第3話:母と彼女と、鉄板餃子
ご覧いただきありがとうございます。
今回のお話は、「彼女が彼氏の実家と仲良くなりすぎたらどうなるのか」をテーマにした一本です。
気づけば本人だけが何も知らず、母親も父親も彼女も、どんどん話を進めてしまう──そんな蓮の受難(?)を楽しんでいただければ嬉しいです。
肩の力を抜いて、読んでいただけたら幸いです
母親というのは、いつも最悪のタイミングに現れる
七月最初の火曜日だった。
梅雨はまだ明けていないのに、朝の空気だけが夏みたいに蒸していた。
俺——神崎蓮——は自分のスマホを見て、三秒ほど思考が止まった
LINEの通知が二件
一件は武から
「今日の一限、出るの?」
もう一件は、母から
「姫子ちゃんと仲良くなったよ☆」
「……☆?」
俺は布団の中で上体を起こして、もう一度読んだ
「姫子ちゃんと仲良くなったよ☆」
変わらなかった
母が☆をつけていた。還暦を過ぎた母が、LINEに☆をつけていた
それよりも
姫子ちゃん、と書いてあった
いつから母と姫子はちゃん付けで呼ぶような関係になったのか
俺は枕に顔を埋めた
シーツが昨日よりも湿っている気がした
梅雨のせいか、冷や汗のせいか、判断がつかなかった
窓の外、曇天の下で雀が一羽、電線の上でしきりに頭を振っていた
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「どういうことだ」
昼の食堂、俺は焼き魚定食のトレーを持ったまま武の前に立った
武は唐揚げ定食を半分食べ終えた状態で、俺の顔を見てから窓の外を見た
「嫌な予感がする」
「正しい」俺はトレーを置いて座った
「お前に話さないといけないことがある」
「俺は関係ない」
「関係あるかどうかはわからない」
「俺は関係ない」
「いいから聞け」
武は諦めたように唐揚げを一口かじった
俺はスマホを開いて、母のLINEを見せた
武の咀嚼が止まった
「……☆」
「☆だ」
「お母さん、いくつだっけ」
「六十二だ」
「還暦過ぎた人が☆をつけてる」
「そうだ」
「元気だね」
「そういう話じゃない!」
俺は声を落としながら、続けた
「うちの母親と姫子が、何らかの形でコンタクトを取り合っていたということだ」
武は少し考えた。
「いつから?」
「知らん。だから怖い」
「聞けばいいじゃん」
「誰に」
「お母さんか、白雪さんか」
「どっちも怖い」
武はため息をついた
「怖い怖い言うだけで何もしないのが蓮の悪い癖だ」
「お前が位置情報を偽装したせいでこうなってる気がする」
「関係ない」
「関係ある」
「……ちょっとだけある」
武は唐揚げをもう一口食べた
「で、姫子さんは今日は?」
「今日は午後から来ると言っていた」
「その前に話しておけ。先手必勝だ」
「先手を打てるほど、俺に情報がない」
「じゃあ情報を集めろ」
「どこから」
「お前のお母さん」
俺は返信を打とうとして、止まった。
母への返信を打つのは恐ろしいことではない
しかし、どう打っていいかわからなかった
「姫子とどこで知り合ったの?」と聞けば、自然な流れで「会いに行ったよ」と返ってくるかもしれない
母は行動力がある。昔から、父が止める間もなく動く人だった。
「——蓮くん」
入り口から声がした
俺と武は同時に振り返った
姫子が立っていた
今日は薄い水色のシャツに白いパンツ、黒い髪を一つに束ねている。その右手には、保冷バッグ
「今日は冷やしトマトを持ってきたよ。蓮くんの分と武くんの分」
武が即座に「ありがとうございます」と言った。条件反射だった
姫子は俺の隣に座って、保冷バッグを開けた
冷気とともにトマトの青い匂いがした
夏の匂い、というよりは、まだ梅雨の残った青っぽい匂いだった
「姫子」
「なあに」
「うちの母親から連絡来た?」
姫子の手が、一瞬だけ止まった
コンマ一秒ほどの、止まり方だった
「……来たよ」
「いつから」
「三週間くらい前から」
「三週間!?」
武は何も言わず、トマトを受け取った
「なんで三週間も黙ってたんだ」
「黙ってたわけじゃないよ。聞かれなかったから」
「聞く前に言えることがあるだろう!!」
「蓮くんのお母さんがね」姫子はさらりと言った
「蓮くんの様子を知りたいって。一人暮らし始めてから、あんまり連絡してこないって」
俺は少し黙った
「……それは、まあ」
「そうでしょ。だから私が近況を話してたの」
「俺の近況を、俺抜きで!!」
「蓮くんのことを一番知ってるのは私だから」
「その自信はどこから来るんだ!!」
「位置情報と行動記録と毎日の弁当から」
「管理されてる!! 俺、管理されてる!!」
武がトマトを一口食べながら「おいしい」と言った
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その日の夜、俺は意を決して母に電話をかけた
コール三回で出た
「あら蓮、どうしたの珍しい」
母の声はいつも通りだった
落ち込んでいるところを、俺はほとんど見たことがない
父は昔、「天然の鎧だな」と笑っていた
「姫子と連絡取ってたのか」
「取ってたよ。いい子ね、姫子ちゃん」
「なんで連絡先知ってるんだ」
「去年のお正月に蓮が実家に帰ってきたとき、こっそり交換したの」
「こっそり!?」
「初詣でばったり会った時に」
去年の初詣
あの日は人混みではぐれたりして、しばらく一緒に初詣していた姫子たちと別行動になっていた
あの時間か
あの数分で交換したのか
その七分の間に、母と姫子は連絡先を交換していた
「なんのために!」
「かわいい子だから仲良くしたくて」
「それだけか!?」
「あと、蓮のことを教えてもらいたくて」
「俺のことは俺から聞け!!」
「蓮は聞いても答えないじゃない。大学どう?って聞いても普通、って言うし」
「普通だから普通って言った!!」
「姫子ちゃんは詳しく教えてくれるのよ。先週どこで何を食べたか、最近何の本を読んでるか、ちゃんと野菜食べてるかどうか」
「監視報告を、母親にまで!!」
「ありがたいじゃない。お母さん、安心してるよ」
「俺が安心できてない!!」
電話の向こうで母が笑った。
「蓮、姫子ちゃんのこと、ちゃんと大事にしてあげなさい」
「大事にしてる」
「してる? ちゃんと?」
「してる」
「姫子ちゃん、ね」
母の声が少し落ち着いた
「あの子、蓮のことが本当に心配なんだよ。普通の心配じゃないくらい、心配してる」
「……知ってる」
「知ってて、ちゃんと向き合ってる?」
言葉が詰まった
「……向き合おうとしてる」
「そう」
「来月、こっちに帰っておいで。姫子ちゃんも連れて」
「急だな」
「お父さんが会いたいって」
「なんで」
「息子の彼女に会いたいって普通でしょ。餃子作って待ってるって言ってた」
「父親が張り切ってる!!」
「じゃあ来月ね。日程は姫子ちゃんに連絡しとくから」
「俺を飛ばすな!!」
「じゃあね」
一方的に電話が切れた
スマホを置く
……決まった
来週、姫子を連れて実家に帰る
父と母、それに姫子
どう考えても、何も起きない気がしなかった
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翌日は本格的な雨だった
梅雨の最後のひと暴れ、という感じの雨で、傘をさしても肩が濡れるくらいの横殴りだった
俺は大学の講義棟の軒下で、傘を畳みながら空を見た。灰色の雲が低く、重く、地面を押しつぶそうとしているみたいだった
「蓮くん」
振り返ると、姫子がいた
紺色の傘を持って、少しだけ裾が濡れていて、それでも笑顔で立っていた
「傘、持ってきたよ」
「持ってきた……って、俺への?」
「蓮くん、今日傘持ってないかなって思って」
「なんでわかるんだ」
「位置情報で家から出た時間が遅かったから、傘を取りに戻れなかったと判断した」
「位置情報から行動分析するな!!」
「正解だったでしょ」
「……正解だけど!」
俺は差し出された傘を受け取った
黒い傘だった。俺の好きな色だった
「なんで黒いんだ」
「蓮くんは黒が好きだから」
「……知ってたのか」
「三ヶ月観察したから」
「観察期間があったのか!!」
雨が軒下まで吹き込んできた。俺たちは少し奥に移動した
姫子は自分の傘をたたんで、雨を見た
その横顔は、いつもと少し違った
笑顔ではなかった
怒っているわけでもなかった
ただ、雨を見ていた
俺は少し迷ってから、口を開いた
「昨日、母ちゃんに電話した」
「うん」
「来月、実家に帰ってこいって。お前も一緒に、って」
姫子は少しの間、黙っていた
雨音が続いた
遠くで学生の笑い声がして、消えた
「……行っていい?」
「なんで俺に聞くんだ。お前はいつも聞かずに動くじゃないか」
「だって、蓮くんの家族だから」
姫子の声が、少しだけ小さくなった
「私のことを、家族に紹介するって、そういうことでしょ」
俺は姫子の横顔を見た
その顔に、いつもの「完璧な笑顔」はなかった
ただ、少しだけ——緊張しているように見えた
「……緊張してるのか」
「してない」
「してるだろ」
「……少しだけ」
姫子は雨から目を離して、俺を見た
「蓮くんのお母さんとはもう話してるけど、家で会うのは違うから」
「どう違う」
「嫌いにされたらどうしようって思う」
「嫌いにはならない」
「なんで言い切れるの」
「だって——」
俺は少し言いよどんだ
言葉を探した
「お前みたいな変なやつを紹介したら、うちの母親は絶対に喜ぶ。お前の変なところが、母ちゃんの好きな種類の変さだ」
姫子はぱちぱちと瞬きをした
「……褒めてる?」
「褒めてるような、貶してるような」
「蓮くんにしては誠実な答えだ」
「そうか」
「うん」
姫子はもう一度、雨を見た
今度は少し、口角が上がっていた
「——五割の信用を、五・五割に上げる」
「コンマ五割だけか!!」
「大きな進歩だよ」
「どこが!!」
「積み重ねって言ったのは武くんでしょ」
「武を使うな!!」
姫子がくすりと笑った
雨音の中に、その笑い声が消えていった
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来月、とは言ったが、実際に話が進むと「来週の土曜」に決まっていた
母と姫子のLINEで決まっていた
俺は事後報告された
新幹線の中、俺と姫子は並んで座っていた
窓の外を景色が流れていく。梅雨が明けて、空は青くなっていた
姫子はずっと窓の外を見ていた
「緊張してるか?」
「してない」
「してるだろ」
「……してる」
俺は少し驚いた
素直に認めることが珍しかった
「大丈夫だ」
「なんで大丈夫って言える?」
「うちの父親はお前を気に入る。それだけわかれば十分だ」
「根拠は?」
「変なやつが好きだから」
「また変なやつって言った」
「事実だろ」
姫子は少し黙ってから、「そうだね」と言った
窓の外で、田んぼが広がっていた。夏の緑が眩しかった
「蓮くんのお父さん、何が好きなの?」
「餃子を作ること」
「趣味が餃子?」
「趣味が餃子だ。週に二回は作る」
「こだわりは?」
「皮から手作りするところだ」
姫子が初めて目を丸くした
「皮から?」
「皮から」
「すごい」
「お前が驚くことがあるんだな」
「私だって驚くことはある」
「初めて見た」
姫子はじっと俺を見て、それからふっと笑った
「じゃあ、今日は一つ見てもらえたね」
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実家はこじんまりとした一軒家で、玄関の前に父が育てているプランターのトマトが赤く実っていた
ドアを開ける前に、中から鉄板の音がした
「——来た来た」
母が玄関を開けた
エプロン姿で、満面の笑みで
「姫子ちゃん! やっと家に迎えられた!」
「お邪魔します。神崎蓮の彼女の、白雪姫子と申します」
姫子がぺこりと頭を下げた
俺は姫子が「神崎蓮の彼女」と自己紹介したことに今更気づいた
「蓮の彼女」ではなく「神崎蓮の彼女」と言った
なんとなく、それが妙に胸に残った
「上がって上がって。お父さんが餃子焼いてるよ」
リビングに通されると、煙の匂いがした
鉄板餃子の、じゅうじゅうとはねる音がした
父が鉄板の前にいた
六十四歳で、背が俺より少し低く、エプロンに「餃子命」と書かれていた
「……父ちゃん、そのエプロンは」
「誕生日に母さんが買ってくれた」
「どういう夫婦だ」
「姫子ちゃん」父が振り返って言った
「よく来てくれた。蓮がLINEで写真を送ってこないから顔がわからなくて、楽しみにしてたよ」
「写真!? 親父に!?姫子が!?」
俺は父を見た
父は平然と「俺のことは心配するな、まあ座れ」と言って餃子を皿に移し始めた
姫子が俺の隣に座った
「……写真、送ったの?」と俺は小声で聞いた
「お父さんに頼まれたから」と姫子は小声で返した
「いつ接触してたんだ!!」
「LINEを教えてもらった」
「誰に!!」
「お母さんに」
「全員グルじゃないか!!」
「はい、焼けたよ」
父が鉄板ごとテーブルに運んできた
皮から手作りの餃子が、きれいな焼き目をつけて並んでいた
ごま油と生姜の香りが鼻を抜けた
「——おいしそう」
姫子が声を上げた
俺はその横顔を見た
緊張の色が、少し溶けていた
「食べてみて。タレは酢と醤油を好きな割合で」
「ありがとうございます」
姫子が餃子を一口食べた
少しの沈黙
「……おいしい」
「でしょ」父が嬉しそうに言った
「皮が肝心でね。厚さを二ミリに揃えるのにコツがいる」
「どんなコツですか?」
父がたちまち早口になった
餃子の皮の話が始まった
俺はその様子を少し離れたところから見ていた
母が「蓮、食べな」と俺の皿に餃子を移してくれた
「——姫子ちゃん、いい子ね」
母が小声で言った
「そうか」
「変わってるけどね」
「知ってる」
「変わってるけど、蓮のことをちゃんと見てるよ」
俺は黙って餃子を食べた
皮の厚さが二ミリだという餃子は、もっちりとして、中の肉汁が熱かった
姫子が父と餃子の話をしている声が、リビングに響いていた
姫子は笑っていた
いつもの「完璧な笑顔」ではなかった
もう少し、不格好で
もう少し、普通の、笑い顔だった
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帰りの新幹線は夜だった
窓の外は暗く、自分たちの顔が映り込んでいた
姫子は目を閉じていた
疲れて眠ったのかと思ったが、少しすると声がした
「楽しかった」
起きていた
「……そうか」
「お父さんが、来月もおいで、って言ってた」
「聞こえてた」
「行っていい?」
「来月は俺も一緒に行く」
「なんで」
「お前と親父と母ちゃんを二度と三人にするもんか」
姫子がくすくすと笑った
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないから言ってる」
「大げさ」
「大げさじゃないから言ってる」
姫子が目を開けた
窓の外の暗闇の中、自分たちの顔が映っていた
「——蓮くん」
「なに」
「今日は信用を六割にする」
「急に増えた!!」
「お父さんとお母さんが安心させてくれたから」
「俺じゃないのか!!」
「蓮くんのことは、まだ五・五割」
「変わってない!! 実家連れて行ったのに!!」
「でも今日、蓮くんが〝大丈夫だ〟って言ってくれたから」
姫子は少しだけ俺の肩に頭を預けた
「それが、意外とよかった」
俺は少し、黙った
車窓の向こうを夜景が流れていった
「……姫子」
「なあに」
「俺は、どこにも行かない」
「うん」
「ちゃんと、ここにいる」
「……うん」
「だから、信用してくれ」
姫子は少しの間、何も言わなかった
窓の外で、夜が流れていた
「——七割にする」
「増えた!!」
「コンマ五刻みで増やしてたのを、一気に一・五割上げた」
「それは確かにすごいな!!」
「でしょ」
姫子がふわりと笑った
今夜二回目の、不格好で、普通の笑顔だった
俺はそれを見て、少しだけ息を吐いた
信用七割
まだ三割は信用されていないが、三週間前の五割から考えると、確かに前進していた
このペースだと、百割になるのに何年かかるか見当もつかない
でも、まあ
餃子はおいしかった
姫子は笑っていた
今夜は、それで十分だった
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次回予告
「武くん、彼女できたって本当?」
「誰から聞きました?」
「蓮くん」
「てめぇ」
「お前が隠してるから」
武に彼女ができた
そして姫子が「武の彼女」に独自調査を開始した結果、何が起きるのか。
次回、第4話「友人の恋愛に、なぜかGPSが関係してくる件」
「武くん、大丈夫。私が調べたから、いい子だよ」
「それが一番怖いんですよ!!」
---
第4話へ続く
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
今回は姫子だけでなく、蓮の家族にも登場してもらいました。
そして、神崎家はこれからもきっと蓮を置いて話を進めていくのでしょう。
次回は、武にまさかの恋愛話が浮上します。もちろん、それを姫子が放っておくはずもありません。
引き続き、蓮たちの日常を楽しんでいただければ幸いです。
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それでは、また次のお話でお会いしましょう。




