第4話 留守中の仕事
昨日まで欠けていた石の角が、まっすぐになっていた。
梶原恭次は借家の門を開け、庭から玄関までの短い道を見た。土の上に敷かれた古い石の終わりに、低い段差がある。そこの一角だけ、新しい灰色がはまっていた。
昨夜越してきたばかりの家だった。
ギルドの雑務と配達を何日か続け、仮宿を出るための手付けを用意した。ハコの運搬も、ケルベロスの見張りも、引き受けられる仕事だけ分けている。食事や道具の分を差し引いてから、小さな平屋を借りられる額が残った。
家主のマルタは、魔物の種類と大きさを聞いて、先に家を見せてくれた。木の床へ重い物を引きずらない、戸口へ歯を立てない、庭の木を勝手に切らない。条件は具体的だった。
南の道から低い門を通り、庭の奥が玄関。入ると共同の居間で、北に恭次の寝室がある。水と煮炊きの一角は居間の西側。庭の西に井戸、東に屋根付きの作業場が接していた。
「ここ、欠けているから気をつけて」
入居のとき、マルタが指したのが玄関前の角だった。スミの籠を運ぶ恭次がつまずかないよう、注意してくれたのだ。
今朝、その場所へ新しい石が入っている。
「マルタさんが直したのか」
恭次は門の外を見た。
石の体が、道の脇に座っていた。
背丈は恭次より低いが、肩も腕も分厚い。膝に工具を載せ、目らしいくぼみをこちらへ向けている。知らない魔物だったので、恭次は門を出ずに声をかけた。
「うちに、用事か」
相手はうなずいた。
「そこ」
太い指が、段差を指す。
恭次は欠けが塞がった場所と、膝の工具を見比べた。苦情ではなく、何かを伝えたいのかもしれない。
「ここを直したのは、君か」
「削った。はめた」
返事を聞き、恭次は門を開いた。ただし、すぐ家の中へ招かず、庭で話を聞くことにした。重い石の足が木の床へ載る前に、家主の条件を確かめる必要がある。
相手はゴーレムで、ガンと名乗った。昨日、マルタが欠けを指すのを道から見ていたという。近くの石工場で譲られた端材があり、それを持ってきて形を合わせた。
「頼まれたのか」
ガンは首を横へ動かした。
「困る、と」
「困っているのを見たから、直した?」
うなずいた。それから、段差のそばへ立ったまま動かない。恭次が石を踏んで確かめると、少し顔が上がった。
角はなめらかで、足の裏へ不自然な傾きはない。元の段より高くしたのではなく、欠けた小さな部分を補っていた。
「歩きやすい。ありがとう」
ガンの肩が、わずかに下がった。
ただ、恭次だけが礼を言えば終わる話ではなかった。家は借り物で、段差の石もマルタの物だ。
恭次は井戸へ水を汲みに行く前に、居間の仲間へ事情を話した。ハコは、物の持ち主と使う人が違うなら、どちらにも聞く必要があると答えた。自分が空の収納箱だと思われた件を、まだよく覚えているのだろう。
「直して、悪かったか」
庭のガンが聞いた。恭次はすぐ悪いともよいとも決めず、見てもらってから話そうと答えた。
ガンは工具を持ち上げ、石を外すのかと尋ねた。恭次は首を振る。せっかく直したものを、確認する前に壊す必要はない。相手はうなずき、工具をもう一度置いた。
待っている間、恭次は小さな欠けのあった場所を指で確かめた。指の腹を引っかけるような粗い所がなく、周りの古い石へ丁寧につながっている。作業をした人が、使う足のことを考えた跡だった。
「俺は助かった。でも、助かったからって、次も何でも作っていいとは言えないんだ」
ガンは少し間を置いて、分かった、と答えた。
* * *
マルタを呼ぶと、まず新しい石を確かめた。
恭次はガンがしたことを通訳し、先に許可を得ていなかったと伝えた。ガンは門の内側で待ち、勝手に続きの工事をしなかった。
「角だけなら、直してもらって助かるわ。上の石まで外した?」
恭次が聞き直すと、ガンは外していないと答えた。端材を削り、もともと空いていた部分へ合わせただけだという。
マルタは何度か踏み、雨が流れる溝が塞がっていないのも確かめた。
「これは、そのままでいい。仕事のお礼もする。でも、次は必ず私に聞いて」
恭次はその言葉を伝えた。ガンはマルタを見て、ゆっくりうなずく。人間には短い石の音しか聞こえなかったらしく、恭次が、分かったそうですと添えた。
ガンは作業に使った工具を並べ、端材の残りを自分の脇へ寄せた。マルタは少額の作業代を恭次へ渡そうとしたが、彼はガン本人のものだと伝える。
硬貨を受け取ったガンは、すぐ使わず、布の小袋へしまった。道具を収める袋の奥に、自分で作ったらしい平たい石が入っている。恭次には細かな形まで見えなかった。
「どこから、来たんだ」
ガンは近くの石工場の方を指した。石を運ぶ仕事がある日は手伝っているが、普段落ち着いて工具を置く場所がないという。
恭次は屋根付きの作業場を見た。地面は固い土で、一部に古い石が敷かれている。居間の木の床より、重い相手が座るのに向いていた。
「あそこを使いたいか。家主さんに相談する」
ガンは工具を抱え直し、うなずいた。
マルタへ改めて話す。作業場を使うこと自体は構わないが、柱を削らず、井戸の周りへ石くずを流さないこと。重い材料は持ち込む前に場所を相談することになった。
ガンは工具を持ったまま、作業場の入り口まで歩いた。土の上へ足が沈むところでは止まり、石敷きの端を選んで座る。
スミは居間の敷物から、開いた玄関越しに様子を見ていた。恭次が籠で連れてきて紹介すると、石くずが飛ぶかと尋ねた。
「削るときは、布を掛ける」
ガンが答えた。スミは、それなら削る前に教えてほしい、と追加した。ガンはもう一度うなずいた。
ハコは工具と食品を同じ所へ入れないよう言い、ミギは通路の幅を確かめた。恭次は全部を1度に約束せず、今決めるのは作業場を使うことだけだと伝えた。
ガンは短く、ここにいたい、と言った。
恭次は食事に何が要るのかも聞いた。ガンは人間の食事を同じ量で必要とするわけではないが、工具の手入れと欠けた箇所の補修には、石の端材などが要るという。
仕事を続けて自分の道具を維持し、家の共用部分を使う分も相談する。ガンはその説明を聞いて、工具の袋を自分へ引き寄せた。
恭次は仲間になることも、断ったり外へ仕事に行ったりする自由があると説明した。ガンは聞き終えて、ここにいたい、ともう一度答えた。居間の木の床へは入らず、呼ばれたときは玄関の石敷きで話すことも決めた。
その晩、恭次は玄関へ水を運ぶとき、新しい石の角を踏んだ。籠を持っていても足先が引っかからない。
作業場のガンへ、さっきより歩きやすいともう一度伝えた。ガンは石敷きの上で、工具の並びを静かに直した。
* * *
翌朝、門の方で石の擦れる音がした。
恭次は寝室から居間へ出て、玄関を開けた。ガンが長い石を抱えて立っていた。昨日の端材より細く、恭次の腰ほどの長さがある。
「作って、いい」
ガンは疑問の調子で聞いた。
「何を」
段差の脇を指した。
「手すり」
恭次は石を見て、まだ朝食も取っていない自分の手を見た。
「マルタさんへ、先に聞こう」
ガンはうなずき、朝食の間も石を抱えて待つつもりらしかった。恭次は先に、作業場へ置いてよいと伝えた。




