第21話 右の道にも言い分がある
分かれ道の手前で、ケルベロスが止まった。
足は揃って止まったが、鼻先は揃わなかった。本人から見て右の頭、ミギは左へ続く道を見ていた。左のヒダリは右の坂へ鼻を向け、真ん中のナカは道標を見上げている。
「左へ行こう」
ミギが言った。
「右の方が面白そうだよ」
ヒダリが答えた。
恭次は鞄から地図を出した。3つの頭の意見を、名前の左右だけで書き留めるのはやめておいた。
背後にリネから来た道がある。進む方を向いて、左は水路沿いの平らな道。木立の陰が続き、少し遠回りになる。右は丘を越える道で、距離は短いが、今見えるところからもう上り坂だった。
どちらもメルカの西の門へ着く。
「左の水路沿いなら、ガンも歩きやすい」
ミギが言った。
恭次はガンを見た。ガンは足元の土を見てから、坂を見た。
「坂も、歩ける」
ヒダリが右の道へ首を伸ばした。
「上から町が見える。向こうの草、いい匂いがする」
恭次にも、風に混じる甘い匂いは分かった。丘の向こうに花が咲いているらしい。ベルグがその風へ鼻先を上げた。
「見晴らしがよい所で、翼を伸ばせるのなら悪くない」
籠のスミが、ガンの腕の中で体を高くした。
「日陰の方が、布が熱くならなくて済みます」
こちらは左の道だった。
「私は短い方がいいと思う」
ナカが言った。
「なら、右だね」
ヒダリの顔が前へ出る。
「ただし、上るのに時間がかからないなら」
出かけた顔が、少し戻った。
恭次は地図の角を押さえた。風でめくれた紙の裏に、昨日詰め直した荷物の一覧が見えた。地図に記された所要時間は、人間が普通に歩いた時のものだ。今の一行は、普通の人間1人ではない。
「ここまで、予定より少しゆっくり来てる。水路沿いを選んでも、昼をここで長く取りすぎなければ、宿の約束には間に合う」
ヒダリが丘を見たまま言った。
「速く行くためじゃなくて、見て行きたいんだ」
恭次は紙を押さえる手を緩めた。
「上に何があるか、少し見てくるか」
言いかけると、ハコが蓋をわずかに上げた。
「そのあと戻るのであれば、両方の道を歩く分が増えます」
恭次は右の坂へ向きかけた足を戻した。
分かれ道の脇には、荷車が道を譲るための平らな場所があった。通行の邪魔にならない端へ寄り、そこで早めの昼にした。
ガンが籠を石の上へ下ろす。スミへ声をかけてから、恭次は雨よけを広げた。昨日決めた、清潔な面が上になる向きだった。
ハコが食事を出す。恭次はいつものように、先に全員へ配ろうとした。
「歩き方を見るなら、荷物も見て」
ベルグの声に振り向くと、ハコが短い脚を伸ばしていた。今も荷物は上限内だ。それでも、何もない時より土へ深く跡が残っている。
「ここまで、どうだった?」
恭次が聞くと、ハコは底を少し持ち上げた。
「平らな所は問題ありません。坂では遅くなります。急ぐための道を選び、私が急がされると困ります」
恭次は地図を畳まず、敷物の端へ置いた。
ミギが食事を待つ姿勢から顔を上げた。
「だから、左なら」
「まだ決めてないよ」
ヒダリは言ったが、今度は坂ではなくハコを見ていた。
恭次は小皿を3つ出した。パンをそれぞれに分ける時、ナカの前の分が少し厚くなった。恭次が切り直そうとすると、ナカが隣の2皿を見て、自分で薄い方をヒダリへ寄せた。
恭次は地図の左右を、それぞれ指で押さえた。
「今日は宿へ着いて、みんなの寝る場所を作りたい。道で遅くなる分より、着いてから困った時の時間を残しておきたいんだ」
ベルグがパンを飲み込んでから頷いた。
「部屋は見なければ分からんからな」
「行きは、ハコが無理なく歩ける方を優先したい。水路沿い。ヒダリ、帰りに丘を通る案は残しておこう。明日の天気と、買った物の重さを見て」
ヒダリの耳が動いた。
「明日も左って言わない?」
「雨なら坂は避ける。暑すぎても考える。でも、最初からなしにはしない」
ヒダリは地図へ鼻を近づけた。恭次は紙が湿らないよう、ほんの少し引いた。
「帰りは、町からこっちへ向くんだよね」
「そう。丘の道は、町を出る時には左になる」
ミギが右の頭を傾けた。
「それなら、左へ行くという希望は同じだ」
ヒダリが顔を上げた。恭次は地図の丘に、小さく丸を付けた。
「方向だけで約束しない。ここだ」
食事のあと、ヒダリは最後まで丘を見ていた。賛成したとは言わなかったが、水路の方へ体が進むと、脚を止めることはなかった。
木陰に入ると、道は思っていたより涼しかった。葉の隙間から日が落ち、水路の小さな流れが同じ速さでついてくる。
恭次はガンから籠を受け取った。水筒はガンへ渡す。スミが籠の縁へ寄ったので、どちらがよく見えるか聞いた。
「水の方を」
恭次は体の向きを少し変えた。籠を傾けず、脇へ持つ。水面を小さな虫が横切った。
ハコは道の真ん中へ出ず、固く踏まれた片側を歩いていた。ガンも少し間を空けて続く。木の根の張り出した所だけ、ベルグが先に見て知らせてくれた。
遠くから荷車が来た。御者はケルベロスを見て手綱を引き、恭次は道の広い所で止まった。登録している同行の魔物だと短く伝え、先に通ってもらう。相手は頷いたが、近くを通る時にはハコの蓋も見ていた。
通り過ぎるまで待ってから歩き出すと、ミギが低く言った。
「こっちは譲る所があって、よかった」
木立の下で、ベルグが短く翼を動かした。枝までの距離を見て、ここでは飛ばずに歩く方を選んだらしい。
「飛んで行けば、先が見えるんじゃないか」
恭次が尋ねると、ベルグは空の狭い所を見上げた。
「見えるだろう。だが、1人で見ても皆はそこを歩く。前へ行って帰るより、次の休みで伸ばす方がよい」
恭次は頷き、広い所へ出たら休むと伝えた。ベルグも翼を畳んで続いた。
水路の脇に、石を積んだ低い縁が現れた。恭次がそこで籠を下ろすと、スミは水面へ体を伸ばした。すぐ外へ出るのではなく、籠の中から眺める。
ガンが水筒を渡した。恭次は順に飲む分を出し、自分の分も飲んだ。
ヒダリは水の匂いを嗅ぎ、木の根元を見た。丘へ行きたかったと言った口で、こちらの道もよかったとはまだ言わない。恭次は感想を求めず、次に歩き出す方へ足を向けた。
地図の線よりゆっくり進んでいたが、木陰を1つずつ通り過ぎていた。宿で夕飯を食べる時間には、まだ十分間に合いそうだった。
水路を渡る小さな石橋が見えると、ヒダリはその上へ顔を伸ばした。
「魚」
恭次は止まった。橋の脇に立ち、皆が通ってから欄干の低い所を覗く。灰色の小魚が、影へ入って見えなくなった。
「いたのか?」
「今、そっち」
ヒダリの示す方へ顔を寄せると、水の底で細い光が曲がった。ナカも覗こうとして、ヒダリへ頬を押された。
恭次は笑って、地図をしまった鞄を肩へ掛け直した。
木立が切れる頃、メルカの門が見えた。まだ空は明るく、約束した時間にも余裕がある。ハコの足取りも、昼より遅くはなっていなかった。
「帰りの道の話は、明日の朝にしよう」
恭次が言うと、ヒダリが顔を上げた。
「その時は、俺が最初に言っていい?」
「いいよ」
「議長も」
ナカの顔が、ヒダリへ向いた。
恭次はまだ開いていない町の地図を、鞄の中で握った。
「最初の発言と議長は、分けて考えよう」




