第15話 1匹分では足りません
ナカは、食費を増やしてほしいと言った。
梶原恭次は鍋をかき混ぜる手を止めた。朝に用意した食事は、まだ少し残っている。ケルベロスの3つの頭は、その鍋を見ていた。
「量が、足りなかったか」
「1匹分という数え方に、無理がある」
ナカが答えた。恭次は火を弱め、横の台へ匙を置く。
「腹が空いているのか、毎回の取り分が少ないのか、どっちだ」
ミギが口を開いた。
「体は、満腹です」
恭次はそちらを見た。本人から見た右の頭は、腹の辺りへ鼻先を向ける。ヒダリもそこにはうなずいた。
「なら、増やした分は食べられるのか」
ナカは少し黙った。それから、好きな物を食べた感じが少ない、と言った。
恭次は鍋の中を見た。穀物と刻んだ肉、柔らかく煮た根菜。今朝は全員の準備が重なり、大きな皿へまとめて出した。体1つ分の量を盛り、3つの口が順に食べたはずだった。
「何を、誰が食べた?」
今度はミギから先に聞いた。
ミギは乾かした魚の香りが好きだという。昨晩の残りへ少し混ぜたが、今朝は根菜が多い側を食べた。ヒダリは甘い根菜を望んだが、自分の口へ入ったのは肉の多い部分だった。
ナカは肉を食べたと答えた。好きな物も肉だという。
恭次は3つの顔を見比べた。
「ナカは、好きな物を食べてるんだな」
「だが、左右も不満がある」
「それは今、左右から聞いた」
ナカの耳が少し下がった。
ヒダリが鼻を動かし、鍋の根菜へ顔を近づけた。恭次は熱い縁へ触れないよう、少し離れて待つよう言った。
「まず、今日の分を量り直そう。足す前に、今ある物の並べ方を変えたい」
ミギがその手順へ賛成し、ナカも了承した。
* * *
夕方、恭次は夕食の取り分を、いつもの大皿へ盛った。
その後で小さな皿を3つ置き、大皿から分けていく。新しく鍋から足さず、肉も穀物も根菜も、いったん全部を同じ量のまま使った。
それを見たヒダリが、3皿なら3倍ではないのかと聞いた。
「皿だけ増やした。同じ腹へ入るんだろう」
「はい」
ミギが答えた。
恭次は、食べた味の感じ方まで共有するのか尋ねた。3つの頭は首を振る。満腹かどうかは同じ体で分かるが、口に入れた物の味は、それぞれの体験だという。
恭次は一番手前の皿へ、細かくした乾燥魚を少し混ぜた。調味の分も今までと同じで、全体を増やすのではなく分ける。ミギへ、香りが強すぎないか確かめてもらう。
次にヒダリの皿へ柔らかな根菜を寄せ、ナカの皿には肉の入った部分をまとめた。全部の皿がどれか1品だけになるのではなく、いつもの食事の中で、好きな部分が自分の口へ入るようにした。
スミは小箱の上から、皿の位置を見ていた。
「正面に並べると、区別しやすそうです」
恭次はうなずき、本人から見た右にミギ、中央にナカ、左にヒダリの分を置いた。自分が相対して見る向きとは逆なので、名前を呼んで確かめる。
ケルベロスは1つの体で前へ進み、3つの口をそれぞれの皿へ向けた。
今度はミギが最初に食べた。細かな魚の香りが分かるらしく、口を離してから、これでよい、と答えた。ヒダリも根菜を1つ食べ、尾が大きく動く。
「尾は、誰の返事だ?」
恭次が聞くと、ナカは、今は皆の、と言った。左右も否定しなかった。
皿が小さくなったので、鼻先が隣へ触れやすい。ミギが少し間隔を取ろうと言い、恭次は皿の下へ薄い布を敷いて滑らないようにした。熱い物を置く台は近づけず、口が動く余白も残す。
3つの頭は食べる速度が同じではなかった。ヒダリが早く根菜を食べ終え、ナカの方を見た。恭次は皿を守るよう叱らず、交換したいなら相手へ聞くよう伝えた。
「肉の分と、そちらの穀物を」
ヒダリが提案した。ナカは少し考えて了承する。恭次が匙で少し移した。
ミギは自分の皿を最後まで食べた。腹はもう十分だと言い、残りを増やしてほしいとは言わなかった。
ナカの皿には、肉の繊維が少し残っていた。ヒダリが鼻を寄せたが、今度は勝手に口を付けずに尋ねた。
「それ、もう食べない?」
「食べる。少しずつ」
恭次は空いた皿だけを下げた。3つの口が別々に食べ終わるなら、最後の頭まで待って一度に全部片づけなくてもよい。ミギは水の方へ顔を向けたが、胴体ごと動く前にナカを見た。
「終わったら、水を飲みに行きたいです」
ナカは頷き、最後のひと口を噛んだ。ヒダリは待つ間、さっき交換した肉の味を話した。自分の好物だけを寄せると、他の物の味まで消してしまうのは惜しいらしい。
「少しずつなら、毎回全部同じでなくてもいいんだな」
恭次が聞くと、ヒダリはそのくらいならと答えた。魚が足りない日や、甘い根菜を買えない日もある。それでも好みを忘れられたことにはならない。
ナカが食べ終え、ケルベロスは1つの体で水の皿へ移った。3つの口が順に水を飲む間、恭次は先に下げた小皿を拭いた。大皿の中で誰かの好きな部分を探して取り合う音は、今日は聞こえなかった。
恭次は空になった大皿を見せた。もともとここへあった量だけで、小皿もほとんど空になっている。
「量の方は、これでよかった?」
3つの頭は順番に答えた。足りる。好きな味もあった。明日も同じように分けたい。
恭次は匙を置いた。
ナカが、明日も肉を、と言いかけて隣を見た。
「ミギは? ヒダリは?」
2つの頭が答える間、今度は途中でまとめなかった。恭次は全員の希望を聞いてから、買い物で見つかれば、と返した。
恭次は鍋の残りを布で覆った。追加の食材を今から買いに行く話にならず、明日の分も予定どおり残る。その代わり、洗う皿は増えた。恭次が桶へ重ねると、ヒダリが、それは増えたねと言った。恭次は笑い、小さい皿ならすぐ洗えると答えた。
* * *
食後、ハコが皿を並べる場所を確かめに来た。
食卓を片づけるとき、3枚を大皿の上へ重ねておくと、明日も使う物が分かりやすいという。恭次は洗った後でそうすると答えた。
「何か、目印を付けますか」
「皿そのものは同じでもいい。中身を分けるとき、名前を呼ぶ」
恭次は言った。毎日まったく同じ物を同じ位置へ出せるわけではない。市場にある物で変わるので、食べる前に何が入っているか伝えればよかった。
ベルグが、全部を別々に作るなら恭次が大変になると指摘した。恭次もそこは考えていた。3つの鍋を火へかけるのではなく、共通の料理から好みを少し分ける。できない日もあるので、その日は先に言う。
ミギは条件を確認し、ヒダリは根菜を自分で寄せられる日ならそうすると答えた。ナカも、毎回肉が多いとは限らないことを了承した。
恭次は皿を洗いに立った。少し離れた所から、3つの頭の声が聞こえる。
「明日は、最初に私が説明しよう」
「食べたい物は、それぞれ話した方がよいです」
「今日ので、分かったよね」
恭次は桶へ水を注ぎ、会話の終わるのを待った。
翌日の夕食前、恭次は小皿を3つ並べた。今度は3つの頭へ好みを順番に聞き、できる範囲を伝える。昨日ほど大がかりな確認は要らなかった。
盛り付けを待つ間、ナカが鼻先で中央の皿を少し引いた。
左右の皿より、自分の方へ大きく寄った。
ミギがそちらを見た。ヒダリも顔を向ける。
「中央だからといって、最初ではありません」
「俺たちのも、取れる位置にして」
ナカは一度皿を見てから、元の並びへ押し戻した。恭次は3つへ同じくらい手が届くのを確かめ、料理を取り分け始めた。




