第17話 高い所から失礼します
ベルグは、夕方になっても台の上にいた。
梶原恭次は鍋の蓋を置き、窓際を見た。小型の竜が胸を張り、いつもの落ち着いた顔で外を眺めている。
「今日は、ずっとそこだな」
「眺めがよい」
返事は短かった。恭次は台の脚元へ目を向けた。
少し前、ガンへ頼み、ベルグのための低い専用台を作ってもらった。最初の木箱では尻尾と翼の置き方が難しかったので、本人と高さを相談したのだ。ガンは作る前に場所と幅を確かめ、窓や戸へぶつからない寸法にしてくれた。
台は恭次の膝より少し高い。ベルグが食卓の話へ入りやすく、外も見える。上がるときは横の低い足場から一段ずつ移り、降りるときも同じ所を使う。
今、その足場の前へ、荷物が積んであった。
ギルドから持ち帰った空の袋と、洗った後で乾かす桶。恭次が掃除をする間だけ寄せ、戻し忘れた物だった。広い床の中央を空けたので、片づいたつもりになっていた。
ベルグは動かない。
恭次は声を張らず、近くへ寄った。
「ここ、降りるときに使うんだったな」
「使うこともある」
ベルグは窓の方を向いたまま答えた。
恭次は翼を見た。長く座っていた後で、肩の付け根を何度か動かしている。台のすぐ横は壁で、反対側には食卓がある。広場と同じように翼を一杯に広げ、勢いをつけて飛び立てる場所ではなかった。
「荷物、どけるよ」
「食事の支度があるだろう」
「火は弱めた。俺が置いた物だし」
恭次は桶へ手をかけた。ただ、先に動かすと、ベルグが降りようとして足を踏み外すかもしれない。
「今から片づける。まだ、そこにいてくれ」
ベルグは小さくうなずいた。自分が降りたいと言った形には、まだなっていなかった。
* * *
恭次は袋を持ち上げ、食卓の反対側へ置いた。
次に桶を運ぶ。中は空だったが、少しでも水が残ると、足場が滑りやすくなる。傾けて確かめてから、煮炊きの一角の隅へ収めた。
その間、ハコが通路を通った。恭次が物を寄せた場所へふたが当たりかけ、止まる。
「そちらも、通ります」
「分かった。今、ちゃんと戻す」
恭次は袋を畳み、普段の棚へ戻した。ハコも幅が空いたのを見てから進む。
床の上は空いた。ベルグの足場には、薄い埃が積もっていた。恭次が自分の布で拭こうとすると、スミが、今使っているのは食卓用です、と教えた。
恭次は布を見て、別の物へ替えた。スミは台の下へ来ず、自分の小箱から見ている。
恭次は脚がぐらついていないか手で確かめ、台から一段下の踏み場が見えるよう、布を残さず片づけた。
「これなら、どうだ」
ベルグは体を横へ向けた。尾の先が壁へ当たらない位置を選び、前脚を足場へ下ろす。少し止まって重さを移し、後脚も続いた。
最後は床へ降り、自分で翼を半分だけ広げた。
「硬くなっていた」
小さな声だった。恭次は聞き返さず、そばの食卓を少し離した。広い場所ができると、ベルグは片方ずつ翼を伸ばし、元へ畳む。
恭次は、運び出した桶を見た。ベルグが窓際にいた間、何度もこの前を通っていた。
ベルグは水の皿へ歩き、自分の速さで飲んだ。顔を上げてから、ようやく恭次へ向く。
恭次は火の様子を見に戻った。鍋は弱火で煮えていた。蓋を取ると湯気が上がり、食事までそう長くはかからなかった。
ベルグは食卓の側へ歩いてきたが、台にはすぐ戻らなかった。床へ腹を伏せ、前脚を伸ばす。恭次は台がまだ使いづらいのかと思いかけたが、今度は勝手に物を動かさなかった。
「今は、床がいいのか」
「ああ。ここで伸ばしておく」
恭次は頷き、通る時には一歩離れた。床へ体を伸ばしたベルグの脇を、袋が通らない方から回った。
食事をよそう前、恭次は自分の足元も見た。置いた匙を拾うため立ち上がった時、後ろに桶があれば自分だって動きにくい。
ベルグは翼を畳み、床から立った。台ではなく、いったん玄関の方へ歩いて、外の空気を嗅いだ。恭次はその間に皿を並べた。戻ってきた本人が台へ上がるのを、持ち上げて手伝おうとはしなかった。
「助かった」
「こっちこそ、置きっぱなしにして悪かった」
恭次は答えた。
ガンが庭からのぞき、台を直すのか尋ねた。恭次は首を振った。台そのものは使える。前を物置にしなければよい。
ベルグもそちらを向き、台はよい、と言った。ガンはうなずき、作業場へ戻る。
* * *
夕食の後、恭次は今度から足元を空ける場所に印をつけようと提案した。
ベルグはしばらく黙った。恭次は、台を使うのをやめたいのかと思い、聞き直す。
「台は、要る」
「じゃあ、この前だけ空ける。ほかに決めたいことはあるか」
ベルグは床を見て、自分の足の置く範囲を鼻先で示した。今まで恭次が空いていると思っていた所より、少し広い。降りた後、尾を回す分も必要だった。
恭次はその範囲へ、薄い紐を置いて見せた。つまずくように張るのではなく、片づける物の位置を考えるため一時的に置く。
ハコも通り、ふたを開ける幅を確かめた。スミの小箱までは距離があり、ケルベロスが玄関へ向かう道も残る。
ベルグは下から台を見上げ、もう一度自分で上がった。前脚、後脚と移り、台の上で向きを変える。それから同じ足場を使って降りた。
「ここを、毎回空けておけばよい」
本人の言葉に、恭次はうなずいた。
翌朝、恭次はベルグと、台の前へ置く小さな札を用意した。
〈ここに物を置くな〉
文字の下へ、足場の四角が描いてある。ベルグが意味を伝え、恭次に文字を書いてもらったものだった。ただ、恭次の下書きにあった、ベルグ用、という言葉は消してほしいと言われた。
「誰の場所か、あった方が分かりやすいけど」
「物を置かなければ、足りる」
恭次は札を見た。本人が台から降りるための場所だと、あまり大きく書きたくないらしい。
恭次は札の言葉を読み返し、理由が分からないままでは、別の人がちょっとだけと荷を置くかもしれないと伝えた。
ベルグは少し黙ってから、降りる所、とだけ添える案を出した。名前は書かず、空ける理由は残す。その下へ、小さな足場の絵を付けることにした。
恭次は台から見て、どこへ足を下ろすかを本人にもう一度示してもらった。下から見て空いている所と、上から体を移せる所は違う。尾を回す側に荷を積めば、足の真下が空いていても向きを変えられなかった。
ガンにも、その範囲を見てもらった。作るときに確かめた余白が、居間を使ううちに少しずつ物置へ戻っていたのだ。台を大きく作り直せば済む話でもないと、恭次には分かった。
「次に、荷物があったら、声をかけてくれ」
恭次が言うと、ベルグは、できれば気づいてほしい、と答えた。
「気づくつもりではいる。でも、鍋を見ていたら、そっちをずっと見てはいられない」
ベルグは台の上から恭次を見た。しばらくして、小さな声でもよいかと聞く。
恭次は、近くなら聞こえると答えた。大声で助けを呼ばせたいのではなく、何を困っているかを先に知りたかった。ベルグはそれなら、と短く了承した。
ハコが近づき、札の幅をもう少し小さくした方が通路へ出ないと言った。ベルグはそれに同意した。恭次は札を切り直し、脚元の邪魔にならない壁際へ置く。
昼、恭次が空の袋を持って戻ると、ベルグが台から顔を向けた。
「そこでは、ない」
恭次は袋を床へ置く手を止め、普段の棚へ運んだ。ベルグはそれを見届けてから、自分で台を降りてきた。




