第13話 スライムの席
スミの座布団は、元の場所へ戻っていた。
梶原恭次は食卓へ渡す板を持ったまま、床を見た。朝、居間の端へ移したはずの薄い敷物が、自分の座る所の隣にある。その中央で、淡い青の体が丸くなっていた。
「そこ、広げる分の板が来るんだ」
「はい」
スミは丁寧に答えたが、どかなかった。
食卓は膝ほどの高さの低い台だった。仲間が揃って休む日には、皿や包みを並べる場所が足りなくなる。恭次は古い板を1枚足し、食べ物と相談の紙を同じ所へ重ねず済むようにしたかった。
そのために、スミの敷物を端へ寄せた。泥の付いた床へ置いたわけではない。朝に拭き、よく乾いた場所を選んだつもりだった。
「新しい所、何か付いていたか」
「特には」
「風が当たる?」
「それも、困っていません」
恭次は板を壁へ立て掛けた。最初から理由を聞けばよかったのに、汚れの話だと思って床ばかり見ていた。
スミは体の端で、座布団の角を押した。少しずつ引き寄せて戻したらしい。自分が乗ったままでは動かしにくいので、一度降りて、乾いた床を通っていた。
「ここがよいのです」
「それは分かった。移した場所の、何が違う?」
スミは新しい場所を見た。それから恭次を見上げる。恭次もしゃがんだが、返事はすぐ出なかった。
通路にいたハコが、ふたを少し開いた。
「最初の同行者の位置ですか」
スミはそちらを向いた。
「最初に来たのは、私ですが」
否定から入らなかったので、恭次はそちらが理由なのかと思いかけた。ハコも、並ぶ順を決めるなら紙へ書いた方がよいと続けた。
スミの体が少し細くなる。
「順番ではありません」
恭次はハコへ少し待ってと伝えた。
ベルグは窓際の木箱へ座ったまま、場所を替えてみれば分かるのではないかと言った。恭次はスミへ、新しい敷物の位置へ一度だけ行って、何が見えるか教えてほしいと頼んだ。
スミはしばらく考え、了承した。恭次は敷物を持って移り、本人が乾いた床を通るのを待った。
* * *
新しい場所は、食卓の東寄りだった。
ハコの向こうに恭次が座り、玄関側にケルベロスが体を置く。全員が普段の位置へ収まると、スミの上へ大きな影ができた。
「恭次さんが、見えません」
恭次は顔を上げた。自分からはスミが見えると思っていたが、間にハコのふたがある。ふたを閉じれば頭の先が見え、開くとすっかり隠れた。
「少し、こちらへ動こうか」
ハコは短い脚で横へ移った。今度はケルベロスの肩が、スミと恭次の間へ入った。
ヒダリが首を曲げて、スミをのぞいた。
「ここにいるのは、分かるよ」
「皆さんから私が見える話ではなくて」
スミは丁寧に言い直した。
恭次は床へ手をつき、頭を低くした。自分の目をスミの体の上辺に近い高さへ置くと、食卓の向こうは全く違って見えた。板の縁と、箱の側面と、犬の胸。人の顔は、その上にあった。
皿を出したかどうかも見えにくい。誰かが声を出せば聞こえるが、誰に話しかけたのか、相手が返事を待っているのかは分かりづらかった。
「前の所なら、俺の顔が見えたんだな」
「はい。横を向いていただけば。それと、お皿を寄せていただけました」
恭次は昨日までの夕食を思い出した。床へ座った自分の脇にスミがいて、近くの皿や話す相手を見上げていた。自分が何となく敷物へ皿を寄せていたのも、その位置なら簡単だったからだ。
ベルグが木箱の上で足を動かした。
「低い所から見たかと、言おうとしたのだが」
「今、見た。これは、話が分かりにくい」
恭次は起き上がり、スミへ謝った。汚れていなければよい場所だと、勝手に条件を1つにしていた。
では元へ戻せばよいのか。スミはそれでもよいと答えたが、広げる食卓の板とは少し離れている方が、体を動かしやすいとも言った。元の場所だけが絶対なのではなかった。
恭次は空の小箱を持ってきた。食べ物を買ったときの丈夫な木箱で、中へ何も入っていない。裏返せば、床より手のひら1つ分ほど高くなる。
「この上に敷物を置いたら、どうだ」
スミは見上げた。今度は恭次がいきなり載せず、まず箱の高さと、降りるときの縁を見せた。本人は平たい体を伸ばし、敷物の端を少し掛ければ上がれそうだと答えた。
敷物を置き、端を床へ垂らす。スミがそこを伝って上がる間、恭次は箱がずれないよう側面を支えた。
淡い青が食卓の縁と近い高さへ来た。
「見えます」
スミは体を左右へ伸ばした。恭次の顔、ベルグ、3つの頭、ハコのふた。間に相手がいても、少し向きを変えれば見えた。
「でも、ふたが急に開くと、少し驚きます」
ハコはすぐふたを閉じた。スミは、開けないでほしいのではなく、目の前に来るときだけ声をかけてほしい、と付け加えた。
ハコはその条件を了承した。恭次は箱の脚元を見て、物を取りに通る邪魔にならない位置へ少し寄せる。スミにも、今の所ならどうかともう一度聞いた。
「ここで、よいです」
返事を聞き、恭次はようやく追加の板を持ち上げた。
追加する板は別の台で支え、裏を紐で留めた。スミの箱を支えにすると、自分で降りられなくなるので使わない。空の鍋を置いて端を押しても、板は浮かなかった。
小箱の四隅も押して確かめた。がたつく一角へ古布を薄く敷き、スミには一度降りて上がり直してもらう。敷物の端を短くすると、ハコの脚へも絡まなくなった。
「降りたいときも、自分でできます」
恭次は手を離した。食事の包みから根菜を出すと、スミが小箱から体を起こした。
「今日は、それを食べるのですね」
「そう。もう少し小さく切る」
スミは切る手元を見ていた。恭次は返事をしながら、鍋へ入れる分を皿へ分けた。
* * *
食卓が広がると、ほかの仲間も場所を見直し始めた。
ミギは玄関が見える側へ少し寄りたいと言った。ヒダリは鍋の様子が見える方を希望した。ナカが中央なら両方見えると答えると、左右の頭は、自分だけの目線で決めないでほしいと返した。
恭次は、胴体を少し斜めに置けば両方に目を向けられると示した。ミギとヒダリが順に顔を上げ、見える方を確かめた。
ベルグは翼を動かす余白を望み、ハコは荷物を出すときだけ、ふたの前を空けてほしいと言った。ガンは庭から、玄関に近ければ声が聞こえると短く告げる。
恭次は場所を1つずつずらした。床を拭いて敷物を寄せ、箱を少し動かし、食卓の端へ鍋敷きを置く。
試しに小さな皿を1枚ずつ出すと、スミは今度、誰に何を渡したかすぐ分かった。ハコがふたを開ける前に一言告げ、ベルグが短く翼を畳む。前より返事を重ねなくて済む。
恭次は満足し、自分の場所へ入ろうとした。
ケルベロスの肩とスミの小箱の間に、足を置く隙間がなかった。
「俺、どこから入るんだ」
スミが体を少し起こした。ヒダリが後ろを見る。ハコは物を動かすなら中へ入れられると言いかけたが、今度は荷物ではないと自分でやめた。
恭次は鍋を置いたまま、もう一度立ち位置を考えた。
スミの方から、自分の箱を少し下げれば通れると提案が出た。恭次がずらし、本人にも視界が変わらないか聞く。十分見えるという返事があったので、ようやく食卓の前へ座れた。
いちばん近くの淡い青が、皿へ顔を向けた。
「今日は、よく見えます」
恭次はうなずき、少し遅くなった夕食をよそった。




