英雄が怪物に転じる時
更新が遅れて本当に申し訳ありません。一ヶ月以上開いてしまうとは。
「殺してください」
彼女は最初、そう言っていた。
「……後悔するよ」
あの時はその言葉を肯定していた。
「アンタはバカだ」
反論の余地がなかったから、笑って誤魔化した。
「アンタのこと、好きになったかも」
表情にこそ出さなかったが、堪らないほど嬉しかった。
「うっせえ! 別にキュンとしたから照れ隠しに殴った訳じゃないからな!」
分かり易い嘘しか言えない彼女が大好きだった。
「アンタはあたしの、ヒーローなんだから」
その一言に救われた。
「私が言いたいのはさ、アンタは自分が生きる意味についてどう考えているかってことさ」
それを聞いて、『普通の幸せ』という選択も考えてしまった。
「ごめんね」
それが彼女の最期の言葉だった。
だから。
■
連邦とは一つの国ではない。何十という中小国家が同盟の元に一つとなっているのだ。元々は『連邦』という一つの国家があったが、他の大国――帝国や王国、共和国――に遅れを取っていたため、周囲の中小国家を吸収する形で国力を上げたのだ。
その連邦に属する国の一つ、竜人の国『エリア』。
その地に全速力で向かう『何か』があった。周囲の景色を破壊しながら、生物とは思えない爆走をしている。余波だけでどれだけの命が削られただろうか。
それは漆黒。それは巨大。それは甲冑。それは恐怖。それは英雄だった誰か。
人が今日の今日まで、『白騎士』と呼んでいた彼だった。
「あア、アぁああアあああ、アアああアあああああぁあア、アあああ、ああああああぁアアアぁぁあ、あアアアああああああ、あああああああああああぁあああぁあぁああああああ、ああアアぁアああああアああアアあぁあああああ、ああああぁああああああアぁあアああああああアああああアぁアアあああああああああぁああああああ!」
獣のような雄叫び。否、最早その奇声を何と表現すべきなのかは分からない。絶叫なのかもしれない。怒号なのかもしれない。哄笑かのかもしれない。
あるいは、悲鳴なのもしれない。
「ああああ、あああああああああああぁあああぁあぁああああああ、ああアアぁアああああアああアアあぁああ!」
そして、そこから始まったのは一方的な虐殺。英雄がこれまでずっと『悪』に対して行ってきた断罪……ではなく、大義も正義も善意もない『報復』だ。
そして、到着する。エリアの首都にある、その王宮に。無論、首都の町並みは彼の爆走の余波に巻き込まれて、無残に破壊されていた。
「な、何が起きて……」
「え……?」
突如として眼前に現れた漆黒の鎧に呆然とする門番達。つい数秒前まで健在だったはずの町が、瞬きの間に破壊されていた。
彼らの理性が現状を理解する隙もなく、漆黒の鎧は次の手に移った。
「《天元解体拳》!」
地面に打つ出された拳。通常、地面を殴っても手を傷めるだけである。だが、この男が放ったそれが常識で測れる一撃であるはずがない。
「う、うわあああああああああああああああ!」
悲鳴を上げる門番。門番だけではない。城の中にいる人間も、破壊された町にいた生き残りも全員が状況を理解できずに、恐怖した。当然だ。突如として、地面が揺れ出したのだから。
地震。
最も根本的な災害の一つである。これが人力で、人為的で、しかもたった一人の人間のパンチ一発で発生したというのだから笑えない。もっとも、それを知る人間など誰もいない。
強大な揺れで大きく振動するエリア城。意外と持ち応える巨大な建築物を前に、黒騎士は次の一手のために動く。
「《サーチ》」
それは探索の魔法。初手中の初手。人探し、それも過去に出逢ったことのある人間だけを探すことが出来る魔法だ。
だが、今回はこれでいい。
「見つけた」
そう呟くと同時に、黒い鎧は城のある一角に向けて、跳んだ。その巨体からは想像も出来ないような俊敏なジャンプ。
黒い鎧は城壁を破壊して、その部屋へと実に豪快に侵入した。
「げほ、げぼ、一体なんですの!」
壁が破壊された際に起きた粉塵で、部屋の主であろう少女が誰に対してという訳ではないが、不満の声を上げる。地面が揺れたと思ったら、今度は粉塵だ。彼女でなくとも混乱して、文句も言いたくなるだろう。
だが、次の瞬間にはそんなものは吹き飛んだ。粉塵が晴れて、そこに堂々と君臨する漆黒の鎧騎士を見た途端、少女の呼吸が止まった。
ただし、それは恐怖ではない。むしろ喜びだ。
「白騎士様……?」
鎧は黒かったが、彼女には一瞬で理解できた。目の前に現れたのが誰なのか。見間違えるはずがない。何度も、何度も、記憶の中で咀嚼したのだから。
あれほど想い焦がれた英雄と再会できた。溢れんばかりの喜びで、少女の顔は純情可憐な笑顔に彩られる。
「白騎士様……がっ!」
満面の笑みで近付いてきた少女の胸倉を掴み、持ち上げた。甲冑で見えないが、その表情は一切の無表情だった。
「な、何を……」
「お前だな……。お前が、タマモを殺したんだな?」
アイリス・エリア。竜人の国『エリア』の姫。
彼女こそ、タマモを殺した張本人だ。無論、姫君である彼女が城の外に出て、タマモを殺すことは不可能だ。だが、魔法を――『呪い』を使えば話は別だ。アイリスは城から一歩も出ることなく、どころか自室に篭ったまま、ただ念じるだけでタマモを殺害したのだ。それなりの対価は払うことになったが。
虎鉄がタマモの殺害方法を、そして犯人を見つけるのに、虎鉄は労力を有さなかった。というより、勝手に教えられたのだ。
前門虎鉄を『戦力』として欲した、帝国の人間に。
『かつてお前が助けた女が、お前が愛した女を呪い殺したのだ』と。真偽のほどは手持ちの嘘発見器のような道具を使って確かめた。間違いなく、真実だった。
恩を売ることで虎鉄を自軍に引き入れようとしたのだろう。成る程、その手段は有効であっただろう。彼は仁義に厚く、正義を抱いている。ただ、虎鉄に理性なんてご大層なものが残っていればの話だ。
虎鉄はアイリスの胸倉を掴んで、彼女に問う。
「何でだ……何で、タマモを殺したんだああ!」
それは英雄の英雄らしくない顔。みっともなく涙を流しながら、顔面を歪めて、歯を食いしばって、『凡人』らしく泣いていた。
やはり、その顔は誰にも見えない。本人にも見えない。神にさえも見えはしない。
「わ、私は……!」
その悲しみに対して、姫君はその美貌を歪めて弁解をする。弁解? そんな上等なものでない。少なくとも、眼前の少年にとっては弁解どころか言い訳でもない。
「わ、私は、貴方のために……!」
悪女に利用されていると思ったから。妖狐に騙されていると聞いたから。貴方が、私以外の誰かを愛していると知ったから……!
だが、彼女にとっての英雄は非情だった。
「こんなこと、一体いつ、誰が望んだんだ!」
悲哀に満ちた怒号を上げた後、虎鉄の顔から再び感情が消える。
「――死ね」
グチャ!
何の躊躇もない一撃で、麗しき姫君は絶命した。英雄に恋焦がれた少女は、自分を救ってくれた英雄の手によって殺された。
「……はあ……」
このような惨状に見舞われた以上、『エリア』には国家としての機能など残っていない。現在の世界状況では、他国に政権を奪われるのも時間がかかるだろう。
それはつまり、誰も国民を守ってくれないということだ。
少し前の虎鉄なら、道化を気取っていながら思慮深かった英雄ならば、その辺りのことも考えていただろう。
だが、今の彼にそんな余裕はなかった。そして、そんなことを気遣う必要も皆無だ。
「虚しいもんだ……」
客観的に見て、現在の前門虎鉄は非常に狂っている。
英雄と呼ぶには、一人の少女に依存し過ぎていたのだろう。あるいは、英雄だからこそ固執してしまうのかもしれない。
戦乙女と恋に落ちたジークフリード然り、姫を助けるために龍と戦ったゲオルギウス然り、同じく姫を救うために神罰の龍に歯向かったペルセウス然り。
英雄と女性とは斬っても斬れぬ縁がある。だからこそ、この英雄は狂ってしまったのだろう。人間としてはとっくの昔に壊れていたのからこそ、英雄としては真っ当だったというのに!
「これから、どうしよっか……」
悩むべきではない。これまでと同じように、怪物を屠り、人間を救い、英雄を騙っていれば良いだけの話だ。
「それにしかないか……」
そう呟いた瞬間に、虎鉄は何かを踏みつけた。それは、たった今殺したばかりの姫君の頭蓋だった。
「……あ」
この世界に来た瞬間、盗賊に襲われそうになっていた彼女を見て、自分は何を思った? あの始まりを、運命だと、幸運だと思ったはずではなかったのか? これでヒーローになれると直感したはずだった。彼女を救って優越感と達成感を覚えたはずだ。なのに、彼女は死んだ。
こうして、自分が殺した。
「う、あああ。あ?」
かつて救った姫君を自らの手で殺めてしまった英雄。それが自分であると認識した虎鉄は、愕然とした。
「あ、ああ、うあああ……」
英雄は人間よりも強い。だが、英雄は決して人間には勝てない。何故なら、人間を殺してしまった時点で、それは英雄ではなく『怪物』だからだ。
英雄は弱きを挫いてはならない。そんなものは、英雄ではない。
「うあ、うああああああああああああああああああああああああああああ!」
剣聖が魔王に堕ちたように、魔女が人間に変わったように、最古の龍神が新種の魔に負けたように。
英雄は『怪物』に転じた。
■
「許してくれ、飛鳥よ」
嫌です、御祖父さん。
「お前には才能がない」
分かっています。
「我が一族は、誰も彼もが才能に満ちていた。なのに、お前だけが才能に恵まれなかった。一族の歴史では、おそらく初めてだろう」
ええ、恥ずべきことです。だから無才は努力で補いたいのです。
「だが、儂はお前が羨ましい」
何故、泣いているのですか、御祖父さん。
「我が一族は才能があるが故に、『戦い』から逃れることが出来なかった。文芸の道に進もうとも、身体が独りでに強くなる。不要な強者は排除される。だからこそ、俺達は孤独だった」
何が言いたいんですか、お父さん。
「貴方を生んだ時、私は貴方もお父さんのように苦しい人生を送るんだと思っていた。だけど、それが杞憂かもしれないとさえ思うわ」
何でそんなことを言うんですか、お母さん。
「才能? 僕達のこれは『呪い』じゃないか」
「ああ、人殺ししか出来ない呪いだ」
「だけど、飛鳥」
「お前は俺達とは違う」
「お前は私達とは違う道を歩けるんだ」
「お前は、『こっち』に足を入れないで済むんだ」
「普通でいられるんだ」
「本当、妬ましいよ」
それ以上言わないでくれ、皆。
「お前は技を覚える必要がない。いや、そもそも技を覚えることさえ出来ない」
無理でも覚えます。だから教えてください。
「お前には、才能がない」
はい。だからこそ、努力で強くなるつもりです。
「だからこそ、お前には幸せになる権利があるのだ。我が一族で唯一な」
無能な人間に権利はあっても、価値などないはずです。
「戦いというのは、決して楽しいものではない。武人には本来、幸福などないのだ。やっていることは所詮、ただの暴力だ。平和な時代には、害悪でしかない」
そんなことはありません。強いとは、とても素晴らしいことなのです。
「だが、お前は弱い」
そんな、僕は強くなりたいんです。強くありたいんです。努力したいんです。本気です。それなのに、今の弱さに妥協しろと言うんですか?
「どうか、我が一族を戦いから解放しておくれ」
嫌です。嫌です。嫌です。嫌です。嫌です。嫌です。嫌です。
「そのような顔をしてくれるな……いや、このようなことをお前のような未来ある子供に託すというのは、酷と言うものか」
それは違います。願いを託してくれるのは嬉しいのです。でも、託す願いが俺の望むものとは大きく違うのです。
「お前は、幸せになるべきだ」
嫌です、御祖父さん。
「飛鳥よ、我が愛する孫よ。このまま弱くなれ――最弱であれ」
僕は、誰よりも強くなりたいのです。不幸でもいいから。
幸福なんて、いらねえんだよ。




