第3話 : 差し出された手と、選んだ明日
「イロナ?お前は何をやってる!?」
「ひゃん!」
部屋に響き渡る怒声は、まるで空から雷でも落ちたかのような衝撃だった。
まさに“ドンガラガッシャーン!”という効果音が聞こえてきそうである。
自分はまだ体に力が入らず、さっき入ってきた銀緑の髪の少女(確かヴェールと言っていた)に、そっと毛布をかけてもらったばかりだ。
今、イロナと呼ばれていた少女に説教をしている少年は、青のような赤のような。でも紫にも見える不思議な眼の色をしていて、黒色に白色の線が入ったウィンプル(女性聖職者が頭に被るもの)に似たものを被っている。
「大体お前はっ……」
「ぁうぅ…。ごめんなさい…」
これはだいぶ長くなりそうな予感がする。
ただ、少しだけこの光景は面白いと思った。
「ごめんね、こうなるとだいぶお説教が続いちゃうかも…」
ヴェールは眉尻を下げて申し訳なさそうに謝罪した。
髪は銀から淡い緑へのグラデーション。宝石のような翡翠色の瞳が心配の色を滲ませて、蝋燭の光にきらりと揺れる。
「大丈夫だ。毛布、ありがとう」
小さく笑みを浮かべてみると、ヴェールはほっと小さく安堵の息を吐いた。
…正直言うとキツイ。気を抜くとよだれが出てきそうだ…。
研究所ではいつも食事が少なく、満足に食べられた記憶もない。
それに、逃げて、魔力を使って、また逃げて。あれだけ動いて何も口にしていないのだから、この空腹も当然だった。
「………2人とも、もうそろそろお説教やめたら?この子、とっても体調が悪そうなのに、これ以上待たせるつもり?」
自分の頭上から怒りを滲ませながらも静かに問い掛ける声が聞こえてきた。
目線だけ動かしてチラリと顔を覗き見てみると、一見にこやかなのに瞳に怒りを灯しているのが見える。
「ヴェールちゃ…。あ、お怒りだぁ…」
「イロナちゃんはこの子に謝って。レシーも、一旦説教をやめて」
さっきまであんなに騒がしかった部屋が一気に静まり返る。なんだか、自分まで怒られているような感覚に陥ってしまう。
しかも、その声を最も近く聞いているから体がピシッとなる。
「レシー、私じゃこの子の診断まではできないからやって。この時間じゃ治療室は開いてないよ」
「わかった。…すまん、診察するために少し触るからな」
一言断りをいれられて、首や顔、手などを触られる。
何か確認しているようだから下手に動くようなことはしないけど、少しだけくすぐったい。
一通り確認できたのか手が離れる。
先程のくすぐったさがなくなって、少しだけ入っていた体の力が一気に抜けた。
「…これは栄養失調だと思うぞ。イロナ、俺達はコイツを見ておくから少量でいいから肉と野菜がある料理を貰ってきてくれ」
「う、うん。わかった!」
だらんと意思どうりに動かない体をヴェールから、レシーと呼ばれていた紫色の瞳の少年に渡される。すると、もう一回丁寧に抱え直してくれた。
今はレシーの肩に寄りかかる形で、なんとか体勢を保っている。
「ごめんね、怖がらせたよね。今からイロナちゃんがご飯持って来るから」
「ああ。…ありがとう」
「あ、レシー。話しておきたいことがあるんだけど…」
ただ話を聞いているだけだから、自分にとってはまるで子守唄のようで、コクンと寝そうになってくる。
内容は全く脳内に入ってこないが、今はただこの心地の良い眠気に身体を預けてしまいたい。
しかし、ガチャリとドアが開けられる音で、強制的に意識が戻された。
「ご飯持ってきたよ!」
そんな声と共に運ばれてきた良い匂いに、鼻腔がくすぐられる。
「まずはご飯を食べないと栄養失調は治らないからね。はい、口開けて」
「待ってヴェールちゃん!私がやるよ!私のせいでこうなったんだし…」
ばびゅっと勢いよく手を上げると、夜なのに、そんな大声で喋って大丈夫なのかと思ってしまうほど大きな声をあげる。
するとヴェールは明らかに困った顔になった。
「初対面なのに急に押し倒されそうになった方の気持ちも考えないとダメだと思うんだけど…?」
「大丈夫!もうそんなことしないから!ていうかあれは誤解だからっ…」
ヴェールという少女は困り顔をしつつ諦めの色を滲ませるという器用な表情になると、今度はこちらに視線が向けられた。
「…自分は、別にそれで良い」
自分が了承した事で、呆れ顔はそのままで美味しそうな匂いがするご飯をイロナに手渡した。
料理を目で追っているのに気付かれて、ヴェールにクスっと微笑まれる。
「火傷しないように気をつけて食べさせてあげてね」
「うん、わかった」
申し訳なさそうな顔をしながらも急いで持って来てくれたのであろう料理が自分の口元にやってきた。毒が入っているかも…と一瞬考えもしたが、その考えを振り払って、自分は少し躊躇いながらも小さく口を開ける。
「!美味しい…」
ほんわかとした雰囲気と美味しい料理で、頬が緩んでいくのがわかる。
…研究所ではピリピリしてたし、こんなに美味しい料理は久しぶりだからな。
今までの緊張が、この暖かい雰囲気で溶かされていく。
「セクレットくん、この男の子は私の部屋に寝かせて、ヴェールちゃんがそっちに移動した方がいいかな?」
…セクレット?さっきはレシーって呼ばれてたのに。それか、レシーが愛称か何かなのか?
そこまで重要性の高くない話題に、自分の意識を持っていけている事に気がつく。
それが、なんとも嬉しかった。
「いや、俺の部屋で寝かせる。流石に女子の部屋に1人男子がいるなんて落ち着かないだろ」
「べつにそんなことないと思うけど?」
自分にご飯を食べさせながら特に何ともないような顔をして見せる。
…危機感がなさすぎなんじゃないか?
普通、大半の人が嫌がるはずのことに何も思っていないのを見てついそう思ってしまう。
「ダメだよ。今日はレシーの方にて寝かせておいてもらおう?」
「?わかった!」
食べさせてもらいながらどんどん話が進んでいくが、自分じゃ何もわからないから、「取り敢えず女の子の部屋で寝ることにならなくて良かった」と心の中でこっそりと安堵したのだった。
♢ ♢ ♢
窓から差し込む眩しい光が、沈んでいた意識をゆっくりと覚醒へと導く。
チュンチュン、と軽やかに響く鳥のさえずりと共に、ゆったりと目が覚めた。
「ふわぁ……」
……居ない。
昨晩、自分にベッドを貸してくれた少年の姿がどこにもなかった。
自分がソファで寝ると主張したものの、「栄養失調のやつにソファを使えと言うほど、俺は鬼じゃない」と言って、彼自身はソファで寝て、自分をベッドに寝かせてくれたのだ。
もう一度大きく欠伸をしながら、自分はまだぬくもりの残るベッドを整えて、無機質な部屋を出る。
昨夜は温かく、満足するほどの食事をもらえ、冷たく硬い石の床ではなく、ふかふかで心地よいベッドで眠ることができた。
おかげで熟睡できて、今朝は昨日よりもずっと気分がいい。
「……あっ、目が覚めたんだね。おはよう」
宝石のような翡翠色の瞳を持つ少女・ヴェールが、柔らかに目を細めて微笑んだ。
「あ、えっと……おはよう? 昨日は本当に助かった。ありがとう」
「イロナちゃんが連れてきたしね。……うん、昨日より元気そうでよかった」
今、ヴェールは“お食事所”と呼ばれる場所へ向かっているらしい。
お食事は沢山あるが、特に美味しくて栄養たっぷりな料理がたくさんある人気の場所だという。
……想像するだけで、もうお腹が減ってきたな。
宿の外に出るということで、念のため再度フードを深く被る。
"あの人"が言っていた通り、外は吸血鬼は危ない奴だと思われるみたいだから。
外に出ると、太陽が燦々と輝き、たくさんの人々が賑やかに行き交っている。
「2人には先に行ってもらってるから、ボクについてきて。手は離しちゃダメだよ」
自分は子供のように手を引かれながら、行き交う人々とぶつからないように慎重に歩く。
夜とはまた違う、明るく活気のある雰囲気が、どこか心を浮き立たせる。
「ここだよ。『お食事処ルリ』」
目の前にあるのは、一軒家ほどの大きさの建物だ。ドアの上ら辺には、大きく『お食事処ルリ』と名前が掲げられている。
「宿とはまた別の場所なのか?」
「うん。お食事処は建物の中で飲み食いする場所のこと。外にある屋台は“露店屋”っていうの。ここは露店が多いから、賑やかなんだ」
ヴェールが指差した方に視線を滑らせると、中には外のテーブルで食事をしている人々や、食べ歩きを楽しむ姿も見える。
「中も混んでると思うから、このまま手を繋いでおいてね」
ドアを開けると、中もまた賑やかで楽しげな雰囲気が広がっていた。
ただ、さまざまな匂いが混ざり合っているのは少し苦手かもしれない。
「普段は自由に席を取るんだけど、今日は予約制になってる個室が空いてたみたいだから、そこに行こうね」
混雑する時間帯を見越して、先に席を取ってくれていたらしい。
「……個室って結構人気なんじゃないか? 予約制って言ってたし」
ヴェールはただ微笑むだけで、何も答えなかった。
にぎやかな机を迷いなくすり抜けるように進んでいくと、徐々に喧騒が遠ざかり、やがて静寂が訪れる。
「2人とも、お待たせ」
「ふわぁ……。おはよぉ、ヴェールちゃん…」
ヴェールに案内された個室には、まだ眠たげな様子の2人がいた。
驚くべきことに、先ほどまで耳にしていた騒がしさがまるで嘘のように、音が一切聞こえない。
もしかすると、何らかの防音魔法が使われているのかもしれない。
「じゃあ、ボクはこの子と自分の分のご飯を持ってくるね」
「はぁい。行ってらっしゃい」
ドアが静かに閉まると、部屋には沈黙が満ちる。
……気まずい。なんだか、気まずい。
誰も話し出さないために、余計に静けさが際立っている。
研究所にいた頃は、こんな感覚を覚えたことはなかったのに。不思議だ。
ふと見ると、2人はすでに食事の準備を終えているようだった。
待たせてしまったのかと思うと、少し申し訳ない気持ちになる。
「えっと……昨日は、ごめんね。怖がらせちゃったよね?」
「えっ? あ、ああ。でもちょっと驚いただけだから、あまり気にしないでくれ」
しょんぼりしていた少女。イロナに声をかけると、ほっとした表情を浮かべる。
確かに昨日の行動には驚かされたが、ここまで親切にしてもらったのだ。感謝しなければならないだろう。
「調子はどうだ? 昨日より、だいぶ良さそうには見えるが」
イロナの次に声を発したのは昨日ベッドを貸してくれた少年。確か、名前はセクレットだ。
無表情に見えるのは、眠気のせいだろうか。
「あぁ、ちゃんと力が入るし……良くなってきたと思う。昨日は、本当にありがとう」
気まずさが和らいでいくと、皆が自然と微笑んだ。
「持ってきたよ。待っててくれてありがとね。さあ、食べよっか」
ヴェールが運んできたのは、ハンバーグと彩り豊かなサラダ、そしてふっくらと焼かれたパン。
「食べていいよ」と言われたので、まずはパンに手を伸ばし、ちぎった後口に放り込む。
「……!」
柔らかくちぎれたパンを口に入れると、ふんわりと広がる香りと味が脳に直接響いてくる。
残ったパンから立ち上る匂いが、さらに自分の食欲を刺激してきた。
「おーい、固まってるぞ。大丈夫か?」
「これ……すごく美味しい。どうしてこんなにふわふわなんだ? 今までのパンとはまるで違う……」
衝撃だった。自分の知っているパンは硬くて冷たくて一緒に出されるスープでふやかさないと食べれないものだったからだ。
何故こんなに違うのか不思議で、思わず早口になってしまう。
「気に入ってくれたならよかった」
「他のも食べてみて! ここは何でも美味しいから!」
言われるままにサラダやハンバーグを口にする。その全部が本当に美味しかった。
お腹も満たされて、毎日こんなご飯が食べられたらどんなに幸せだろう。
ただし、少し食べ過ぎてお腹が苦しい。
「あ、そうだ。今更だけど自己紹介、まだだったよね」
「じゃあ、このタイミングでしておくか。俺はセクレット・マナデント、15歳。ヴェールからはレシーって呼ばれてる」
「ボクはヴェール・フォンセ・ウィシュリー。レシーと同じく15歳。好きなように呼んでね」
「私はイロナ・アニエス、同じく15歳! イロナって呼んでね!」
全員が簡単に自己紹介を終え、次は自分の番。
「自分はシューク・フェイト、15歳。好きに呼んでくれ。……改めて、昨日はありがとう」
「助けてくれたのはシュークくんだからね! お互い様だよ!」
明るく受け止めてくれるその反応は新鮮で、どこか懐かしさすら覚える。
この温かい空気は、決して嫌いじゃない。
「なぁ、シューク……で合ってるよな? いきなりだが、俺たちの仲間にならないか?」




