしている。
おとずれた沈黙に気まずくなり、京介は思わず「ジョークです!」と言いそうになったが
「Øは個々人によってその姿を変える。その性質故口では説明できないんだがな…」
呆れながらも、辛抱強く京介の疑問に答える九条だった。
「過去に事件や事故に巻き込まれた時の強い恐怖、トラウマや何かに病的なまでに固執していたり、憧れがあったり、そう言った強い思いを抱いた時にお前の目の前に、どこか非現実的な、奇妙な風景が広がったはずだ。お前はオタク面だから、何か偏執的に固執しているものがあるだろう?」
……そう言われても京介は、何か事件に巻き込まれたり、何かを目指していたり、そういった主人公属性的なものは何一つなかった。
「というか、何気に失礼過ぎるだろ!」
京介は九条にツッコみを入れた。その勇気に教室内がどっと歓声に包まれた。
――などと、そんな勇気は京介にはなかった。いや、それは蛮勇というものだろう。
(蛮勇…。蛮…? ……ああ、もうどうでも良い。チキン南蛮食いてぇ)
「どうした、何を呆けている?」
結局京介は、おとなしく答える他なかった。
「教官。やはり俺には思い当たる物がありません」
「何、だと? ……貴様、入学試験の際、面接官に何か言われたか?」
「……いえ、特に何も」
そう答える他ない京介に対し、九条は形容しがたい複雑な表情を浮かべ
「……一度、理事会に確認してみる必要があるな」
何やらそんなことを呟いた。
「まあいい。貴様はどうやら自発的に接続することができんらしい。…やむを得ん。貴様は授業には参加できんだろうが、授業内容は覚えておけ。それと、空いている時間はすべて思索に当てろ。何か自身が強い想いを抱いている物が無いか、よく考えておけ」
そういって教官は教壇に戻ってしまった。気が付くと教室は何ともいえない空気になっていた。クラスメイトは全員京介を見ていたが、皆が皆期待外れだなという顔をしていた。
京介が視線に気づき、周りを見渡すと、皆そそくさと自分の机に向きなおるのだった。
「俺、何か悪い事したか? 確かに俺は頭は良い方じゃないけど、ちゃんと勉強してこの蒼月館学院の情報処理学科に合格したはずだ。なのに、どうして俺だけ落ちこぼれみたいな感じになってんだよ!?」
京介は心の中で叫んだ。不意に涙が出そうになったが、何とかそれも我慢した。そんな場面は誰にも見られたくはなかったから。
飲み込んだ悔しさの味は、とても苦かった。




